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【J2日記】愛媛:シュウと過ごした10年間は宝物(13.11.21)

「愛媛で10年プレーすることができて、サポーターとクラブには改めて感謝したい」

J2通算276試合出場31得点。
赤井秀一選手はJFLでの2年間、そして天皇杯も含めると愛媛で公式戦300試合以上に出場しただけでなく、2009年には10得点を挙げるなど愛媛の中心選手として走り続けてきました。

「シュウと過ごした10年間は宝物 ありがとう偉大な『16』俺達のミスター愛媛」
ホーム最終戦のセレモニー後、ゴール裏にはテープで『赤井』と記されたビッグフラッグが登場し、その直後にコレオグラフィーで赤井選手の背番号『16』が現れ、さらに上記のメッセージが書き込まれた横断幕が掲げられました。クラブから契約満了が発表されたのはホーム最終戦の当日。突然の出来事でしたが、サポーターもできる限りの形でクラブを支えてきた功労者を労おうとしました。

「10年間いろいろあって、一番の思い出というのはなかなか決められないけれど、やはりJ新加入が決まったJFLの都田(HondaFC戦)のシーンが思い出深いですね(2005年)」と本人は振り返りましたが、確かにその試合は彼のサッカー人生にとって大きな節目になりました。愛媛に来て2年目、サッカースクールのコーチをしながらつかんだ「プロサッカー選手になる」という夢。そのJFL2位以内を決めたHondaFC戦では、リードを許しながらも後半には同点、逆転ゴールに絡み、ゴールが生まれる度にピッチサイドの看板の裏まで駆け寄ってきたサポーターと喜びを分かち合いました。

2004年には、その年が最後となった青いユニフォームを着て戦い、11,051人を集めたホームの四国ダービーでは直前のハンドで取り消された「幻のゴール」も。結果はスコアレスドローでしたが、ダービー初勝利に近づいた大舞台でした。そして2006年、念願だったJ初年度は開幕前に骨折。初出場は5月17日の第16節、アウェイ水戸戦になりました。8月6日の第32節、国立での東京V戦ではJ初ゴールも記録しました。
中盤のサイドだけでなく、ボランチなど複数のポジションをこなしてプレーの幅を広げながら活躍を続ける彼には、いつしか「ミスター愛媛」という称号も与えられました。本当にいろいろと思い出されることは多いのですが、心残りなのは「このチームでJ1に昇格したかった」ということ。「こういう世界でやっている以上、覚悟はしていた」とは言うものの、別れの時はあまりにも突然でした。

というのも、今シーズンもここまで25試合に出場、2得点を挙げています。「まだやれるといろいろな人から声を掛けてもらった」とも言いますが、それは本人が一番わかっていること。今は納得をして、燃え尽きるまで現役を続けるつもりです。
愛媛一筋で10年。違うクラブでプレーできれば、それはまた彼にとっては貴重な経験を積むことがきるチャンスでもあります。

ありがとう、シュウ。今はただ、次の新たな可能性が実現することを願うばかりです。

以上

2013.11.21 Reported by 近藤義博
(C)近藤義博

ビッグフラッグには急遽『赤井』の文字が入れられました

(C)近藤義博

コレオグラフィーの下にも数々の赤井選手の横断幕が。いつも多くのサポーターから愛されていたことがうかがえます

(C)近藤義博

「シュウと過ごした10年間は宝物 ありがとう偉大な『16』俺達のミスター愛媛」。サポーターの思いが込められたメッセージです

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