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【J2日記】横浜FC:「プロ化の20年」。歴史の重み体感できるクラブ。それが横浜FC(13.05.15)

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今日5月15日は、1993年にJリーグの開幕戦であるヴェルディ川崎対横浜マリノス戦が行われた日。今年は、それから20周年に当たります。皆さんご存じの通り、横浜FCには、その試合に出場していた三浦知良選手が、今でもバリバリの選手として活躍しています。さらに、山口素弘監督も翌日5月16日に三ツ沢球技場(現・ニッパツ三ツ沢球技場)で行われた横浜フリューゲルス対清水エスパルスに出場しました。改めてお話をうかがうと、日本でサッカーリーグがプロ化されたことの重みが伝わってきます。

山口監督は、開幕戦の思い出を以下のように振り返ります。
「開幕戦の思い出はよく聞かれるけど、ホームにも関わらず7対3でエスパルスのサポーターが多かったかな。ものの見事にオレンジで(笑)。
当時はプロリーグというものに半信半疑なところも正直あった。実際やってみないと…ということで。そして始まってみたら毎試合の満員御礼。そのピッチに立てたのはうれしさがあったし、周囲の熱気はちょっと異常な感じもあった。開幕戦の(モネールの)ゴールシーンなどは、今でもよく憶えている。(その時は)20年の先のことは考えていなかったし、1日1日が勝負だった。張りつめたものがありましたね。いつ切られるか、それがプロの世界。だから必死だったと思います」

アマチュアリーグからプロリーグに変わる境目のダイナミズムが伝わってきます。一方で、ひと足早くブラジルでプロ選手として活躍していた三浦選手は、すでに「プロであること」を身をもって示していました。
「開幕戦は『いつもと変わらない』というのが僕の中ではありました。皆さんが思うほどの(特別な)意識はなかった。(開幕戦の意味などは)その時はそれほど考えなかったですね。準備期間も前年にヤマザキナビスコカップがあったし、5万人の観衆の中でやる試合というのも、ヴェルディの場合は結構やっていたから。マリノスとの試合も2年連続天皇杯決勝で、超満員の中でやっていた。自分は1986年にプロになってからプロ意識を持ってずっとやってきたし、1990年にプロとして日本に帰ってきた。
1993年は、日本サッカーにとっては大きなスタートだったと思いますが、ぼく個人としてはいつもと一緒。自分のプロとしての役割を果たす、勝つという気持ちでピッチに立ったし、負けてしまって悔しかったという、いつもの気持ちでした」
Jリーグが開幕した時、Jリーグには世界的トッププレーヤーが数多く在籍しすばらしいプレーを見せていましたが、三浦選手も身をもってプロであることをを日本に伝えていました。それは、今の横浜FCにおいても変わりません。

一方で、三浦選手の姿を見ながらトレーニングに取り組み、プレーをしている若手選手にとってもJリーグの歴史の重さは大きな意味を持っています。Jリーグが誕生した1993年生まれで、Jリーグと「同い年」の小野瀬康介選手は、Jリーグを見てサッカー選手として成長してきました。
「子どもの時に見たJリーグでよく憶えているのは、2003年(注:10歳の時)に横浜F・マリノスが優勝した時かな。久保(竜彦)さんがとても活躍していて。父の関係でチケットをもらって、F東京の味スタの試合にもよく行っていました。
テレビで見ていてスゴイなと思ったのは、カズさん(三浦知良選手)。小さい頃は中村俊輔さん(横浜FM)のフリーキックのマネもやっていました。プロ選手になろうと思ったのは、横浜FCのジュニアユースに入ってから。今は、プロになってからが大変なんだなと思っています。実はドリブルができるようになったのは高校の時ぐらいで、足も速くなかったし突破のドリブルはなくて、パサーみたいな感じだった。プレーは近くないけど、そういう有名な選手を目指していきたいです」

うまい選手のマネをするのは子どもにとって大事なことですが、Jリーグがなければプロサッカー選手・小野瀬康介は生まれなかったかもしれません。小野瀬選手と同様、Jリーグの特長であるアカデミーからプロ選手になった(浦和レッズ・ジュニアユース出身)の佐藤謙介選手も、Jリーグが憧れでした。
「Jリーグが始まった時は4歳かな。開幕戦は親がテレビで見ていたので、うっすらと記憶があります。あの頃から幼稚園でもサッカーばかりやっていて、カズさんには相当憧れていました。見に行った試合で記憶しているのは、延長戦でカズさんが点を取って、たくさんの人が沸いているのを見てカッコいいなと思って…(注:おそらく1994年5月14日・市原 0−1 V川崎@国立競技場)。それから本格的にサッカーをやりたいなと思いました。
プロのサッカー選手になりたいと思ったのは、やはりJリーグがあったから。プロリーグがない国もあるので、自分の国にプロリーグがあるのはよいことだと思いますね」

今回の4人の話から、Jリーグがプロリーグとしての価値を大事にしながら、いろいろな人に影響を与えて発展してきたことを改めて実感しました。それこそ「プロの重み」。Jリーグの重みの貴重な証人が揃っている横浜FCは改めて貴重なクラブだと感じるとともに、その重みは次の試合でも体感できる、だからこそぜひスタジアムで感じてほしいと思いました。

4人の皆さんは、目を輝かせながら昔の話をしていらっしゃいました。そしてこうした「Jリーグの影響」が、今後何十年、何百年と続いて発展していくこと、スタジアムに来てくださる次の時代のJリーグを支える子どもたちにも受け継がれていってほしいと感じます。

以上

2013.05.15 Reported by 松尾真一郎
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