皆さんは“MBA”という言葉をご存じだろうか? 日本語では「経営学修士」と訳される。企業の採用や待遇を左右する学位で、ビジネスエリートの代名詞とも言えよう。MBAコースは単なる研究機関でなく、具体的な事例から実践的なノウハウを得る「鍛錬」「リーダー育成」の場。世界の大企業経営者はMBAだらけだし、日本国内でも楽天の三木谷浩史会長、トヨタ自動車の豊田章男社長が取得者だ。
FC町田ゼルビアの津田和樹選手はそんな難関にチャレンジし、先日、青山学院大学のMBAコースを無事に修了した。現在29歳の津田選手は、国学院久我山高を卒業後にJ1清水で3年、J2甲府で1年プレー。しかし出場は4年で1試合に留まり、彼は自らが生まれ育った町田に戻る。東京都1部リーグで、Jリーグを目指して活動していたFC町田ゼルビアに加入したのが2005年のことだ。
津田選手はゼルビア入りと同時に、勉強の両立を始めた。最初の1年を受験の準備にあて、2006年に東京学芸大学教育学部生涯スポーツ科に合格を果たす。「幸か不幸か早めにクビを切られた」ため、まだ一般推薦の受験資格があった。高校時代の内申書と小論文、実技などによる試験をクリアし、23歳の大学1年生が誕生した。当時のゼルビアは仕事や通学とサッカーを掛け持ちする選手が多く、練習は夜に行われていた。津田選手は昼間に通学し、大学と練習と掛け持ちしていた。
津田選手が東京学芸大で得たものは、知識や学位に留まらない。同級生には現在ゼルビアのチームメイトである鈴木崇文選手がいて、「ずっと一緒に授業を受けていた」という仲だった。「ゼルビアに来る気は全くないと言っていた」という鈴木選手は、4年次にJクラブ入りを寸前で逃し、行き場を失ってしまう。そんな彼を「ウチに来なよ」と津田選手が誘い、クラブは有望な左利きMFを手に入れた。
大学を4年で卒業した津田選手は、青山学院大学大学院国際マネジメント学科に進む。「両立生活が心地よかったし、経営のことに興味があった」ことが入学の動機だ。津田選手には「サッカー選手がトップに立っているクラブは、なかなかない。一般企業も考えているけど、最終的にはサッカーへ戻って来たい」というクラブ経営に対する志がある。彼とFC町田ゼルビアの想いを叶えるスキルを身につける場が、MBAコースだった。
青山学院大学のMBAコースは2年間。JFL昇格後の練習時間は昼間に移ったが、「社会人学生が7〜8割で、夜にも授業がある」という形態のため、両立は可能だった。ただ授業は最大週8コマで、「毎日のように出ていました」という課題も負担になる。津田選手はそんな生活を「時間配分は相当厳しかったです。サッカーに必要不可欠なことに費やす時間以外は、ほとんど勉強していました」と振り返る。内容は当然ハイレベルで、資料が全て英語という授業もあった。3年ほど前に受験したTOEICのスコアが815という津田選手だが、そんな日々で鍛えられ、「今やれば、もうちょっと取れる」と言う。英語が堪能な彼は、スコットランド出身のコリン・マーシャル選手とも「普通に会話できている」とのこと。
津田選手はプレーヤーとしても、歩みを止めなかった。彼は東京都リーグ、関東リーグ、JFLとステップアップするゼルビアで中軸を担い、昨季はキャプテンも務めた。8年ぶりとなるJリーグの舞台でも、左サイドバックとして不動のレギュラーを張っている。風貌とプレーはむしろワイルドで、豪快な駆け上がりが持ち味だ。
学校とサッカーの両立生活にピリオドを打つ津田選手だが、空いた時間を持て余すことはない。「MBAを取ったから何か生まれるわけではないし、ここからやれることはいくらでもある。勉強は生涯にわたって続くこと」と次のステップに意欲満々。サッカーはもちろん「オフ・ザ・ピッチ」でも活躍が期待できそうだ。
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