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【ACLベスト8進出チーム徹底紹介!】パフタコール(ウズベキスタン)編(09.09.21)

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11月7日(土)に決勝戦が国立競技場で開催されるACL。アジアの頂点、そしてFCWCでバルサをはじめ世界の強豪と戦うためにアツき戦いが繰り広げられる。そこで、ベスト8に進出したクラブをここで徹底紹介していく!まずは、川崎Fか名古屋が勝利した場合に準決勝で戦う可能性のあるウズベキスタンのパフタコールを紹介する!

11月7日(土)開催、ACL決勝@国立のチケット情報はこちらから!
準々決勝第1戦 9/23(水・祝)川崎Fvs名古屋@国立 15:00 KICK OFFのチケット情報はこちら!
準々決勝第2戦 9/30(水)名古屋vs川崎F@瑞穂 19:00 KICK OFFのチケット情報はこちら!

■クラブ基本情報(データ一覧)
パフタコール/Pakhtakor (ウズベキスタン/UZB)

昨季成績:ウズベキスタン・プロフェッショナル・フットボール・リーグ(オリー・リーガ)2位

クラブ創設:1956年

ホームタウン:タシケント

スタジアム(収容人数):パフタコールスタジアム(3万5000人)

主な成績:
<ウズベキスタン・プロフェッショナルフットボールリーグ(オリー・リーガ)>
優勝8回(92、98、02、03、04、05、06、07)

<ウズベキスタンカップ>
優勝10回(93、97、01、02、03、04、05、06、07、09)

<ACL>
ベスト4(03、04)、グループステージ敗退(05、06、07、08)

<アジアクラブ選手権>
1回戦敗退(99/00)

<アジアカップウィナーズカップ>
ベスト8(98/99)、2回戦敗退(01/02)、予備予選敗退(94/95)

<アジアスーパーカップ>
出場歴なし


■クラブ史(誕生から現在までの略歴など)
1956年4月8日、旧ソ連の時代、ウズベキスタンの代表クラブとして設立。パフタコールとは、ウズベキスタンの名産品である「木綿を拾う人」という意味。ウズベキスタン全土から優秀な選手を集め、経験豊富な指導者バレンティン・ベフテネフを招へいし、集中的な強化を図った。1960年、ソビエト・トップリーグ(1部に相当)に昇格。スパルタク・モスクワやディナモ・キエフなど大都市の名門クラブの前に歯が立たず、残留争いが主だった。1962年、リーグ6位。1968年にはカップ戦で決勝進出。トルペド・モスクワに0-1で敗れたものの、中央アジア勢として唯一の快挙であり、旧ソ連全土にパフタコールの名前を印象づけた。1979年、選手団を乗せた飛行機事故により、選手、スタッフの大半が命を落とす。独立後は、リーグ戦を8回、カップ戦を9回制し、ウズベキスタン国内で圧倒的な強さを見せていたが、この1、2年はブニョドコルの台頭の影に隠れている。ウズベキスタンで最も愛される伝統クラブの意地を見せたいところだ。

■監督&キープレーヤー紹介
ビクトル・ジャリロフ監督
3年間にわたって、ラフシャン・ハイダロフが指揮を執っていたが、昨年10月ウズベキスタンカップ決勝の敗退の責任を取る形で更迭。後任に就いたのが現監督のビクトル・ジャリロフである。国際的な知名度は低いが、実績は確か。今回のACLベスト8進出の他、95年から00年まで指揮を執ったナフバホール(ウズベキスタン)では96年にリーグ戦、95年と98年にカップ戦を制している。またアジアレベルの大会では、97/98シーズンアジアクラブ選手権ベスト8進出、99/00シーズンにアジアカップウィナーズカップ4位を果たしている。

FW15 アレクサンデル・ゲインリフ
スキンヘッドの迫力ある風貌に違わぬワイルドなプレーを見せる。持ち味は、強引なドリブルと高い決定力。ウズベキスタン代表の不動のエースストライカーとして、04年、07年アジアカップで大活躍。しかし、FIFAワールドカップ南アフリカアジア予選では監督との確執により出番はほとんどなかった。

FW10 ファルホド・タジエフ
ウズベキスタン代表では控えに甘んじていたが、3月のカタール戦でスタメン出場を果たすと見事にハットトリックを決め、レギュラーの座を勝ち取った。「高さと強さを誇り、強烈な印象を持った」と、この試合を視察した日本代表の岡田監督も高く評価する。


■チームスタイル&戦術解説
ウズベキスタンのナショナルクラブとして、代表チームと同じスタイルで戦う。ボールポゼッションを基本に、最終ラインからビルドアップし、パスを回してゴールに迫る。たとえ相手が格上でも、アウェイゲームでも極端に引くことは稀で、オープンなサッカーを披露する。
ダルコ・マルコビッチとオディル・アフメドフの両中央MFが長短織り交ぜたパスで攻撃を組み立て、チャンスを演出。左SBのイルホムジョム・スユノフが激しくアップダウンを繰り返し、ゴール前へ正確なクロスを入れる。CBのボヤン・ミラディノビッチは、ボールをインターセプトすると、そのままドリブルで上がる。FWは、ウズベキスタン代表の2トップを並べている。鋭いドリブル突破からシュートに持ち込むアレクサンデル・ゲインリフとポストプレーを得意とするファルホド・タジエフである。彼らにボールを預ける意識はチーム全体に徹底され、いずれも抜群の決定力を持っている。
守備は、弱いと言わざるを得ない。前がかりになった際のリスクマネジメントができていないことと、代表の正GKであるイグナティ・ネステロフがライバルのブニョドコルに移籍。新守護神ジュライエフも代表に名を連ねるものの、後方からのコーチングとハイボールの処理に不安を残している。


■ベスト8までの勝ち上がり振り返り
第1節のアルアハリ(UAE)戦はアウェイながら2-1の快勝。第2節のアルヒラル(サウジアラビア)戦はホームで1-1のドロー。「ホームで勝てなかったとはいえ、最初の2試合で勝ち点4獲得には満足している」とビクトル・ジャリロフ監督が語ったように、幸先の良いスタートを切った。第3節は、ここまで2引き分けのサバ・バッテリー(イラン)とのアウェイゲーム。得意のポゼッションサッカーで相手を翻弄し、後半にザイニトディンとファルホドの両タジエフのアベックゴールにより2-0で快勝。続くホームでの第4節のサバ・バッテリー戦も同じような展開となり、1-0で勝利。これにより2試合を残して、グループリーグ突破を決めた。
一発勝負のラウンド16を有利なホームで戦うべく、あくまでも首位を狙ったパフタコールは、第5節のアルアハリ戦(ホーム)で2–0の勝利を収めたが、落とし穴は最終節に待っていた。敵地でのアルヒラル戦は、午後8時50分キックオフながら、43℃という暑さの影響もあり0-2で完敗。2位通過となってしまった。
ラウンド16では、アルイティファク(サウジアラビア)と対戦。「同じ過ちは犯さない」と指揮官が誇らしげに語ったように、暑さに慣れ、コンディションを落とさず試合に臨み、2-1で勝利。6年ぶり2回目となるベスト8進出を決めた。


■チーム近況(7月中旬時点)
この夏の移籍市場で、明らかにチーム力はダウンした。8シーズンにわたってゴールマウスを守り続けたイグナティ・ネステロフが退団し、ライバルのブニョドコルに移籍してしまった。第2GKのテムール・ジュライエフ、ホラズムより新たに獲得したエルキン・ジャバロフがどのように彼の穴を埋めるかが、注目される。その他に11選手が、パフタコールを離れた。その中には不動の右SBイスロム・イノモフ(アンディジョン)、点取り屋ザイニトディン・タジエフ(中国/天津泰達)といった主力が含まれている。
パフタコールの資金力は年々上がっているものの、オイルマネーを背景とするブニョドコルや外国のクラブには太刀打ちできない。「派手な補強はしない。若手の成長に賭ける」とビクトル・ジャリロフ監督が語るように、即戦力の獲得はセルビア出身のミラン・ニコリッチに留めている。
リーグ戦では16試合で勝ち点39を獲得し、2位。カップ戦では決勝に駒を進め、09年8月8日、同じくACLベスト8に勝ち残っているブニョドコルと対戦し、1–0で勝利した。しかし、国内での活躍はあくまでもブニョドコル、パフタコールの2強体制の恩恵である。ポゼッションサッカーというスタイルが確立されているものの、主力の数人を除けば個人のクオリティは高くない。
ACL準々決勝で対戦するスター軍団のアルイテハド戦は厳しい戦いが予想される。


■ホームスタジアム
旧ソ連時代は、4万人以上の大観衆が熱狂的な大声援を送っていた。スモールクラブでありながら、モスクワやキエフのビッグクラブを相手にし、20シーズン以上にわたってソ連トップリーグで戦ってこられたのは、絶大なホームアドバンテージがあったからに他ならない。
独立後はリーグ全体のレベルがあまりにも低いこともあって、4万人以上集まるのは、ブニョドコルとのダービーマッチのみ。リーグ戦では1万人前後しか集まらない。それでもパフタコールはウズベキスタンで最も愛されるクラブであり、特に旧ソ連時代を知る年配のサポーターは熱い。「パフタコール、チャンピオン」と90分間叫び続け、陸上トラックをものともせず、チームを後押しするような熱狂的な雰囲気が醸し出される。
ACLは愛国心を再認識できる場として国民の間に浸透しており、一般のファンも大きな関心を寄せ、その熱狂度は数倍に膨れ上がる。
中央アジアということで、便数も限定されるなどウズベキスタンへのアクセスは不便だが、相手に不要な疲れを与えることができるのは、逆に大きなアドバンテージと言えよう。


■その他、エピソードなど
旧ソ連時代は、ヨーロッパの3大カップへの出場経験はない。94年にウズベキスタンがAFCへ加盟すると、パフタコールはアジアの舞台の常連となる。初出場は、93年のカップ戦ウィナーとして臨んだ94/95シーズンのアジアカップウィナーズカップだった。カザフスタンで行われた中央アジア諸国の予選リーグを戦い、初戦のラフシャン・クルヤブ(タジキスタン)戦を10-0の大勝で飾るも、タラズ・クラブ(カザフスタン)との首位決戦を0-3で落としたことがたたり、グループ2位となり勝ち抜きはならなかった。

98/99シーズンは、2回戦のニサ・アシュハバト(トルクメニスタン)戦が圧巻だった。敵地での第1戦を0-5で大敗した後、奇跡はホームでの第2戦で起こった。余裕を見せる相手に猛攻を仕掛け、ゴールを量産。結局6-0で大勝し、2試合合計6-5で勝ち抜きを決めた。ACL全7大会に出場しているのは、今やパフタコールのみである。「我われこそアジアナンバー1にふさわしい」とサムベル・ババヤン会長は、誇らしげに語っている。

11月7日(土)開催、ACL決勝@国立のチケット情報はこちらから!
準々決勝第1戦 9/23(水・祝)川崎Fvs名古屋@国立 15:00 KICK OFFのチケット情報はこちら!
準々決勝第2戦 9/30(水)名古屋vs川崎F@瑞穂 19:00 KICK OFFのチケット情報はこちら!
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