振り返れば、いくつもの場面が蘇る。
このクラブがクラブとしての姿を初めて現したのは、05年の1月、熊本市内の百貨店で行なわれた加入発表の時。プレス資料として配られた選手名簿に彼の名前を見つけて、自分がプレーするわけでもないのに武者震いしたものだ。ギャラリーから聞こえた「タケシ! お前にかかっとるぞ!!」という男性の声が、今も耳に残る。
思えば高校時代からその存在は際立っていた。今から13年程前だったか、地元の情報誌で働いていた私は、雑誌で恒例の企画だった高校総体(県大会)の取材でちゃっかりサッカー会場に出向いて、彼がフリーキックを蹴るシーンを写真に収めたことがある。我ながら良く撮れたなぁなんて思っていたが、なんのことはない、ルックスも、キックのフォームも、ついでに言えば蹴ったボールの軌道も、とにかく被写体が素晴らしかったのだった(もちろん、このフリーキックは、FWの選手のヘディングにつながって得点に結びついた)。
このクラブの選手の中で、最初にインタビューしたのも彼だったと記憶している。その時から、「今までお世話になった人たちに、自分が地元クラブの一員としてJリーグでプレーする姿を見せたい」と話していた。岡山で行なわれた05年の全国地域リーグ決勝大会、決勝ラウンド第2戦でのゴールで「負けたら終わり」という状況にあったクラブを救い、JFLでの2シーズンを経て、彼は再び、いや、ようやくJの舞台へとたどり着いた。昨シーズンの広島とのゲームで見せたJリーグ初、そしてここまで唯一のゴールも忘れられない。
走る姿勢も美しいし、端正なマスクも影響して流麗なプレースタイルを想像してしまいがちだが、熊本に帰って来てからの彼はむしろ、泥臭くアプローチをかけ、激しく身体をぶつけ、ボールを狩るハードワーカー。そのお陰でカードもたくさんもらったし、JFL時代には、決勝点を挙げたのに警告2枚をもらって退場し、試合終了時にベンチにもいなかったこともある。だけど、ピッチを離れた時に見せる爽やかな笑顔とのギャップがまた、多くのファンをひきつける彼の魅力でもあったと思う。
とにかく、プロ生活はケガに泣かされた。同期で鹿島に加入した本山雅志や小笠原満男や中田浩二と比べれば、確かにそのキャリアは華やかではなかったかもしれない。ケガがなければ、代表に呼ばれていた可能性だってあっただろう。だがこうも思う。彼は間違いなく、熊本で輝いたのだと。
引退後の進路は未定だが、18日の練習後には、取材に集まった地元のメディアを前にこう話した。
「ここまでやれたのも家族や両親のおかげだし、今まで指導者の方やチームメイトにも恵まれた。指導者になりたいという思いもあるし、どういう形であれ、自分の経験を生かして熊本に恩返しできるような仕事をしたい。これからが長いですからね」
プロサッカー選手としての日々は、ひとまず今シーズンで幕を下ろす。しかし今日の練習でも、残り3試合で巡って来るかもしれない出場のチャンスに向けて、山口武士はいつも通りにボールを追った。
以上
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2009.11.19 Reported by 井芹貴志
J’s GOALニュース
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クラブ発足当時からの生え抜き。後方に写る原田拓、網田慎ら、大津高校出身の後輩に今後を託す
12年のプロ生活のうち5年と、在籍期間は熊本が最も長くなった
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