日常生活が戻ってきて、改めてワールドカップの特別さを感じる。もちろん、ワールドカップだけが特別な存在だとは言わないが、それにしてもサッカーに携わる多くの人にとって特別な期間であるのは間違いない。
例えば主に南米の人たちだが、華やかなワールドカップ本大会のお祭り騒ぎに身を委ねることを人生の目的にしているという話は昔からよく聞くし、一族の人たちが協力してお金をため、身内を順番に本大会に送り出す、という話を聞いたこともある。それだけのことをしてもいいと思わせる力がワールドカップ本大会にはある。ただ、このわずか1ヶ月のハレの間に輝けるのは一握りの国に限られる。少なくとも3戦1分け2敗の日本が、ブラジルの地で輝けたとはいえない。だからといって、ブラジルに向けて取り組んできた4年間の努力がこの結果ですべて否定されるわけでもない。ただ、それにしても、期待していた人たちの受けた心理的なダメージは計り知れない。だから4年後に、すぐにこの惨敗の雪辱を果たせるかというと、そんなに簡単なことでもない。負けた腹いせに“強化してやる!”と意気込んでみても、世代をまたぐ時間と労力が必要で、それらの覚悟を持って日本がサッカーと向き合ったとしても、世界も同じように前進していくわけで、その差は思うようには縮まらない。
ワールドカップでの惨敗後、“自分たちらしいサッカー”という常套句に対して批判が集まった。一部選手による優勝目標についても、批判する言説が出てきた。個人的には、そのどちらも持っていていいものだと思っている。“自分たちらしいサッカー”はその時々の監督と招集された選手たちで変化するが、その時々の選手たちが持っていればいいもので、それを言語化するのは、選手たちへの取材活動を含めたメディアの仕事となる。代表選手たちが口にした“自分たちらしいサッカー”に批判が集まるのだとすれば、それを形として提示できなかったメディアも批判されるべきだろう。
また、目標を優勝に設定することについては「そんなの選手の好きなようにさせてあげればいいじゃないか」と個人的に思っている。今回のように惨敗して恥をかくのは選手で、もちろん、その優勝の夢に乗っかった国民として多少なりとも恥ずかしい思いをするのかもしれないが、選手が受けた悔しさに比べれば微々たるもの。少なくとも日本代表は優勝チームと同じ土俵に立った32カ国の出場国の一つである。優勝という目標設定に無理があろうとなかろうと、選手たちの思いを「ぼくは現実を知ってます」とばかりに、したり顔で批判するのは個人的には性に合わない。
優勝を目標にして、挫折して、それを分析して、現場や日常にフィードバックする。その繰り返しを世代をまたいで続けていくことでしか、優勝なんてバカでかい夢は達成できない。ただ、逆に言うと、そのサイクルができているという実感があるし、あらゆるものがベストな状況な日本代表であれば、まかり間違って優勝してもおかしくないと、それくらいの夢を見させてもらえるだけの瞬発力はついてきている。ただ、それにしても16大会連続ベスト8入りしたドイツですら、前回優勝から今大会の優勝までには24年もの時間がかかっているのだから簡単ではない。ただ、簡単じゃないから諦めるというのも短絡的で、生産的でもないので、ぼくはその立場は支持しない。その簡単じゃない夢の実現は、まずは「Jリーグ」から。ここにある日常としっかり向き合う以外に、世界と互角以上に戦える代表チームは作れない。
そんなわけで、Jリーグは重要で、そのJからまた世界に飛び出す若者が現れた。そして、その一方で世界からJにプレーの場を移す若者もいる。これまでの現実として、一般的に世界と呼ばれる欧州で成功する選手はまだまだ少数派だ。ただ、そんな個々の選手の挑戦を「確率の悪さ」を理由に否定する人は居ないはず。それと同じで、いつの日か世界一になることを夢見て、日常と向き合う人たちのことを否定してほしくもないと思う。少なくとも、世界を夢見る人たちに適正なサポートが与えられることを期待している。
そして、そんな世界を夢見る選手たちに対し、totoは影に日向に、協力している。詳しくは「totoによるスポーツ振興助成について」ページをご覧いただければと思うが、いまここにある日常=Jリーグとしっかり向き合うことが、未来の夢に続いていることは間違いない。さぁ、今週もtotoを買いにいこう。
以上
2014.07.25 Reported by 江藤高志(川崎F担当)