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[ 2007 ゆく年くる年:サンフレッチェ広島 ]
【2007 Memorial Scene】
ロスタイム、残り1プレーとなった時。FKのこぼれをつなぎ、左サイドに飛び出したストヤノフが、美しいクロスを入れた。そこには、フリーになった槙野智章。オーバーヘッド!ボールは? ポストに当たった。そして、そのまま外へ。2007年12月8日、夕闇の広島ビッグアーチで行われた京都とのJ1・J2入れ替え戦。サンフレッチェ広島J1残留の夢は、槙野の雄叫びと共に、消えた。

【サンフレッチェ広島 Playback 2007】
12月の天皇杯における快進撃が、すべての広島サポーターに「これだけのサッカーができるのに、なぜ?」という想いを増幅させた。90分にわたって全員が走り、球際で戦う。そういうサッカーを、ペトロヴィッチ監督は推進していたはず。実際、シーズン当初は、完全とは言わないまでも「広島のサッカー」ができていた。5月までにあげた勝点18(ヤマザキナビスコカップ含む)が、その証明だ。
ところが6月以降、チームは崩れた。一つは、佐藤寿人・駒野友一・青山敏弘・柏木陽介・槙野智章・平繁龍一と、最大6人の選手を各年代別代表に供出したこと。疲れがたまった代表選手たちの動きの量は落ち、一緒に練習する時間が限られたことでチームの修正点がぼやける。さらに「一部の選手たちを私が信じすぎた」と自らが言うように、ペトロヴィッチ監督の「ベストメンバー」にこだわった起用がチームの転落に拍車をかけてしまった。
9月1日の横浜FC戦以降、広島に勝利はない。千葉戦ではロスタイムに2点差を追いつかれ、甲府や大宮との直接対決では、いずれも終了間際に失点して敗北。J1最多失点を喫した守備、夏以降は点がとれなくなった攻撃。攻守にちぐはぐになった広島は、結果としてJ1・J2入れ替え戦に出場せざるをえなくなった。
そして12月8日、J2降格。しかしクラブは、選手を掌握し育成手腕に長けたペトロヴィッチ監督を「J1復帰には不可欠」とあえて続投させた。一方で、常勤取締役全員が責任をとって退任し、本谷祐一新社長を先頭にフロント改革に乗り出した。「J1で優勝を狙えるチームにする。その想いがなければJ1に定着できない」という久保允誉会長の言葉を旗印に、サンフレッチェの歴史は新しい局面を迎える。その第一歩は、2008年1月1日、天皇杯決勝が行われる国立競技場から、スタートだ。

Text by 中野和也

2007年12月31日(月)

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