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【J2日記】山形:小林亮を待つグラウンドにて(13.09.16)

9月12日。全体練習が終わったグラウンドの上で、盛大な水かけセレモニーが行われていた。
ターゲットは24歳になった廣瀬智靖。誕生日は前日だったが、前日はトレーニングゲームで全員そろって引き上げることができなかったため、1日順延したこの日にあらためて行われたのだ。

機転を利かせた大久保剛志がクーラーボックスごと氷水をぶちまけるなど、廣瀬はずぶ濡れとなり、セレモニーはいつものようににぎやかに終わった。しかし、ここ数年続いてきたそれとはほんの少し違う雰囲気も漂っていた。その原因は、先陣を切る特攻隊長がいないこと。ターゲットの選手が逃げようものならどこまでも追いかけ、しがみついて味方の援護射撃を待つ。相手が年上でも年下でも、選手でもスタッフでも、必ず真っ先に駆けつけていたあの選手が…。

奇しくも、この日はその選手―――小林亮の誕生日。容赦なくタックルをかまし、多くのチームメートを水攻めにしてきた小林だったが、自身はグラウンドで水浸しになることなく、31歳の1日を終えた

小林が負傷したのは8月30日のトレーニング中。翌日の検査の結果、右膝前十字靱帯損傷で全治約6カ月と診断された。小林が忌まわしい「前十字靱帯損傷」の重症を負ったのは、これが初めてではない。09年11月、左膝の前十字靱帯を損傷し、やはり全治6カ月の診断を受けていた。シーズンをまたぎ、背番号は20から2に変わり、厳しいリハビリの末に公式戦に復帰したときには、7月になっていた。

それが突然だったこと、大きな怪我になったこと、左右こそ違うが4年前と同じ怪我であったこと、そして、チームを代表するような人格者であったこと。それらすべてが、チームに少なからぬ衝撃を与えていた。前回の怪我から復活までの様子を知る選手はなおのこと。

「聞いたときは、『嘘でしょう』という感じでした」と話すのは石井秀典。チームのなかでは小林と公私もっとも近しい間柄で、練習前のリフティングや居残り練習も一緒に取り組んできた。「みんな一生懸命やってますけど、一緒にいることが多くてよく見てた分、何でそういう人にそうなっちゃうのかなと…」悔しさを押し殺すように言葉を絞り出した。

小林とともに右サイドバックを本職としながら常にその背中を追ってきた山田拓巳は「試合でいいプレーしなかったらすぐ代えられる、そういう危機感は常にありました。2人でいい争いができてたし、いい刺激になってたのですごいショックです」と表情を曇らせた。プロ6年目の今シーズンはライバルとしてポジションを争うまでに成長した。そのプライドが、「『亮さんの分までしっかりやろう』とみんな一人一人が思っていると思いますけど、ポジションが同じ自分が、多分一番思いが強いと思います。亮さんの分まで、しっかり全部の試合で出しきって、一人でもやれるんだぞというところを見せたいし、気持ちの入ったプレーで亮さんの分まで頑張りたいなとまた新たに思いました」

再び、石井。しばらくは全体練習から離れることになる盟友を思いながら、心の引き出しからもうひとつの気持ちを取り出すように話をつないだ。「ここで俺が一緒に落ち込んでもしょうがないので、元気なところを見せて、少しでも亮さんが前向きになれればと思っています。早くサッカーがやりたい、このみんなとやりたいと思えるような雰囲気で待ってることが大事だと思います」

小林の姿が見えなくなった練習場では、すでに明るい笑い声が響いている。忘れたわけではない。いいチーム状態で「おかえりなさい」が言えるようにと。

以上

2013.09.16 Reported by 佐藤円
(C)佐藤円

グラウンド上では1日遅れで廣瀬が誕生日祝いの水を浴びていたが、この日に誕生日を迎えた小林の姿はなかった。

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