アイコン:インタビュー INTERVIEW インタビュー

Jリーグ.jp
コンテンツを選択してください

2023年5月17日(水) 08:00

「最古参」五領淳樹にとっての鹿児島ユナイテッドとは? 一番の思い出、そしてこれからの夢

「最古参」五領淳樹にとっての鹿児島ユナイテッドとは? 一番の思い出、そしてこれからの夢

鹿児島ユナイテッドFC創設2年目から在籍し、チーム最古参として存在感を魅せる五領淳樹。今シーズンもこれまで全試合に出場しチームに貢献している。
オフザピッチでもその明るさと優しさで絶大なる信頼を獲得。“誰にでも愛される”―五領淳樹の魅力と歴史に迫る。

――琉球戦で3連勝!本来の力が発揮できつつある理由は何かあるのですか?
選手で決起会のようなものをやったんですよ。やっぱりそこでコミュニケーションが取れたし、チームがまとまるきっかけになったのかなと思いますね。元々仲良かったんですけど、それでもやっぱりまだ深く話せていなかった選手もまだいた中で、決起会があったことがきっかけで全員の本当の部分、素の部分を見られたのは大きかったのかなと思います。

――WBCも決起会が話題になっていましたよね!
そうそう!やっぱりああいう事って大事だなっていうのは痛感しましたね。
決起会のその後にボーリングにも行ったり、先日はオフの時に“KUFCゴルフ部”が結成されてゴルフに行ったりとか。その決起会をきっかけに“お前もゴルフやるんだ!”みたいな輪が広がっていって。決起会が大きかったですね!

――五領選手もゴルフを・・・?
自分はゴルフやっている!と言いたくないぐらいのレベルね!笑
でも始めたばかりのメンバーも何人もいたから、そのレベルだったら行こうかなーと。
スコアですか・・?142(笑)いやでも、今回のゴルフ部で軽くゴルフ熱が高まった気がします。

――そんななか、常に最古参としてチームを明るく照らす五領淳樹選手の魅力に今日は迫ります!まずサッカーを始めたのはいつですか?
生まれてすぐボールが常に傍にありました。
5つ上の兄がいて、自分が生まれたときにはお兄ちゃんがサッカーをやっている状況だったことが大きくて。親がいつも兄ちゃんのサッカーに連れて行く時に自分ももちろん練習場にいて、ボール遊びをしていました。生まれてすぐサッカーをしていたようなものです。

正式にサッカーチームに入ったのは幼稚園の年中の時。カトレア幼稚園っていう幼稚園にサッカーチームがあったんです。結構名門なんですよ!親に感謝ですね!
小学校3年生まではそのカトレアの小学校チーム“カトレアキッカーズ”に所属していて、小学校4年生になった時に、スクールに通っていた“アミーゴス鹿児島”のチームに入りました。

幼稚園のチームも本格的で、先生が厳しく指導してくれました。厳しい先生だったんですけど、めちゃくちゃ好きだったんですよ!先生のこと。サッカーを嫌いにならずずっと好きでいられているのは先生が原点かもしれないですね。八木先生です。今どうされているんですかねー!会いたいですね。でも今会ったら緊張するなあ・・・。優しさの中に厳しさがあったから、お会いしたらピシ!っとなると思います。

――プロを本格的に目指そうと思ったのはいつですか?
Jリーグが開幕した時自分は4歳。何となくやっぱり盛り上がりを見ていて。好きなチームは横浜フリューゲルスでしたね!鹿児島で試合する時鴨池に見に行っていました。親が毎回連れて行ってくれていましたね。

――現役時代の大嶽監督を見ていた!?
見ていました!あと前園真聖選手とか!鹿児島に来るチームは基本応援していました。京都もそうですね。京都もラモスさんとかカズ(三浦知良)さんとか。
プロの世界を見ることができる唯一の機会だったから、その頃でしたね。“俺もなりたいな”みたいな感じになったのは。見に連れていってくれた、環境を作ってくれた両親に感謝ですよね。

――高校は神村学園に進学しました。神村学園を選んだ理由は?
鹿児島実業はまずなかったんです。自分の中で。鹿実を倒したかったですね。憧れる部分もあったんだけど、同じ年代で中学時代からスーパーと言われる選手が鹿児島実業に進むわけですよ。そのライバルを倒したかったんですよね。新人戦で神村学園が初めて優勝した試合を見て、「神村に行こう!」と直感でしたね。神村に進むメンバーを見ていても、(鹿児島ユナイテッドFC元選手・現スカウト担当)永畑祐樹もいたし、中等部から上がってくるメンバーも強いし、これいけるかも!と思いました。
でも…そこには厳しい世界が待っていた!!笑

――神村学園での厳しい日々が・・!?
やっぱり上下関係の厳しさが!先輩が・・怖かった!
でも自分先輩に甘えるのが得意だったんですよ。先輩がこっそり助けてくれたりして乗り越えられましたね。
めちゃくちゃ厳しかったけど、今もその経験が活きてる!
礼儀とかめちゃくちゃ厳しかったし、挨拶一つとってもそうでしたけどあの3年間は…戻りたくはないけど(笑)色々な事を学んだし、高校の仲間が一番仲いいですね。今でも毎年会うし。

――同世代には大迫勇也選手(ヴィッセル神戸所属)がライバル鹿児島城西高校に在籍していましたよね!
1歳下ですね!対戦していました。1年生のときから怪物でした!自分たちが2年生の時に選手権出場した時も、県予選の決勝で1年生だった大迫に決められているし。神村は3年生のセンターバックだったんですけど、1年生が普通に3年生背負っていました。怪物でしたね!当時から。

――選手権やインターハイの出場経験は?
2年生の時のインターハイはメンバーに入っているだけで試合も出ていない状況で。選手権も県予選は全くでていないんです。全国大会で途中スーパーサブのような感じで出場したんです。選手権前に運良く調子が上がって、途中出場で出た試合で得点をとって。2試合連続途中出場でゴール!それがきっかけで“スーパーサブ”という名前がついて。ベスト4までいきましたね。でもその後3年生になってもスーパーサブで・・。それは自分の中では悔しかったです。

――やっぱりスタメンで出場したかったですか?
監督に一度「なんで自分は途中からなんですか?」って聞いたことがあります。そこで監督から言われたのは「途中から流れを変える存在は貴重だから」と。

その経験はプロになってからも、活かされている。サブの時の気持ちの心構えとして気持ちが楽なんです。サブに入っていても、あの高校の時もできたし!って。今までの経験が色々やっぱり活きていますよね。

――鹿児島に在籍して9年目。色々な監督と共に戦う中で起用の方法も変わると思いますが、常に試合に関わり続けている理由を自身ではどのように感じていますか?

プロになったばかりのロアッソ熊本時代には、使ってもらえなかったらふてくされました。熊本時代に、今クリアソン新宿でコーチしている北嶋(秀朗)さんという方がいるんですけど、僕がロアッソ時代に北嶋さんは引退してコーチになったんです。俺が試合に出られずにふてくされてるのを見て「お前そんなんじゃもう終わるよ」と言ってくれたんです。

まっすぐな気持ちを言われたんですよ。それがすごく響いて。そこから腐ることをやめたし、熊本を契約満了になっても、全然ネガティブにならずに、どこでもいいからサッカーをしたいっていう気持ちでいられた。
その後JFL時代の鹿児島入ることになったんですけど、上のカテゴリーに戻ってやろうという気持ちしかなかったし、そこからどんな状況でも試合に出るために何をするべきかを考えられるようになったから。

熊本で北嶋さんに言われてなかったら、絶対こんな風に9年間鹿児島にいることもなかったでしょうし、プロとしての生活も絶対終わっているだろうなって思うから。
めちゃくちゃ感謝していますね。

――鹿児島在籍の9年は五領選手にとってどんな時間ですか?
本当にやっぱこの世界はやっぱり、去っていくものもいればまた新しい出会いがあって。色々な出会いがあって面白いですね。なんか幸せですよね。それが地元だからなおさら。
改めて鹿児島の良さを感じます。桜島一つとっても高校の頃は何も思わなかったけど、やっぱり鹿児島に帰ってきてこの景色ってやっぱり特別なんだな、と感じるようになったし。
鹿児島ってすごく良いとこなんだな!って感じます。

――25歳で加入して今…?
今年34!
色々なものを見てきたし経験してきたし。昇格も降格も。

――鹿児島ユナイテッドFCでの一番の思い出は?
神村学園で一緒にプレーした永畑祐樹と一緒にプロの世界でやれたという事が、自分の中ですごく嬉しかった事を覚えていて。ハチもね!(八反田康平・現ジェイリースFC所属)ハチも小学校から選抜で一緒だったし。
カテゴリーは抜きにして同じチームでもう一度一緒にサッカーができたという、本当に個人的な思い出になるけど。
だから、祐樹が引退するときはめちゃくちゃ悲しかった。

高校時代からともにプレーした永畑祐樹との共闘が一番の思い出だという。

――泣きました?
うーーーん。奥さんは知っているんだけどね。
……トイレで泣いたんだよね(笑)

まだやれたと思ったから。
でもそこは本人が決めることだし、精一杯やったんだろうなっていう。俺もその分頑張らないとなっていう気持ちになりました。

――一番思い出に残っているゴールは?
JFL時代の沼津戦かな。地元の霧島市国分で試合できた事がまず嬉しかったのと、そこでゴールを決められたということ。それまでずっと途中出場だったんです。ここで結果を出さないとスタメンになれない、という想いがあった中での、沼津戦だったんですよ。途中出場でゴール決めることができて。しかも利き足とは逆の右足でね!しかも父の日で親父も来ていて。
結局それをきっかけに、スタメンになったり。だからそのゴールがなければもしかしたら、俺はその1年で鹿児島からいなくなっていたかもしれないですね。今鹿児島で9年やれているきっかけはそのゴールかもしれない。

――J2昇格への想いを聞かせてください
前回のJ2昇格した時が、自分自身が怪我をしていて、その瞬間ピッチに立てていなかった。そこがずっと引っかかっていて。昇格するその瞬間、ピッチに立っていたいし、味わいたい。
本当の意味で。そこは何としてでも味わいたいですね。昇格だけではなくて、やっぱり優勝したい!そこが一番!
何としても優勝して昇格したいなっていうのは、強く思いますね。

――五領選手がずっと鹿児島でプレーすることを選んでくれている理由は?
もちろん上のカテゴリーにいきたいという思いはありましたけど、在籍5年位の頃ですかね…「ここで。鹿児島で!…J1までいきたい」と強く思うようになりました。

それと環境面が自分がいる間に全部整ったら・・・相当多分感動するし。
スタジアムとクラブハウスができるまでやりたい!という思いもめっちゃ強いし。

一つのクラブの成長を見ることができるってなかなかできないから。契約してくれることに感謝ですし、幸せだなと思います。

鹿児島での夢はJ2、そしてJ1昇格!

――五領選手と一緒にJ1へ!スタジアムも環境面が全て整うシーンも見たいですね!
そのためにまずは優勝しないとですね!シャーレを掲げるアレ!やりたいです!

――琉球戦で鹿児島ユナイテッドFCはホームゲームJリーグ通算ホームゲーム50万人を達成しました!
大きな一歩。毎試合たくさんの方が来てくださって、観客数もJ3のレベルではないと思っています。今年結果を出してしっかりJ2に上げて、たくさんの方に見に来ていただけるようなクラブになっていきたいと思います。

――次は100万人!そしてその先へと進みます!
その景色の中にまた僕が居られるように、僕自身も頑張っていかなければいけないですし、カテゴリーが上がることでサポーターさんも増えると思うので僕たちはしっかりカテゴリーをあげられるように頑張っていきたいです!

五領選手からサポーターのみなさんへメッセージ

―最古参。鹿児島ユナイテッドFCの歴史と共に歩んできた五領淳樹。これまで経験してきた全てのことを素直に吸収し自分の力に変えてきた。ベテランとして若手の選手へ、その経験をバトンしている。
―五領淳樹と共に未来へと進もう鹿児島。
まずは今シーズン最後にシャーレを掲げる五領淳樹の笑顔を見たい。

(文・有賀真姫)

有賀真姫 MAKI ARIGA
フリーアナウンサー・スポーツライター・鹿児島県サッカー協会理事
テレビ・ラジオなどの出演をはじめ、鹿児島ユナイテッドFCのスタジアムDJを務めるなどスポーツMCとしても活動。
鹿児島ユナイテッドFCの前身クラブ、ヴォルカ鹿児島・FC鹿児島時代から取材。「鹿児島サッカーマガジン☆カゴサカ 」ライター兼代表を務める。

特集・大会

特集・大会をもっとみる

J.LEAGUE TITLE PARTNER

J.LEAGUE OFFICIAL BROADCASTING PARTNER

J.LEAGUE TOP PARTNERS

J.LEAGUE SUPPORTING COMPANIES

TOP