そんな中でも、社会は時間を止めるわけにはいかない。人間、この世に生を受けた時点から、何かしらの役目を負い人生を全うしなければならない。ならば、少しでも人のためになるように…と考えるのは、人が良過ぎだろうか。己のために生きて、何らかの功績を残すことはできるのだろうか。いや、功績を考えた時点で自己的な生き方になってしまうだろう。素直に目の前に迫りくる事象に向かい合うしかない。私にとってのtotoは第1回から購入を続けるいちサッカー人としての楽しみであり、このくじが担う役割を思っても私なりのスポーツへの貢献だ。そして、今週もtotoはやってくる。
いつも、買い目を決めるときには、「当せんしたら何に使おうか?」と考えてしまう。美味しいものをたくさん注文してみたい。タクシーで「お釣りはいりません」と一万円札で払ってみたい。そんな欲深い(“欲”は本当に大切なものだと思うが)ことを考えながら買い目を決めている自分がいた。
でも、今回だけは、当せん金全額を被災者の方に送らせてもらおうと思う。そうすると、いつもよりも真剣に買い目を悩んでいる自分がいた。自分のためよりも、他人のためになることを考える時は、真剣になることを再認識した次第だ。
そこまで考えなくても、皆さまが購入されたtotoは各地で大いに役立っている。スポーツの振興そのものに役立っている。スポーツの普及、選手の育成・強化などに助成されたり、その活動に従事する人たちや環境整備にも助成されている。購入したtotoくじが、知らずのうちに人のために役に立っているのである。
『スポーツ振興のために…』と考えてtotoくじを購入する人はまずほとんどいないだろう。でも、『結果的に喜んでいただいているのであるから外れても悔いはない』と考える人は多いのではないだろうか。何かを気負って構えるよりも、totoのように無意識にお役に立っているというのは有難いことである。
近年、身近な娯楽に課税をしようという意見が出ている。経済を回すための手段の一つとして審議され始めている。事の良し悪しはわからないが、課税というと固く感じられるが、助成ならば…と考えれば、そこはそこで致し方ないと感じてしまうのは私だけだろうか。公営カジノがオープンし、世界中のお金持ちが集まってお金を落としていく。それを、地域振興や災害などからの復興に使用する。こんなことがあってもいいのかもしれない。消費税のアップだけが国の財政収入の手段ではないのだから。強制的に徴収せずとも、物事を自らの意志で楽しんで消費している中から必要なものに充当できるような仕組みが広がると、国会の審議ももっとスピーディになるのではないだろうか。
例えばふるさと納税という仕組みは、離れていても故郷にお返しすることができ、望郷の一端を埋めてくれる。スポーツのために、カルチャーのために、などと銘打った施策はどうだろうか。気負わずに役にたてる仕組みは嬉しい限りだ。そして、その仕組みであるtotoは今ここに存在し、『当てても外しても、誰かを笑顔にしてくれる』のである。
以上
2014.08.22 Reported by サカクラゲン(鳥栖担当)