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【J2日記】福岡:Jリーグ20年の記憶〜前田知洋通訳の場合(13.05.22)

当時は小学校6年生。どこにでもいるサッカー少年だった。
「ヴェルディと横浜マリノスの開幕戦、オランダ人マイヤーのJリーグ初ゴールは未だに覚えていますよ。友だちと一緒に、いつかJリーガーになりたいなって話していました。僕は選手としてJリーグの舞台に立つことはできませんでしたけれど、こうして通訳としてJリーグに関わっていることを考えると、運命だったのかなという感じがしますね」
前田知洋通訳。行動はいつもオズマールと一緒。その姿には、言葉を通して監督・スタッフ・メディアとの仲介をするだけではなく、オズマールを活躍させたいという気遣いが溢れている。

開幕当時、日本はJリーグ一色だった。その頃の様子を前田通訳は振り返る。
「あの頃は、世の中にJリーグ関連グッズや映像がたくさん出てきましたよね。今でも覚えていますが『Jリーグを100倍楽しく見る方法」という映画もありました。Jリーグのマークが入ったボールとか、ユニフォームとかが町中にあって、すごいなあと思っていたことを思い出します。お父さんやお母さんにJリーググッズを買ってもらっている友達なんかを見ていると、うらやましかったですね。特別にプロサッカーを意識していたというわけではなかったですけれど、小学校6年生ながら、世の中にJリーグがあふれているなと感じていました」

Jリーグ開幕初年度は、どのスタジアムも満員。チケットは売り出しと同時に売り切れ、日本中がJリーグの話題で持ちきりだった。
「初めてスタジアムでJリーグを見たのは、開幕2年目の横浜フリューゲルスとサンフレッチェ広島の試合です。父に国立競技場に連れて行ってもらったんです。フリューゲルスにはモネールと、フリーキックがすごかったエドゥーがいました。うれしかったですね。試合の内容やプレーは覚えていないんですが、とにかく人が多くて雰囲気がすごかったのを覚えています。それと、父がお弁当やジュースを買ってくれて、スタジアムっていいなあって思いましたよ(笑)」

子どもの頃は別世界だったJリーグ。いま、その中で仕事をしているからこそ見えてきたものもある。
「語学というアプローチでJリーグに入ったんですけれども、やはり勝負の世界だなと日々、実感しています。お客さんに見えるのは、ピッチの上のすごく華やかな部分ですけれども、ただ言葉を訳してコミュニケーションの手伝いをするだけではなく、オズマールに対する24時間のサポートだとか、ほかにもいろんなことを経験しながら、通訳という仕事の厳しさを改めて感じています。だからこそ、オズマールと一緒に頑張らなくてはいけないなと。それに、スタジアムは華やかな世界ですけれども、そこ以上のものがバックグラウンドにあるので、今ここで経験していることを将来は子どもたちに伝えたいですね」
前田通訳は子どもたちにサッカーを教えていた経験も持つ。将来も様々な形でサッカーに関わっていきたいと話す。

そして、いつまでも子どもたちに夢を与えるリーグであり続けることを願っている。
「やはりプロサッカー選手は、子どもたちのお手本になる存在でなければいけないなと思っています。日々の立ち居振る舞いや、ファン・サポーターの方との接し方や、練習時間以外の過ごし方だとか、それが重要なんだということを、Jリーグの中で選手たちと接して感じさせられています。これからも、Jリーグが子どもたちの夢であるリーグであり続けてほしいですね。今はまだ何をしたらいいのかわからなくても、選手たちが頑張っている姿を見て、自分も何かをやってみよう、何かを頑張ってみよう、そう思ってもらえるJリーグであってほしいですね」
Jリーグ開幕に心躍らせた少年は今、子どもたちに夢を与えるべくクラブを支えている。

以上

2013.05.21 Reported by 中倉一志
(C)中倉一志

前田知洋通訳

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