生命を懸けていた。それは冗談でもたとえ話でもない。5月6日、対大宮戦の試合前に増田卓也は水本裕貴に「自分に何かあれば、家族のことをよろしくお願いします」と告げていた。「死ぬ気で頑張ります。いや、死んでもいいんです」とまで。あの時の彼は、生命を賭して、戦いを臨んでいたのである。
もちろん、富山貴光(大宮)との激突事故まで予測していたわけではない。ただ増田は、どういう状況であれ、広島のゴールマウスの前に立つ時は、文字通りの「必死の思い」を忘れない決意だ。偉大なる先輩・西川周作がクラブ・ワールドカップで2度まで相手と接触し、アルアハリ(エジプト)戦は病院に送られ、蔚山現代(韓国)戦では指を骨折。それでも、今季の名古屋戦で勇気を持って飛びこみ、小川佳純(名古屋)と接触して脳しんとうを起こしながら、最後まで戦った。その姿が、増田の気持ちに突き刺さっていたからだ。
「周作さんのあの強い気持ちを上回らなければ、僕は広島のゴールマウスを守れない」
生粋のサンフレッチェ・サポーターだった増田は、U-22日本代表に選出されて注目を集めていた流通経済大時代から、広島のゴールを守ることだけを考えていた。他のチームからもオファーはあったが練習に参加することもなく、ひたすらに広島だけを思い続けた。
現実は決して甘くはない。彼が愛してやまないチームには、西川周作というJリーグ最高のGKがいる。シュートストップの鋭さ・正確さだけでなく、抜群の足下の技術を持つ彼は、まさに広島サッカーにおける最適合GK。壁は厚い。増田の1年目は、リーグ戦出場0試合で、出場したカップ戦3試合での失点数は、3・1・2。特に天皇杯・今治FC戦では4部相当のチームに2失点して敗れるという屈辱も浴びた。2年目の今季も、ACLでは北京国安を完封したものの、勝つことはできず。「広島のゴール前に立つことは、自分にとって特別な意味を持つ」と口にする増田にとって、ここまでの実績は、とても満足できるものではない。大宮戦にしても激突事故のことが大きく取り上げられたものの、結果としては失点・敗戦。大きな悔いを残した。
「自分の判断の課題が露呈したことで失点してしまい、チームが同点に追いついた後の試合を難しくしてしまった。そして自分が負傷退場したことで、森保監督に交代枠を使わせてしまったことも、申し訳ない」
だからこそ、どうしてもこの試合では結果が欲しい。勝利という結果を自分の手でつかみとりたい。
だが、増田の想いを簡単に許すほど、柏レイソルは甘くはない。レアンドロ・ドミンゲスの復帰は微妙ではあるが、それでも攻撃のタレントはズラリ。特に、GKの能力が試される局面でもあるセットプレーには、J屈指の左足を持つジョルジ・ワグネルがいる。高さのある選手も多い彼らを抑えるのは、容易ではない。
ヤマザキナビスコカップ準々決勝は、いわば90分ハーフのホーム&アウェイマッチ。柏にとってのアウェイとなる今回は、特にリスクを背負う必要もない。ネルシーニョ監督十八番の守備的な「広島対策」を実行し、ノーリスクで勝点を持ち帰る戦略に出る可能性が高い。ホームでどうしても勝点3が欲しい広島が焦り、前がかりになったところをカウンターで仕留めれば御の字だ。言い換えれば、広島の危機は常に数的不利な状況に陥る可能性が高い、ということ。それでも増田は、ゴールを守りきらねばならない。もし、アウェイゴールを柏に献上すれば、たとえ勝点を奪ったとしても大きな悔恨と不利益を広島にもたらしてしまうことになるからだ。
ただ、増田に大きな気負いはない。
「いつもと変わらず、自分のプレーを」
この言葉には、「生命を賭する」と誓った大宮戦と同じ気持ちである、という意味も含めるが、そんな重さなどみじんも感じさせず、背番号13は淡々とした表情で言葉を落とす。昨日、千葉和彦の誕生祝いで本人と共になぜか彼も生クリームをぶつけられた「いじられ王」増田の表情は、柔らかい。強い思いの中に「楽しもう」というゆとりもある。室蘭キャンプでも、相手との接触を恐れずに飛び込むプレーは何度も見られたように、「恐怖心はない」という言い切りは、強がりではない。それがゼロではないにしても、克服できる自信もある。「マスは(西川)力を持っている選手。気持ちの空回りだけ気をつけてくれればいいし、僕は心配していない」と水本も後輩の存在に厚い信頼を寄せている。
あの時、NACK5スタジアムで起こった大「増田コール」は、彼の容態を心配し、励ますためのもの。それを今度は賞賛の拍手に変えるべく、男はピッチに立つ。責任という名の刃に身をさらしつつ、恐怖という名の礫を受けながらもなお、増田卓也はゴールマウスを守る。ヤマザキナビスコカップ準決勝進出に向けて、巨大な敵・柏と戦うために。
以上
2013.06.22 Reported by 中野和也
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