今日の試合速報

ACLE
ACLE

J’s GOALニュース

一覧へ

【J2日記】千葉:いつも笑顔だった(14.05.26)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
5月10日掲載の横浜FC担当の松尾真一郎さんの【J2日記】をご覧になった方など、すでに多くの方がご存じのように、5月9日に逝去された田部和良氏と関わりの深いチーム同士の対戦となった5月24日の第15節・横浜FC対千葉では、キックオフ前に黙祷が行われ、両チームの選手やスタッフが喪章をつけて戦った。横浜FCと千葉は、ご逝去の直後の5月11日・第13節でも喪章をつけて試合に臨んだ。

田部さん(ご存命の時に筆者が呼んでいた呼び方であえて書かせていただきたい)が千葉(当時は市原)の強化部でお仕事をされていたのは、1995年1月から1998年1月まで。前述の横浜FC戦の試合後、当時も千葉に在籍していた山口智選手に田部さんについての話をお願いすると、寂しそうな表情でこう答えた。
「ボクが千葉に来られたのは、田部さんや(当時の強化部長で現在は解説者の)川本(治)さんのおかげなんです。最初に訃報を聞いた時は信じられなかったです。雑誌か何かで闘病中というのを知って『そうなんや』と思っていたんですけど、訃報はそのすぐあとだったので。昨年か今年かはっきりとは覚えていないんですけど、千葉の沖縄でのキャンプを見に来てくれた時に少し話をしました。その時に、僕のことをいつも気にしてくれている感じで声をかけてくれました。本当に田部さんがいなかったら、僕はたぶん今、ここにいないと思います。今は何ともいえない気持ちです」

山口智選手の話にあるように、気さくで朗らかな人柄の田部さんはいつでも自分が関わりを持った人たちのことを気にかけ、人懐っこい笑顔で声をかけてくださる方だった。1996年から千葉のオフィシャルイヤーブックのお仕事をさせていただいていることもあって、筆者も田部さんにはとてもお世話になった。
私事になるが、筆者が『週刊サッカーダイジェスト』で初めてお仕事をさせていただいたのは1996年。当時、Jクラブのユース出身選手が大学サッカーで主力として多くプレーするようになったことについての3回連載の企画記事だった。その際にインタビュー取材をさせていただいたのは、当時の国士舘大学の大澤英雄監督と佐伯直哉選手(読売日本SCユース出身)、そして慶應義塾大学の飯島久雄選手(横浜マリノスユース出身)。奇しくも、佐伯選手はのち(2009年)に千葉に在籍し、飯島選手は当時市原に在籍していた野々村芳和選手(現在は札幌の代表取締役社長)と彼がプレーしていた時の慶應義塾大学のサッカーに憧れ、野々村選手とは入れ違いにはなるものの慶應義塾大学でサッカーをやることを選んだのは、千葉を取材してきた者としては個人的に感慨深いものがある。
田部さんは市原の強化部でお仕事をされる前に桐蔭学園の中学校のサッカー部監督や高校のサッカー部コーチをされていたこともあり、飯島選手とは旧知の仲だった。強化部の仕事で大学サッカーの公式戦に行く田部さんは飯島選手に会うと声をかけ、時にはアドバイスをすることもあったそうで、筆者に飯島選手のことを教えてくださった。市原での仕事とは直接関係がないことでもいろいろと話をしてくださったし、市原を辞められてからも偶然お会いできた時には笑顔で声をかけてくださった。
筆者が最後に田部さんにお会いしたと記憶しているのは2010年9月5日。当時、田部さんがゼネラルマネジャーをされていたFC琉球が千葉と天皇杯2回戦で対戦したフクアリの試合後で、その時もやはり田部さんはいつもの人懐っこい笑顔だった。
田部さんはどんな時も前向きに挑戦をされる方で、その強さがあったからこそ周りの人にあの笑顔を向けることができたのだと思う。今季の千葉はJ2リーグでなかなか勝てずに苦戦しているが、どんな時もクラブ全体が前向きに挑戦する姿勢で戦ってほしい。
田部さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

以上

2014.05.26 Reported by 赤沼圭子
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

テレビ放送

一覧へ

明治安田J1リーグ 第37節
2024年11月30日(土)14:00 Kick off

旬のキーワード

最新動画

詳細へ

2024/11/25(月) 10:00 【週末のゴールをイッキ見!】明治安田J3リーグ全ゴールまとめ【1124】