1993年5月15日、日本のサッカー界を大きく動かすことになったあの日、神野卓哉チーム統括部長は、横浜マリノス(現横浜FM)の選手として、あの場所にいた。
「僕はサブだったので、セレモニーが行われている時はロッカールームで用意をしていたはずで、実は記憶が曖昧なんですよ(笑)。僕が記憶しているのは、とにかく異様な雰囲気だったということですね。スタジアムもそうでしたけれど、それ以外の部分、例えば、そこに向かうチームの雰囲気もいつもとは全く違っていました。特に、ベテランの(木村)和司さん、(水沼)貴史さんの、あの試合に向けての想いというか、執念というか、それはそれは、とても言葉では表現しきれない空気が強烈に漂っていた記憶があります」
あの試合で、横浜マリノスは1人も選手交代をせず、神野部長に出番は回って来なかった。「どうしても出たかった。自信もある」、そう思っていた。けれど、いま改めて振り返ると、あの試合は単なるプロリーグ開幕戦ではなく、特別な試合だったと話す。
「マリノスには和司さん、貴史さんがいて、対戦相手のヴェルディ川崎(現東京V)にはラモス(瑠偉)さんがいた。僕は中学・高校と、その人たちの背中を追いかけてサッカーをしていましたし、みんなサッカー界のために、様々な苦労を乗り越えて、ずっと頑張ってきた人たちです。そんな人たちの並々ならぬ想いが、あの試合にはあったことを覚えています。日産時代は、和司さん、貴史さん、それに柱谷哲二さんもいて、とにかく「サッカー界はこうでなければいけない」という話を常にしていたんですよ。遠征の帰りの新幹線の中でも、いつもそんな話を聞かされていました。そんな中で迎えた、日本プロサッカーリーグの初めての試合。あそこにかける想いはすごかったんだと思います。もちろん、僕も出たかったですよ。あの舞台には立ちたかった。自信もありました。でも、和司さん、貴史さんをはじめ、当時、ベテランと呼ばれていた人たちのあの試合に対する思い入れは全然違っていました。それは、僕には全く計り知れないものです。そんな場所に一緒にいれただけでもすごいことだったんだなと、今は思います」
あの試合をスタートに、日本サッカーは新しいステージに立った。観客が増え、選手の給料も上がり、サッカーの環境が大きく変わっていく姿に、これがプロなのだと意識させられた。その一方で、本当のプロとは何なのかということについては、世間の誰もが分からない時代だった。そんな中、Jリーグは走りながら考え、そして日本サッカー界は大きく変化していく。
「一番変わったのはメディアに取り上げられたことですね。そのおかげで、多くの人たちに知ってもらえて、町を歩いていても声をかけられるようになりました。そして、見られていることを意識するようになり、徐々にプロとは何かということを勉強していったように思います。また、技術面では飛躍的に向上しました。当時、Jリーグにはディアスや、ジーコというように世界のスーパースターがいて、そういう選手たちの影響を受けてレベルアップしていったというのもありましたが、Jリーグで様々な経験をした選手たちが指導者になり、僕のようにフロント業務に携わるようになり、そうした人たちが増えてきて、さらにJリーグのレベルが上がってきた。特に、指導者のレベルが上がったからこそ、選手のレベルが上がり、リーグのレベルが上がったと思っています。その結果として、海外で活躍する選手も増えてきたのかなと」
あの日から20年。神野部長にとっては、どんな20年だったのかを尋ねてみた。
「月並みですけれども、あっという間に駆け抜けた20年でした。いいことも、悪いこともありましたし、いろんな人にも会いました。選手としては5つのチームでプレーし、フロント業務としても複数のクラブで仕事をさせてもらって、いろんなことを勉強させてもらった20年でした。それは、サッカーをしていなかったら経験が出来なかったことで、本当にサッカーに感謝しています。もしかしたら、あの開幕戦にいなかったら、日産にお世話になっていなかったら、こうはさせてもらえなかったかも知れません。ただ、ただ、感謝の気持ちでいっぱいです」
そして、フロント業務に携わる今、選手時代とは違ったアプローチで、Jリーグの発展に貢献したいと話す。
「Jリーグと言うよりも、僕たちがやらなけれはいけない仕事だと思っています。それは選手待遇の改善です。J1のトップクラブでは十分な待遇がなされていますが、我々のような地方にホームタウンを置くクラブの選手も、そして、様々な形でチームをサポートしている職員も、その待遇をもっと魅力的なものにして、周りの誰からも憧れてもらえるような職業にしたいなと思っています。それは簡単なことではなくて、今はいろいろと模索しながら頑張っている段階ですけれども、とにかくJリーグをもっと魅力的な職業にしなければいけないという想いは強いですね」
それは自分を育ててくれたサッカー界に対する恩返し。神野部長は次の20年に向かって走り続ける。
以上
2013.05.17 Reported by 中倉一志
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