練習場に通っている(自転車で行くライターは希少だとか…)と、元栃木SC戦士と再会する機会がある。
JFL昇格初年度の2000年から長きに渡り背番号10を背負い、象徴だった“栃木の皇帝”只木章広には何度か会っている。現在も栃木県立宇都宮白楊高校に勤務。サッカー部の監督も務める只木のサッカーへの情熱は薄れることなく、熱血指導の成果は同校が全国高校サッカー選手権大会に出場を果たすなど着実に県内の強豪へと成長していることからも分かる。指導者となっても、とことん熱い。
さて先日、栃木SCと栃木県成年国体選抜がトレーニングマッチを行った(結果は栃木SC4‐1国体選抜)。国体選抜には懐かしい顔が数多く並んだ。国体の主要メンバーは大学生、県リーグ、そして関東サッカーリーグ1部所属の日立栃木ウーヴァスポーツクラブ、関東サッカーリーグ2部所属のヴェルフェたかはら那須で構成されており、ウーヴァとヴェルフェ(両チームとも現在、首位を走る)には栃木SCのOBが多数在籍しているからである。
「お久しぶりです。元気ですか?」
平日ということもあって試合後は職場に戻ったり、所属クラブの練習に向かったりするために短いやり取りしかできなかったことが悔やまれるが、久々の再会はやはりいいもので、栃木SCを離れてもサッカーを続けていてくれることが無性にうれしかった。
「元気ですか?出世したそうじゃないですか」
一際、快活な声で話しかけてくれたのは永井健太。重戦車とも、暴れ馬とも評される破壊力抜群のドリブル突破は、対戦相手にとって厄介極りない存在だった。主にジョーカーとして起用され、ゴールを量産したわけではないが、記録より記憶に残りまくる男だった。2006年の天皇杯4回戦、J1清水エスパルス戦では鮮烈なゴールを叩き込み、度肝を抜いた。「何かやらかしてくれる」期待感を抱ける選手だった。
物おじせず豪快なプレーが身上で、自らを「化け物」と呼ぶ永井。2007年に栃木SCを離れてから昨季まで北信越1部リーグのツエーゲン金沢に在籍していたが、今季から地元の足利市に戻り、足利御厨UNITED(栃木県社会人サッカーリーグ1部)の主力として活躍している。「これからは地元、足利のために頑張りますよ」。そう力強く語った永井は、「子供たちにサッカーを教えたい」と今後の夢も話してくれた。そして、こんなことも言った。
「県南では栃木SCの話題が出てこないんですよ。寂しいですよね。だから、さっきも吉見(康之。現・栃木SC広報で永井とは同期。ともにスピードを活かしたプレースタイルで観衆を沸かせた)と、どうにかして盛り上げられないかな、と話していたんですよ」
足利は何度も栃木SCが試合会場として使用(今季も10月3日に愛媛FC戦が開催される)。取材で訪れる度にボランティアスタッフの心地よい対応などから、サッカー熱の高さと愛情がひしひしと感じられた。それだけに、「栃木SCが話題に上らない」と聞いた時には耳を疑ったものだが、現に足利を中心に活動している永井が言うのだから、それほど関心を持たれていないのかもしれない(もしかするとサッカーが盛んな地域だけに、観戦するよりも自分でプレーすることがメインになっていることが一因かも)。だからこそ、永井は自分のプレーや子供たちとの触れ合いを通して足利の活性化を図り、同時に栃木SCの認知度も高めていきたいと思い至ったのだろう。
栃木SCから少し遠い距離にいても、「栃木SCのために何か自分にできないか」と考えてくれている。思い描くプランを行動に移そうとしてくれている。そのことが、たまらなくうれしかった。改めてサッカーっていいな、と思える瞬間である。
以上
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2009.06.18 Reported by 大塚秀毅