「映画でサッカーの魅力を伝える」をコンセプトとし、サッカーファン、映画ファンから高い支持を集める『ヨコハマ・フットボール映画祭2013』の二日目の公演が2月16日(土)、横浜のブリリア ショートショート シアターで行われた。
このサッカー映画の祭典であるヨコハマ・フットボール映画祭では、すべての公演で映画の合間には豪華ゲストを招いてトークショーを実施している。映画を見ただけでは知りえない真実や裏話などを聞くことで、再度映画を振り返って二度楽しむことができるのが、本映画祭の魅力でもある。この日の『狂熱のザンクトパウリ・スタジアム』上映後の、『アナキスト サッカーマニュアル』の訳者・甘糟智子氏と、Rage Football Collectiveのメンバー・古屋淳二氏によるトークショーが良い例だ。
「そもそもザンクトパウリというチームは何のか? ドイツでサポーター化しているネオナチや右翼集団が攻撃する対象である、左翼やゲイ、移民の人やアーティストたちなどの反右翼、反ネオナチの対抗ムーブメントが背景にあるクラブなんです」(司会者・清氏) 映画自体は、ザンクトパウリを知っている前提で作られていたが、遠い異国のことであり、そこまで詳しい内容はトークショーを聞いてこそ知りえた内容だ。 「チームのマークにはドクロが使われていますが、ドクロマークは海賊の象徴。海賊は無法者と言われているが、彼らには彼らの秩序があります。『人から押し付けられたものではなく、自分たちで決めた秩序を守る』と。こういった『自己決定』がザンクトパウリのサポーターの精神的な柱となっているアナキズムなんです」(甘糟氏)
この日は、ドイツ・サッカーの父といわれる英語教師と少年たちの実話を映画化した『コッホ先生と僕らの革命』や、サッカー映画史上に残るイタリアン・コメディの傑作『ローカル・サッカー・クラブのヒーロー』、上記の『狂熱のザンクトパウリ・スタジアム』など、計4作品が上映された。そのうちのひとつ『フットボール・アンダーカバー-女子サッカーイスラム遠征記-』では、女子サッカーのアマチュアチームの、政治や文化の違いなど様々な壁にぶつかりながらも奮闘する姿が描かれている。その異文化のひとつが、イスラムを主な宗教とする中東の国々で女性が被るビジャーブをサッカーの試合中にも着用することだ。“アンダーカバー”とはそれを意味する。
「2011年に、このビジャーブを被ることが、国際サッカー評議会で禁止されました。でも、それから1年後、そのルールが覆ったんです」 こう話すのは、女子サッカージャーナリストの江橋よしのり氏だ。 「イランをはじめ、中東各国のサッカー協会が尽力し、さらにはヨルダンのアリ王子という、FIFA(世界サッカー連盟)の副会長でもある人が、イスラムの女性にとって必要であること、宗教の尊重などを訴え、国連までもが動いて、ついにはその意見が受け入れられたんです。評議会の決定が覆るのは非常に異例なことです」
これもまた、映画を見ただけでは知りえない真実だ。『ローカル・サッカー・クラブのヒーロー』上映後にトークショーを行った、スポーツ総合研究所株式会社の所長である広瀬一郎氏は、主に映画の舞台となったイタリアにおける危険(?)な体験談などを話した。国際サッカーイベントの実施の業務に携わるなど、海外サッカーと日本の架け橋的な存在となっている広瀬氏だからこそ話せるコアな話題に、会場は奇妙に静まり返っていた。
「子どもたちが今まで押さえ付けられていたものを、『これではいけない』とサッカーを通じて感じ始めていたのがすごく新鮮でした。ドイツにもこういう時代があったのかと、自分の知らなかったことも多くありましたね」 こう話すのは、株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜FC)代表取締役会長兼ゼネラルマネージャーの奥寺康彦氏。ドイツ映画『コッホ先生と僕らの革命』を上映後、ゲストとしてトークショーに登場。
奥寺氏といえば、日本人として初めてドイツ・ブンデスリーガでプレーした、いわば現在の欧州移籍のさきがけとなった人物だ。2010年南アフリカ・ワールドカップ後に多くの選手がブンデスリーガに移籍したことについて話が及ぶと、奥寺氏は目を細めた。 「非常に嬉しいです。単にサッカーが上手いだけでなく、日本人のメンタル、国民性、献身的な姿勢、フォア・ザ・チームでプレーするところが認められているからです」
【ヨコハマ映画祭に『徹壱の部屋』がやってきた】
「『ソカ・アフリカ』という、アフリカの選手がヨーロッパに移籍する現状を描いたドキュメンタリー映画を見たとき、ディディくんのことを思い出したんです」(宇都宮徹壱氏) 同日、映画祭の一時中断の間に、マリノスカフェに場所を移して行われた『スペシャルトークショー 徹壱の部屋 ヨコハマ映画祭編』。前半は、写真家・ノンフィクションライターの宇都宮徹壱氏、本映画祭の実行委員で東邦出版・編集長の中林良輔氏、同じく実行委員でデザイナーの鈴木彩子氏の3人によるスペシャル対談。
冒頭の宇都宮氏のコメントは、ご自身の著書『股旅フットボール』(東邦出版刊)にも書かれているグルージャ盛岡で出会ったひとりのカメルーン人、ディディエ・コウアカムさんの話だ。ヨコハマ・フットボール映画祭で上映されている映画がきっかけとなって宇都宮氏の記憶にディディさんが蘇り、さらには奇跡的な出来事へとつながった。 「盛岡での取材以来、会っていなかったんですが、検見川グラウンドで行われていたラトビア2部リーグのチームのセレクションを観に行ったときに、偶然にも再会したんです」
同書に編集として携わった中林氏も、その話を聞いたとき、仕事が手につかないくらい驚いたという。 「僕自身、本の制作中において、ディディくんの写真があってもいいのでは、と思うくらい印象深い選手でした。忘れかけていたんですが、そんなこともあるんだな、と」実はこの3名がチームを組んで、宇都宮氏の最新刊を制作中とのこと。そう遠くない時期に刊行される予定だ。 「宇都宮さんの写真は構図と色と登場人物と、すべてが素敵で、ひとつの絵になっているので、そこを崩さないように気をつけてデザインしたいと思います。読物として一生物の本になるように、愛される本になるようにします」(鈴木氏)
スペシャルトークショー後半では、「コッホ先生を見て嗚咽しそうになった」と言う、シンガーソングライターの篠原美也子氏と宇都宮氏の2人による対談が行われた。 映画の感想に始まり、スポーツ観戦の楽しみ方やスポーツと音楽の関連性、サッカーをプレーするお子さんの話題など、トーク内容は多岐に渡った。その中で、大阪・桜宮高校や柔道日本代表女子など、昨今話題となっているスポーツにおける体罰問題について宇都宮氏は、母親としての篠原氏はどう考えているのかを聞いた。 「フェアプレーという精神を伝えるためにサッカーという競技を授業に取り入れていましたよね。スポーツに嘘はないと思います」
この日に観た『コッホ先生と僕らの革命』から多くを学んだ。 「最近、息子が通い始めたサッカーチームは、自分以外は別の小学校の子たちで、最初はぎこちないところがあった。でも、サッカー以外の時間も遊ぶようになると、パスが来るようになった。子どもは残酷だし、はっきりしている。でも、そういうところから信頼関係を築くんだということ、それに応えること、チームのためにという献身的なところなどを学んでほしいと思っています。そういう意味で、コッホ先生が『とにかくサッカーをやってみなよ』と言った中にあるメッセージはすごく伝わりました」
【17日最終日、西部謙司氏が語るミュンヘンの悲劇】
現在では香川真司が所属するマンチェスター・ユナイテッドの本拠地オールド・トラッフォード。その一角に設置された時計の針は「3時04分で止めておくべきだ」という声が、一部のファンの間では根強い。
「まずはダンカン・エドワーズについて話さなければいけない。彼は神童でした。15歳くらいから注目されだして17歳でイングランド代表になっていたんですから。ポジションはハーフバック、いまのボランチですね。ゆくゆくは世界一の選手になると言われていました」 気鋭のサッカージャーナリスト、西部謙司氏が目尻を緩めて語りだす。過去最大入場者数を記録したヨコハマ・フットボール映画祭最終日公演でのトークショー。満席の会場で、その博識ぶりを披露した。
ダンカン・エドワーズは、当時「バスビー・ベイブス」と呼ばれたマンチェスター・ユナイテッドにて、18歳の若さで中心選手として活躍した名選手である。ほぼ同世代のボビー・チェールトンをして「私が唯一劣等感を感じたプレーヤーだ」と言わしめたという。 将来を約束されたエドワーズだったが、21歳の若さでその人生の幕を閉じている。今も語り継がれるミュンヘンでの飛行機事故に巻き込まれたのだ。1958年2月6日午後3時04分の出来事だった。映画『ユナイテッド〜ミュンヘンの悲劇〜』では、彼の最期が描かれている。 「映画のなかで監督のバスビーはコーチのジミー・マーフィーに、事故を自らの責任だと言っていたけれど、そんなことはない。
ミュンヘンで行われたチャンピオンズカップ準々決勝の前の試合では、普通の飛行機を予約していたのですが、飛ばなかったんです。いまでもヨーロッパでは雪が降ると結構あることなのですが。アムステルダムまで飛んで、そこからフェリーや電車を乗り継いでやっと試合会場に着いているんです。その失敗があったからミュンヘンではチャーター機を用意したのです。しかも国内リーグの次節まで時間もなかった」 劇中には、ユナイテッドの選手たちがミュンヘン空港で、嫌な予感を浮かべながらも最期の飛行機に乗り込む描写がある。オールド・トラッフォードの時計は、このとき2時49分を指している。 「バスビーはトラックスーツマネージャーと言われていて、当時では珍しくグラウンドに頻繁に顔を出す監督でした。ただ、それでも日本の監督のように練習を仕切ったりはしません。劇中でも練習はジミー・マーフィーが仕切っていますが、イングランドではそれが当たり前なのです」
ジミー・マーフィーは事故後、中心となってチームの再生に奮闘した。ボビー・チャールトンを見いだしたのも彼だ。 「ボビー・チャールトンはこの映画では右利きのように描かれていますが、たぶん左利きですね。でも、右でも蹴れます。フリーキックを利き足じゃない右足でも蹴りました。ぼくが知るかぎりフリーキックを逆足で蹴るのはボビー・チャールトンとカズと宮間だけですね」
ヨコハマ・フットボール映画祭は、国内初のサッカー映画ばかりを集めた映画フェスティバル。2011年から始まり、年々来場者を増している。三年目となる今年は、チケット完売が続出する盛況ぶりだった。最終日となる17日(日)は、『ユナイテッド〜ミュンヘンの悲劇〜』をはじめ『熱狂のザンクトパウリスタジアム』『フットボール・アンダーカバー-女子イスラム遠征記』『ソカ・アフリカ-欧州移籍の夢と現実』の4作品を上映。前途の西部謙司氏のほか、日本代表サポーターの村上アシシ氏やちょんまげ隊長、書籍『アナキストサッカーマニュアル』の訳者・甘糖智子氏とRage Football Collectiveのメンバー・身延山氏、女子電動車椅子サッカー選手の長岡真理氏や中村和彦氏もトークショーのゲストとして登壇。会場を盛り上げた。同映画祭は来年も開催予定とのこと。ブラジルの天才選手の物語『エレーノ』やサッカー×ゾンビを題材とした『ゴール・オブ・ザ・ゾンビ』など、今年惜しくも上映されなかった作品も登場する予定だ。
(文・酒井陽(16日)/出川啓太(17日) )
ヨコハマ・フットボール映画祭HP http://yfff.jp/