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【J2日記】G大阪:歴史を受け継ぐということ。(13.05.20)

今から20年前の5月15日。ガンバ大阪は関西唯一のJリーグクラブとして、Jリーグ開幕のピッチに立っていた。対戦相手は浦和レッズ。今もホームスタジアムとして使用している万博記念競技場での対戦は、現在、ヴィッセル神戸で副社長を務める和田昌裕氏のゴールで1−0で勝利し、白星発進となった。

あれから20年。当時の試合を知る選手も、現場スタッフもいない。クラブ事務所で働く職員には当時を知る方も何人か残っているが、現場はとなれば『Jリーグ開幕』をピッチで迎えたのは、長谷川健太監督ただひとり。その事実に、歴史を重ねることへの感慨深さを感じつつ、一抹の寂しさも感じる。
それでも、クラブの歴史が多くの歴代所属選手、スタッフによって支えられてきたという事実に変わりはない。年間成績7位に終わったJリーグ初年度も、クラブ史上初めて年間総合順位が最下位に終わった95年も。『浪速の黒豹』と親しまれたFWパトリック・エムボマを擁し、クラブ史上初めて白星が黒星を上回り、過去最高の年間4位で終えた97年も。西野朗氏を新監督として招聘し、クラブのベスト順位を3位に塗り替えた02年も。その西野氏のもとで、初めてJリーグ王者に輝いた05年、ナビスコカップ覇者となった07年、そしてACLを制し、クラブワールドカップで躍動した08年も。そして、08、09年の天皇杯連覇のあと、クラブ史上初のJ2降格を味わった12年も。いいことも、悪いことも、全ての歴史が『ガンバ大阪』のもので、結果はともかく、そこに毎年多くの選手、スタッフ、関係者の尽力があってこそ、受け継がれてきたのだ。その過去があって今があるからこそ、チーム最年長選手であり、Jリーグでのキャリアもチームでは最も長いMF明神智和は今、このクラブで戦うことへの感謝の気持ちと責任感を口にする。

「歴史というのは今、ガンバ大阪に在籍する人たちだけで作られたものではないですから。毎年、毎年、多くの人たちの力が注がれて作られ、今のガンバがある。だからこそ僕たちはその人たちへの感謝の気持ちを忘れてはいけないし、今、このガンバで戦っていることに対しての責任をしっかりと背負わなければいけないし、受け継がれてきた歴史を、また後の世代の選手たちへと受け継いでいかなければいけない。Jリーグも同じで、今でこそ日本人が海外でプレーすることが当たり前になったけど、それらも全て歴史が紡いでくれたことだと思いますから。そのことが当たり前になってきた喜びと、それを当たり前だと思い過ぎちゃいけないという両方の気持ちをもってプレーしていかなければいけないと思っています」

そんな明神に、彼にとっては18年目のシーズンとなるJリーグでの印象に残る思い出について尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。
「対戦相手として戦った横浜フリューゲルスの、ジーニョ、エバイール、サンパイオのブラジル代表トリオはスーパーでした。サッカーをやっていてあんなにも抵抗しようがないと思ったのは初めて(笑)。実際、初めて対戦した時は、僕があまりに何もできなさすぎて30分くらいで交代させられました」
その言葉を聞きながら、現在川崎フロンターレでプレーする、かつてのチームメイト、DF中澤聡太から言っていた言葉を思い出す。
「ミョウさんは同じチームにいれば百万力だし、敵チームにいたら絶対に関わりたくない選手。あのスッポンマークは半端ないし、『一体、ピッチに何人ミョウさんがいるんだ?』っていうくらいピッチのあちこちに存在感を感じる」

プロになりたての頃、「この選手には叶わない」という思いが明神の向上心に火をつけ、日々努力を続けてきたことで、試合出場数がJ1リーグ歴代4位(460試合)を数える今のキャリアを築き上げた。その明神の戦う姿に、後輩選手が刺激され、牽引され、向上心を抱く。これもまたJリーグの歴史が紡いできた大事な一コマなのだと思う。

以上

2013.05.18 Reported by 高村美砂

明神智和選手

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