「広島は私がつくったチームである」
こう言い切った時のペトロヴィッチ監督(浦和)の表情は、誇り高さと寂しさが混ざり合った、まるで油絵のような複雑な色彩を帯びていた。真意は、わからない。今のペトロヴィッチは浦和の監督であり、プロとして広島を倒すために全霊を傾けて戦術を練り上げ、ほぼ思惑通りに結果を出した。なのにペトロヴィッチ監督から発せられるオーラは、歓喜でも幸福感でもなく、寂寥感。かつて5年半もの間、ほぼ毎日ペトロヴィッチという偉大な監督を見続けた人間の、個人的な感傷に過ぎないとは思うが。
ペトロヴィッチ監督は、広島の前からのプレスを読んでいた。だからこそ浦和は、バックラインでのパス回しを多用せず、縦に縦にとボールを運んだ。その上で石川大徳・塩谷司と並んだ経験の少ない広島の右サイドに狙いを定め、宇賀神友弥・槙野智章、さらに柏木陽介や興梠慎三らも加わって圧力を加える。この戦術により、浦和はサイドでの攻防で主導権を握った。
一方、広島の攻撃も浦和の、いやペトロヴィッチ監督の手の中にあった。前線の3人と最終ラインに厳しいプレスを仕掛け、紫軍団の前線と最終ラインは分断し、パスワークを封じた。広島のスペシャリティである「青山敏弘→佐藤寿人」のホットラインも、起点の青山・終点の寿人、二人の動きを複数の選手で封殺したのである。
自分たちのサッカーができなくても我慢できるようになったのが広島の成長、だったはずだ。だがペトロヴィッチ監督は、自らが創造した「広島サッカー」のスキを熟知している。打破のための重要なピースは、様々な問題を抱えながらもペトロヴィッチ監督と対峙してきた原口元気と、広島時代からの愛弟子・柏木陽介だった。37分、広島は千葉和彦と森崎和幸のコンビでボールを奪い、人数をかけた攻勢に出る。だがここで原口が、前線でボールを収めた石原直樹から青山へのパスを読みきり「ボールを奪う」という迫力を持って守備に参加した。このボール奪取が、一つのポイント。そこからが速い。興梠のポストプレーから鈴木啓太、そして柏木へとつなぐ。このパスを水本裕貴は読んでいたが、球際で柏木が上回って前に運び、左サイドに張った原口へ素早くパスを出した。この高速カウンターによって、広島の守備の大立者である水本・森崎和、リベロの千葉までが置きざりにされた。
柏木の動きは、さらに秀逸。グイッ、グイッ。一気のスパート。絶対的な速さを持つ選手ではない。だが、「ここが勝負」と決意した男の走りは迫力満点だ。その柏木のために原口は、森崎和と塩谷を引きつけてスペースをつくる。全速で50m以上の距離を走り続けた柏木の右足シュートはニアを突き破った。浦和先制。爆発的な運動量と心拍が限界に達した上でも尚、正確なプレーができる能力。広島時代に「走るファンタジスタ」と筆者は称したことがあったが、その冠どおりのプレー。そこに原口の献身的なプレーの連続が絡んでの得点は、リスクをかける広島の攻撃姿勢を知り尽くした、ペトロヴィッチ監督の思惑どおりでもあった。
勝負を決めた2点目は、広島にとっては不運。阿部勇樹に対して森崎浩司が身体を寄せたプレーがファウルの判定。その時、前に転がったボールを柏木がダイレクトで左に展開し、原口がシュート。名手・西川周作のファンブルによる失点後、「FKの位置ややり方に問題があるのでは」と広島はアピールしたが、判定は覆らなかった。56分、森崎浩の美しいFKで1点差となった後は広島がペースを握ったが、浦和の堅陣を崩すには至らない。1点差になるまでの55分、素晴らしいサッカーを繰り広げた浦和に、勝利という凱歌は輝いた。
浦和は強い。個々の高い能力が組織として一つにまとめられ、広島時代は「芸術家」肌だった指揮官が、勝利に向けて相手の弱点を鋭くつく「勝負師」の顔も表に掲げるようになった。今季の優勝争いは、このビッグクラブを中心に展開されることは間違いない。2006年の来日以来初めて、挑戦を受ける立場となったことを自覚したであろう名将は、「広島の幸運を心から祈る」とかつて自らが主であったエディオンスタジアム広島の会見室で、つぶやいた。一方、偉大なる師の後継者たる森保一監督は、1週間で3試合目、浦和よりも一日休日が短かったことに対しても「そこは覚悟が必要」と疲労を敗因にはあげず、「試合開始からペースを握るようにならねば」と語る。生じた課題に向けて取り組もうとする挑戦者精神の高まりに、若き指揮官の心の躍動が見えた。
両チームの次の対戦は、8月3日の埼玉スタジアム。その時の両者は、果たしてどんな表情を見せるのか。ペトロヴィッチが生み出した兄弟の対決は、また次の局面を迎える。
以上
2013.03.03 Reported by 中野和也
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