本日、熊本市のうまかな・よかなスタジアムで北嶋秀朗選手の引退記者会見が行われました。会見でのコメントは以下のとおりです。
・熊本リリース「北嶋秀朗選手、現役引退のお知らせ」
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●北嶋秀朗選手
「本日は、私、北嶋秀朗のために、こんなにたくさんの方にお集りいただきまして、本当にありがとうございます。北嶋秀朗は、2013シーズンをもちまして、引退することを決意致しました。この17年間、柏レイソルから始まり、清水エスパルス、また柏レイソルに戻って、そしてロアッソ熊本と、たくさんの人に支えられながら、充実した日々を過ごすことができたと思っています。今後につきましては不透明な点がありますので、多くはお話できないんですが、そこはご了承願います」
Q:引退を決めた理由について教えてください。
「僕は、2005年の清水在籍時に、膝に大きなケガをしまして、そこから何度も手術を繰り返す形になっていました。2006〜2007年あたりから、自分のなかで『この試合』と定めて試合をしてきたことがあって、この試合でゴールを決められなければやめると、そういう試合をずっと続けてきていました。今まで、そう自分が定めた試合ではゴールを決めてきていて、だから今までサッカーができているんだという思いがありました。今年はそう定めた試合というのが、ホームの岐阜戦(第24節)だったんですけど、その試合でゴールを決めることができませんでした。それが自分の中では許せなかったし、小さい頃から自分との小さな約束を守ることで、ここまでサッカーを続けてきていると思ってきたので、この自分との約束を破るわけにはいかないというのが、ひとつあります」
Q:岐阜戦というのは、どういう思いでその試合を選らんだのでしょうか?
「なかなか試合に出られなかったり、出ても結果が出せない状況の中で、岐阜戦は池谷(友良)さんが監督になるという試合でした。池谷さんにはものすごく大きな尊敬の思いを持ってこのチームに来ています。池谷さんの一発目の試合で、そこで僕をスタメンで使ってくれた、その背景の全てがあって『この試合だ』っていうことで臨んで、本当に『この試合で取れなかったらお前は終わりだぞ』って思って試合に行った。だから終わりなんですって感じです」
Q:ケガは、引退を決める中でどれくらいのウエイトを占めているんでしょうか?
「ケガはやはりあったし、その大半の部分ではあるんですけど、実を言えばもっと身体が動かなかった時期は何年も前に経験しています。それに比べたら今は全然、自分の状況として身体も動きますし、膝の状態でできないということではないです」
Q:自分で定めた試合で取れなかったというお話ですが、今シーズンまだ残り6試合あって、そこに再度目標を定めて壁を乗り越えるということは考えませんでしたか?
「99%、考えが覆ることはないと自分では思ってます。なぜ100%じゃないかっていうのは、今まで勝負の世界に生きてきて、100%というのはないんだなと思っていて。なので、そういう表現を使わせてもらいますけど。
やっぱり自分の中で定めた試合というのはあの試合なので。去年だったら、福岡戦(第35節)が自分の中で定めた試合だったし、一昨年もそういうのがあったし、ずっとそういうのがあって。今年はそこで取れなかった。それを守らなければ、今後の自分のサッカーに対して嘘をつくことになるなと、そういうのもちょっとあります」
Q:この段階での発表に至ったタイミングについて。
「岐阜戦で自分の中の決意は固まっていたので、いつ自分から発表するかというのは、いつでもいいという状況はありました。僕自身も、決めているのに早く皆に伝えないでモヤモヤしているのも嫌だなというのもありましたし、そういった意味では早く発表して、その上でプレーしていくっていうのも考えてはいたんですけど、いろんなことやいろんな方たちをリスペクトして、自分の中でタイミング的に違うのかなっていうのがあって発表できないでいました。今日発表させてもらうことになったのは、今日は嫁さんの誕生日で、嫁さんとも相談した結果、『そういうのもいいんじゃない?』って言ってくれて、今日という日を選ばせてもらいました」
Q:ご家族の話がでましたが、やめるという決断をされてご家族にはどんなタイミングで、どういう言葉で伝えたんでしょうか?
「2週間くらい前に子どもたちには伝えました。僕のことを子どもたちは『ぴったん』と呼ぶんですけど、『ぴったんはもうサッカーをやめるんだよ』っていうこと、今後はまだわからないけど、『サッカー選手じゃなくなるんだ』っていうことを伝えました。子どもの反応としては、長男の反応が自分の中でも感動的だったんですけど、『ぴったんが叶えられなかった夢を俺が叶えるよ』って言ってくれて(笑)、それはすごく、心に来る言葉だったなと思います」
Q:お話をうかがっているとスッキリした表情に見えますが、それはどういうところから?
「そうですね、発表ができることをすがすがしく思えていて、先ほど言いましたけど、サポーターの方も含めて、いろんな方たちが『来年も頑張ろう』って言ってくれているのを、どう消化していいのかわからないというのがあって。すごく苦しい部分も、正直あったんですよね。でもこうして発表して、その上で残りの6試合を頑張るということに、ものすごい開放感と意欲に満ちあふれていて。それがこの表情につながっているのかもしれないですね」
Q:過去のユニフォームがここにありますが、サッカー人生を振り返られて、思い出の試合や得点は?
「やはり柏レイソルの試合が思い出として多いのはしょうがない部分もあるんですが、優勝したシーズン、優勝した試合というのはすごく思い出深いですし、FIFAクラブワールドカップでサントスFCと戦ったこと(2011年)とか、あの舞台やあの景色を見られたことは、自分の中でもすごく大きな思い出になりますね」
Q:選手としてのキャリアを熊本で終えることになるのですが、北嶋選手にとってロアッソ熊本はどんなチームだったんでしょうか? それから、今後やっていきたいことを教えてください。
「このロアッソ熊本には、いろんな人との縁やいろんなタイミングがあって来ることができました。池谷さんをはじめ、スポンサーの方たち、サポーターの皆さん、選手、メディアの方たち、本当にロアッソ熊本の方たちは、小さなことにものすごく大きな喜びを感じている人たちで、これは馬鹿にした意味じゃなくて、幸せを人よりも大きく感じられるクラブだなっていうのを僕は柏レイソルから来て思ったんですね。そのクラブで引退できることは自分としてすごく誇りですし、ここに来られた自分のことを気に入っているし、来られて良かったなと、ここで引退できて良かったなと思います。それと、僕は17年間プロで生活してきているんですけど、17年のうち13〜14年は、ケガとかサブとかベンチ外とか、そういうほうが経験としては多いんですよね。だから試合に出られた喜びもわかるし、試合に出たけどうまくいかないこともわかるし、試合に出られないこともわかるし、ケガをしていることもわかる。いろんな経験をしてきた分、そういう経験を多くの人に伝えたいという思いは強く持ってます。でも自分自身が、それをすることの何がいいのかなというのが見つかっていない部分もあって。どれがいちばん正しい自分の道なのか、早く見つけなきゃいけないなと思いながら、やっぱり自分自身が器用じゃないのも知っているので、今は試合を進めながら、そういうことを考えるのが難しいというのが、正直あります」
Q:17年間のプロ生活、また高校時代を含めてでも結構なんですが、印象に残っている対戦相手と、チームメイトとしていいパートナーだったなと思える選手は?
「誰ですかねぇ…。対戦相手だと、やっぱり同年代、同い年ということを考えれば、中村俊輔(横浜FM)は高校選手権の決勝から対戦してきて、彼が海外に行って、今もあの年齢であのプレーを見せているってことを考えると、彼の頑張りは、そんなにしょっちゅう連絡を取るわけじゃないですけど、会った時にはお互い『頑張ってんな』みたいなことを感じていました。彼の頑張りは自分にはものすごく大きな励みになっていたし、彼にはこれからもサッカー界を強く引っ張っていってもらいたいという思いが強くあります。
チームメイトだと、そうですね…。僕が柏の時に一緒にやっていた選手で、自分と同い年の大野敏隆。今は引退していますけど、彼のパスというのは自分の中では最高級だなと思っていて、またアイツのパスを受けてサッカーをしたいなと思ったことが何度もありました。彼の優しいパスは、すごく印象的ですね」
Q:北嶋選手はサポーターとの交流をものすごく大切にしてきた選手という印象があるんですけど、柏、清水、熊本、全てのサポーターの方々に対して、メッセージをいただけますか。
「目線を常に選手と一緒に持っていてほしいなと、悔しいことも楽しいことも全部、選手と一緒に共有する意識を持っていてくれたらうれしいなと思います。常に味方として一緒に戦って、サポーターが選手の背中を押してくれる、そういう存在であってほしいなと今でも思ってます」
Q:最初に岐阜戦の話を聞いて、試合後にピッチの側でたたずんでいる姿を思い浮かべたんですが、あの時に、今のような気持ちになっていたんですか?
「はい、そうですね。その時に自分自身で自問自答していたというか、試合のすぐ後だったので、『本当にやめるの?』っていう自分もいたし、でも『いや、約束でしょ』という自分もいたし。あの時間、そういうせめぎ合いをしていたというのはありましたね」
Q:取材を通してお話をさせていただく中で、諦めない、諦めちゃだめだという話しをしてこられました。そういった中での今回の決断というのは、ものすごく大きなものだったと思うんですが、葛藤は?
「本当に苦しいものでしたし、サッカーを続けることも勇気のいることですけど、サッカーをやめるのもものすごく大きな勇気がいることで、自分が愛して止まないものを捨てなければいけないのはものすごく難しいですよね。今でも、すごく難しいことだなと思いますけど、それでも、自分で結論を出した時に思ったのは、『自分は頑固だな』と。『決めたことは決めたこと』っていうのがやっぱりあるなっていうのは、思いましたけどね(笑)」
Q:熊本というチームでご自身ができたと思うことと、あと6試合でまだやらなくちゃいけないこと、あるいは後輩たちに伝えなくてはいけないことは?
「正直、熊本でできたこと、プレーで見せられたことって回数的にはものすごく少なくて、それがあと6試合残されていると自分の中では思っています。この6試合で北嶋をしっかり見せたいという思いが強いですし、まだ6試合で、サッカー選手として成長できると思っているので、そこを本当に最後まで狙って、成長する自分を見ていきたいという思いがあります」
Q:ファン・サポーターからは惜しむ声もあると思います。そういう声を見たり聞いたりしてどう思われますか?
「すごくありがたいことだなと思います。大した成績を残していないと自分でも思っていますが、その中でたくさんの人にリスペクトされて愛されて、今この場にいられて会見もさせてもらえることはものすごくありがたいです。そういうファン・サポーターの方たちの支えが、17年間の自分の後押しになってくれたのは間違いないと思います。中でも自分がケガをして、そのいちばん苦しかった時に支えてくれた人たちは、この先も必ず忘れないで生きていきたいなと思ってます」
Q:この先のことはいろいろ考えているとおっしゃいましたが、指導者になることを考えているのか、それに向けてライセンスの取得の予定は?
「そうですね、ライセンスもこれから取りに行きたいと思っています。自分の可能性を広げたいという思いはあるので、ライセンスも取りたいですし、指導者というのも念頭にはあるんですけど、本当に、何が自分にとって正しいものなのかわかっていなくて。例えば、指導者を目指すとなっても、性格的に11人選べないんじゃないかとか、GMとかになったとしても、そのチームは100人ぐらいになっちゃうんじゃないかとか(笑)。そういう、何が正しいのかわからないなというのが正直あって。でも、今までサッカーで生きてきたので、これからも何かしらサッカーに生きていきたいという思いは強いですし、今までいろんな人に支えられたサッカーに恩返しできるのは、サッカーに生きることだと思っています。そこだけは絶対、約束できます」
Q:熊本での北嶋選手のプレーを見てサッカーが好きになった、またロアッソというチームに興味を持ったという方も多いと思います。愛して止まないという言葉が出ましたが、北嶋選手にとってサッカーの魅力とはなんでしょうか?
「ボールを通じて人間関係ができていっちゃうところだと思いますね。そこにボールが転がっちゃえば、昨日まで喧嘩していた相手とも仲良しになっちゃうし、ボールの転がり1つで人の感情もわかっちゃう。勝った負けたを皆で共有して、皆で楽しめて、皆で悔しがって、そういうのがサッカーの魅力で、サッカーは本当に、自分が愛して止まないものだなと思います」
Q:池谷監督とは柏時代からつながりがあると思いますが、いつどのように伝えたんでしょうか?
「岐阜戦以降ですね。最終的な意思確認は9月くらいですかね、もう1回話そうということで話させてもらって。そこで結論は出ていると、最初の結論から何も変わってないことを伝えさせてもらったら、『そうか』という形で言ってもらえて。その時はまだケガをしていたので、まずケガを治して、ちゃんと走れて、ちゃんとサッカーのできる身体を作ってくれと言われました」
Q:熊本での1年半の間に、試合前後のセレモニーを考案したり、若い選手たちへ取り組む姿勢、プロとしての心構えなどを伝えたり、多くのものを与えてきたと思います。逆に、北嶋選手が熊本に来たことによって、プレーヤーとしてだけでなく、人間として得たもの、あるいはサポーターの方から与えてもらったことはありますか?
「先ほど少し言いましたけど、熊本に来ていちばん初めに感じたことは、ものすごくこう、もしかしたら自分が柏にいたままでは気付かなかった喜びというものを、すごく大切にしているクラブだなって思ったんですよね。いろんな人たちが、いろんな難しい状況をポジティブに進めている。本当ならネガティブに陥りそうなことでもポジティブに、会社の人たちも裏方の人たちも、皆がポジティブに物事を進めているのを見た時に、『これは柏にいたのでは気付かなかったことだな』ということを感じました。そういうことから、何て言うんですかね、感じるものが大きかったと思います。サポーターの人たちには、カモンロッソをやっている時の表情を見て、この笑顔をもっとさせてあげたいなと、この笑顔でスタジアムを後にさせてあげたいなという思いが強くて。それでも、なかなかそれを還元できないでいるチーム状況に、ものすごく悔しい思いはしていますし、与えてもらったというよりも、サポーターの皆さんに与えられるものがもっともっとあればなっていう、そのほうが強いですね」
Q:熊本に移籍する際、柏のサポーターの方と約束されたこともありますが、その後の彼らの姿を見て感じることと、プロサッカー選手として後輩たちにいちばん伝えたかったことは何でしょうか?
「柏を出てくる時にレイソルのサポーターとは指切りげんまんをして、苦しい時に皆で支えてやってよっていう約束をしてきました。レイソルはいろんなプレッシャーのかかる試合も多かったと思うんですけど、その中でレイソルのサポーターが振る舞っている姿はものすごく立派だったと思います。彼らがレイソルを支えているっていうのは、自分がレイソルにいたときから理解していたことですけど、外から見ると余計に、彼らのチームの支え具合は強いものだなと思って見ていました。
後輩たちに伝えたいのは、諦めないってことですね。苦しかったりつらかったり、うまくいかない時に、だから前へ一歩進むっていうことです。苦しいからやめるとか、辛いからほかに逃げるとか、そういうことではなくて、苦しい時、辛い時に、一歩前へ足を踏み出すことをやめないでほしいってことはずっと言ってきています。自分もそういうスタンスでやってきたつもりでいるので、そのことをロアッソの選手たちもわかってくれていたら、すごくうれしいなと思いますね」
Q:先ほど、息子さんから頼もしい言葉を言われたとおっしゃったんですが、息子さんが叶えてやると言った、北嶋選手が叶えられなかった夢というのは?
「海外でプレーすることです。自分の夢は海外でプレーすることとか、日本代表でワールドカップを戦うことだったんだよっていうことをずっと伝えていて、多分、そのことを指してて。だから『ぴったんが叶えられなかった夢を叶えるよ』って言った後に、バルセロナに行って、サントスに行って、日本代表になって、レイソルでプレーしてロアッソでプレーするって言ってたって(笑)、そういうことなんだと思います」
Q:昨年、熊本加入の際、J1に上げるんだという強い気持ちで来たとおっしゃいました。今、熊本で引退することになり、ロアッソ熊本に求めることは?
「ロアッソ熊本は、ものすごく大きなポテンシャルを秘めているチームだなと思っています。なので、今の頑張りというのは自分が見ていてもものすごく心を打たれますし、この頑張りが必ず、上への道につながると信じてます。このポテンシャルがあるっていうことだけに満足しないで、選手も、スタッフも、会社も、全員が前を向いて、上に行くっていう強い部分から逃げないで頑張っていけたら、ロアッソがJ1でプレーする機会というのはそう遠くない話だなと思っています。願っています」
Q:残り6試合で自分に課すことは?
「ゴールですね。ここでゴールを決めて、カッコ良くやめようぜっていうのはあるんで。引退するから試合に出たいとか、引退するから来年のことを考えて試合に出ないとか、そういうことではなくて、今もそうですけど、この時に自分が必要がどうかで判断してほしいということは池谷監督にも伝えました。今のこの競争とか戦いに勝って試合に出たいと思います。そこからは今まで通り逃げたくはないです。ダメなら出ないというのが普通だと思うので。その中でポジションを勝ち取って、ゴールを決めて、『じゃあ、やめるよ!』って言って、やめたいなと思います」
以上
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