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【ACLベスト8進出チーム徹底紹介!】川崎フロンターレ編(09.09.21)

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11月7日(土)に決勝戦が国立競技場で開催されるACL。アジアの頂点、そしてFIFAクラブワールドカップジャパンでヨーロッパ代表バルセロナをはじめ世界の強豪と戦うためにアツき戦いが繰り広げられる。そこで、ベスト8に進出したクラブをここで徹底紹介していく! 

11月7日(土)開催、ACL決勝@国立のチケット情報はこちらから!

■クラブ基本情報(データ一覧)

Kawasaki Frontale(JPN)
川崎フロンターレ(日本)
昨季成績:リーグ2位
クラブ創設:1955年 ※富士通(株)サッカー部として
ホームタウン:神奈川県川崎市
スタジアム(収容人数):等々力陸上競技場(2万5000人)
主な成績:
Jリーグ
J12位2回(06、08)、J2優勝2回(99、04)
天皇杯0回
Jリーグヤマザキナビスコカップ準優勝2回(00、07)
過去のACL成績:ベスト8(07)
アジアクラブ選手権:出場歴なし
アジアカップウィナーズカップ:出場歴なし
アジアスーパーカップ:出場歴なし

■クラブ史(誕生から現在までの略歴など)

1955年、富士通株式会社のサッカー部として活動を開始。
1992年、Jリーグ発足時は2部にあたるJFLに所属し、特定のホームタウンを設定しなかった。
1996年、神奈川県の川崎市をホームタウンとする「富士通川崎サッカー部」に改称。同年にJリーグ参入を宣言し、業務提携を結んだブラジルの名門クラブであるグレミオを模して、水色と黒をチームカラーとした。
1997年、「川崎フロンターレ」を正式に名乗り、Jリーグの準会員となった。
1999年にJリーグのディビジョン2(J2)が創設されることを受け、その前年に開催されたJ1参入決定戦でアビスパ福岡に敗れ、J2でプロスタートすることとなった。
その最初の年となる1999年のJ2で優勝し、J1昇格を果たした。
しかし2000年、いきなりJ2降格を経験。
以来4シーズンをJ2で戦ったが、2005年に勝点と得点が三桁に達するダントツの成績でJ1に復帰。
復帰した最初の2006年と2008年にJ1で2位の成績を残し、今やJ1屈指の強豪チームへと成長したが、J1での優勝はまだない。ACLには2007年に初めて参戦し、ベスト8まで勝ち進んだが、イランのセパハンに敗れている。
川崎フロンターレはJ2で最初の優勝チームである。神奈川県川崎市をホームタウンとするチームはヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に次いで2クラブ目。神奈川県では現在、存在する4つのJリーグクラブの一つである。
現在も前身クラブの母体であった株式会社富士通が大株主ではあるが、川崎市が他の地元企業などとともに株式の一部を所有するなど、地域密着を推進している。


■監督&キープレーヤー紹介
関塚隆監督
2004年から川崎で監督を務め、J1に昇格させたばかりでなく、Jリーグを代表する強豪に押し上げた。2008年の途中に健康上の理由で一度辞任したが、2009年の開幕前に復帰した。公正な指導を旨とし、レギュラーとサブができるだけ競争意識を維持できる環境作りを意識している。しばしば選手を本職とは違うポジションで起用するが、それによって大きく飛躍した選手も多い。試合の状況に応じた選手交代で劣勢を逆転させることもある。

MF14 中村憲剛
日本代表のMFで、2010年南アフリカW杯のアジア最終予選の終盤戦では主力としてW杯出場に貢献した。本職はボランチだが、トップ下やサイドでも柔軟にプレーできる。長短の正確なパスに加え、ゲームを組み立てるセンスも非常に高いものがある。キャプテンではないが精神的な支柱として、苦しい時のチームを鼓舞する。

FW10 ジュニーニョ
元U–20ブラジル代表のストライカーで、川崎では在籍7年目を迎えている。JリーグではJ1とJ2で得点王を獲得。現在31歳ながらドリブルのスピードはJリーグでも依然トップレベルで、川崎の中盤の選手はボールを持ったらまず彼を見ることが多い。中村との「縦のホットライン」は対戦相手の脅威となる。明るい性格で、チームのムードメーカーであり、昨年から所属するレナチーニョ、ヴィトール・ジュニオールの良き兄貴分でもある。夏が大好きで、8月から9月に得点を量産する傾向がある。

GK1 川島永嗣
身体能力と観察眼に優れるチームの守護神。日本代表では正GKの楢?正剛の控えを務めることが多いが、年々川島の評価も上がってきている。守備範囲が非常に広く、DFの裏に出てきたボールを的確にクリアできる。またロングフィードも正確で、年に何回かそれがゴールの直接的な起点になっている。ディフェンスの選手は「彼がいるから思い切った守備ができる」と厚い信頼を寄せる。

FW9鄭大世(チョン・テセ)
北朝鮮代表を44年ぶりのW杯出場に導いたパワフルなストライカー。「人間ブルドーザー」とも形容される直線的なドリブル突破が持ち味だが、空中戦の競り合いも非常に強い。またアジア人離れしたミドルシュートでしばしばゴールを決めている。丈夫な肉体を誇り、今年7月に右ひざ内側側副じん帯を損傷したが、彼いわく「練習を2日以上休んだのはこれが初めて」。

■チームスタイル&戦術解説

FWの個人での打開力と決定力がJリーグ最高水準にあるため、それを生かした攻撃が主体となる。そのため守備に関してそれほどリスクを冒さなくても、少人数のカウンターで高い得点力を確保できる。とはいえ、関塚監督は個人と組織の融合を目指しているため、中盤でボールを支配できれば、サイドバックにも積極的な上がりをうながしている。
クロスに対しては基本的にはFWがフィニッシャーになるが、ボランチの一角である谷口博之の飛び出しも相手にとっては脅威になる。とはいえ、中盤でボールを奪ってからの素早いショートカウンターが主な得点パターン。中央の速攻にしても、サイドからのチャンスメイクにしても、多くの場面に中村憲剛が関わっている。
守備は空中戦に強い最終ラインをベースに、時間帯に応じて高い位置からのプレッシングと自陣でブロックを作る守備を使い分ける。かつてはDFの背後へのパスに対する弱さが指摘されたが、菊地光将がセンターバックに定着したことで解消された。現在も彼が欠場した試合では相手にそこを狙われる傾向が残っている。またリスタートなどで集中を切らしてしまうことがあり、セットプレーから失点するケースも少なくない。



■ベスト8までの勝ち上がり振り返り

3月に開幕したグループHでは、初戦で中国の天津泰達に1–0で勝利し幸先のいいスタートを切ると、敵地で韓国の浦項スティーラーズと引き分け。さらにオーストラリアのセントラルコーストに連勝。この時点でほぼ決勝トーナメント進出を決定的にした。しかし、第5節、敵地での天津泰達戦では、警告が飛び交う荒れた展開で本来の持ち味が出せず、連戦続きの疲労も影響し、1–3で敗戦。さらにホームのグループステージ最終戦も浦項に0–2と敗れ、首位通過を逃した。
その結果、グループFで首位となったガンバ大阪とラウンド16で戦うことに。その試合では[4-3-3]でスタートしたが、完全にガンバ大阪にボールを支配され、1–2のビハインドを負う。後半は[4-4-2]に変更して何とかボール支配率を押し戻したが、厳しい状況はしばらく変わらなかった。しかし、終盤になってガンバ大阪の足が止まると、レナチーニョのゴールでまずは同点に追いつき、さらに途中出場の黒津勝が自慢のスピードを生かして中村憲剛の縦パスに鋭く反応。殊勲の決勝ゴールで準々決勝進出を決めた。
チーム力自体はグループHでは1ランク上だったが、相手のファウルなどで冷静さを失うと脆さが出てしまっていた。しかし、ACLを戦う中で関塚監督の思い切った選手起用が実を結ぶことが多く、それが現在の厚い選手層にも繋がっている。

■チーム近況(7月中旬時点)

ガンバ大阪とのACLラウンド16に勝利する少し前からチームの状態は良かった。特にW杯アジア予選でJリーグが中断した6月上旬の合宿ではコンビネーションや競争意識を高める良い機会になり、その後の試合での養父雄仁や山岸智の活躍にも繋がっている。そのため選手層はJリーグ上位勢の中でも最も厚いが、さすがにJリーグ、ACL、ナビスコカップが平行する日程の中、連戦に次ぐ連戦の影響から7月には調子を落としている。
今夏における補強は特にないが、ポルトガルのベンフィカへの移籍が噂されたレナチーニョが契約を延長。黒津勝も先発機会を求め、他クラブへ移籍する意思を表明していたが、結局残留を決めた。彼らが残留したことはある意味、補強以上の効果があったと言えるかもしれない。ACLでは2007年に初出場ながら準々決勝に進んだが、イランのセパハンに敗れている。まずは前回超えを狙いたいところだが、今度の準々決勝の相手は同じ日本勢の名古屋グランパス。ここを勝って海外クラブと対戦したいという気持ちは非常に強い。いまだメジャータイトルを獲得していないため、どんなタイトルでも欲しいというのが本音だが、中でもACLは最大目標になっている。

■ホームスタジアム

神奈川県は日本の標準的な気候。秋口は湿気もそれほどではなく、中東や西アジアのチームにとっても特に過ごしにくいことはないだろう。
川崎がホームとする等々力陸上競技場は芝が短か目で、ボールがとても回りやすい。またジュニーニョのような快速ドリブラーにとってはスピードを生かしやすい芝と言える。スタジアムの収容人数は2万5000人で、Jリーグでは平均1万8000人ほどの観客人数を記録している。陸上トラック付きのスタジアムだが、2階席が1階席より前にそり出している個所もあり、敵チームの攻撃方向が川崎の応援サイドと重なると、相当なプレッシャーになる。また自由席では「席詰め」の習慣があり、それによって席に間が空かないことも、試合における迫力に繋がっているようだ。
「フロンターレ」というチーム名には「正々堂々と正面から戦う」という意味も含まれており、サポーターもそうしたプレーを好む。スタジアム全体がかもし出す威圧感はあるが、相手へのブーイングなどはJリーグの中でも非常に少ない。基本的にホームでは相手を攻め込めるが、いいリズムでもリスタートから失点するケースが多く、グループステージ最終節の浦項戦のような試合展開で負けてしまうことも多々ある。内容的な優勢を勝利に結びつけられない部分があるのは否めない。それでも、サポーターの声援をバックに攻撃を組み立ててくる川崎に対して、多くのチームが劣勢を強いられているのは確かだ。


■その他、エピソードなど

母国ブラジルでは「ロビーニョ2世」とも呼ばれたレナチーニョは、ブラジルのサントスから1年間の期限付き移籍の契約だったため、今夏にポルトガルのベンフィカから獲得オファーが届いたが、川崎でACLなどのタイトルを獲得するため期限付き移籍の期間を1年延長して残留した。

高畠勉ヘッドコーチは1991年から富士通サッカー部で5年間プレーし、翌年から現在まで川崎フロンターレ一筋である。関塚監督が2008年4月に辞任した際には監督に昇格したが、選手の厚い信望を得て乗り切った。現在は再びヘッドコーチに戻り、監督と選手を繋ぐパイプ役として重要な役割を担っている。

試合前にサポーターは必ず「川崎市民の歌」を合唱し、気持ちを一つにする。最後のフレーズは「好きです川崎 愛の町」で結ぶが、試合への意気込みと同時に地域密着への願いが強く伝わる歌である。

川崎は外国人の補強などにも定評はあるが、即戦力で安く、しかも伸びしろがある大学卒業の選手をうまく獲得することで継続的にチーム力を高めてきた。中村憲剛(←中央大学)をはじめ、伊藤宏樹(←立命館大学)、寺田周平(←東海大学)、菊地光将(←駒沢大学)など、現在も9人の大卒新入団選手がプレーしている。

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