5月31日、国立競技場最後のお別れイベントが行われて、現在の国立競技場は最後の日を迎えました。国立競技場の備品も販売されるとのことで、筆者も1つ申し込みをしてみました(何を申し込んだかは秘密です)。
さて、その国立競技場で幾多の熱戦を演じた山口素弘監督に、国立競技場での思い出を聞いてみました。日本代表として戦ったワールドカップ予選など以外の、クラブチームとして戦った試合の中で一番思い出に挙げたのは「いろんな意味を含めて、横浜フリューゲルスの最後の天皇杯」。
1999年1月1日の天皇杯決勝、横浜フリューゲルスが優勝を果たし、そして事実上の最後の日を迎えた試合。ゴールを挙げたフランスワールドカップのアジア最終予選・日韓戦よりも思い出深いとのことでした。
そして、もう1試合山口監督が挙げた試合があります。
「フリューゲルス対アントラーズで、PK戦まで行ったゲームはレベルの高いゲームだったね」
それは1996年5月18日のJリーグ。横浜Fはオタシリオ監督を迎えてシーズン当初から快進撃を果たし、首位で迎えた前半戦折り返しの試合でした。ジーニョ、エバイール(横浜F)、ジョルジーニョ、マジーニョ、レオナルド(鹿島)と5人のセレソン(ブラジル代表)がピッチに立ち、選手全員が最高のプレーだけを見せ合う白熱した展開。1点ビハインドで迎えた74分に、ジーニョが最高の集中力から放った直接FKからのゴールは、まさにワールドクラスと言っていいものでした。
試合は当時のJリーグの試合方式により、延長戦でも決着がつかずPK戦へ。5人ずつがしっかりと決めた後に、鹿島の6人目・相馬直樹のキックを楢崎正剛がストップ。一方の横浜Fは6人目の服部浩紀が左に冷静に決めて勝利しました。「服部はPKがうまかったし、信じていましたよ」と山口監督は当時を振り返りましたが、最後の最後まで最高の緊張感が漂うベストマッチ。ちなみに、山口監督もPK戦の3人目として成功させていました。
この結果、横浜Fは前半戦を首位で折り返します。1996年は、それまで2シーズン制で行われていたJリーグが初めて1シーズン制で実施された年でした(翌年からはまた2シーズン制で実施)。もし前シーズンと同様に2シーズン制だったら、ファーストステージ優勝ということになっていたのでした。
山口監督は、横浜F時代からJリーガーとして幾多の試合を国立で戦うだけでなく、日本代表としても数多くの激戦を戦ってきました。その中から、この2試合を思い出して語る様子はとても楽しそうで,山口監督にとって相当鮮烈なゲームだったことが伝わってくるようでした。
以上
2014.06.05 Reported by 松尾真一郎
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