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【J2日記】福岡:Jリーグ20年の記憶〜山口和樹選手の場合(13.05.29)

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(C)中倉 一志

「ヴェルディの帽子を持ってました、緑の。友だちはアントラーズとか、マリノスとか、エスパルスが多かったんですけれど、僕はヴェルディ。カズ(三浦知良)さんだったり、ラモス(瑠偉)さんだったり、北澤(豪)さんだったり、藤川(孝幸)さんだったり、当時のヴェルディ川崎は、Jリーグ創世期のスター軍団。すごい憧れてましたね。5月15日の開幕戦? もちろん見てました。自宅のテレビで」
ただし、その時小学1年生だった山口和樹は、まだサッカーはしていなかった。「うわあ、カッコいいな、この選手たち」。そんな感覚でJリーガーたちを見ていた。

「本当に人気がありました。僕も大好きでした。サッカーをしていないのに、ラモスさんのミサンガを真似して、カズダンスの練習もしました。そうそう、ビスマルクがゴールを決めた後にしゃがんでお祈りをするシーンも、みんなで真似していました。デパートでは、武田(修宏)さんのサインがプリントされている武田仕様の靴を売っていて、それを普段履きしている子どももいましたね。当時の爆発的な人気は本当にすごかったです。サッカーをやっている、いないにかかわらず大人気だったですね。そう言えば、ラモスさんが福岡に来てサッカースクールをしてくれたことがあったんですけれども、サッカーをしていないのに、スクールに参加したことを覚えていますよ」
男の子なら、誰もが、必ず、野球をする時代を、大きく動かしたのがJリーグだった。

そんなJリーグは、山口にも、少しずつ少しずつ影響を与えて行く。まずサッカーを始めたのは4歳上の兄。そしてテレビを通してJリーグを見続けていた山口も、兄とJリーグの影響を受けて、小学6年生の時にサッカーを始める。プロを意識したのは、アビスパ福岡の練習参加に誘われた高校3年生の時。そして、福岡大学を経て2009年にアビスパ福岡とプロ契約を結んだ。以下は、山口がプロ生活をスタートさせた時の言葉だ。

「いつも思っていたことは、絶対に誰にも負けたくないということでした。気持ちで負けてしまったら自分という選手は終わりです。ですから、プロになっても姿勢を変えることなく、気持ちを強く持って全力でやることを意識しています。自分の持ち味は、どんな状況でも声を出して元気よくやることです。それを前面に出してプレーしたいです。そして、自分は地元・福岡出身。これまでに自分に関わってくださった方たちが、期待して見てくださっています。そうした多くの方たちの目を自分の力に変えて、みなさんが温かく見守ってくださるということを常に意識して、プロの選手として期待に応えたいです」

プロ入り5年目を迎えたいま、山口は加入当時と変わらぬ気持ちでサッカーと向き合う。
「もっと成り上がりたいという気持ちがありますね。このままじゃだめだと、僕よりも若い選手たちがどんどん海外へ出て行って活躍をしているので、自分ももっともっと上に行きたいです。今は欲しかないですね。それを行動に移すだけです。周りの方たちは、いろいろと支えてくれますけれども、自分を変えるのは自分自身ですし、行動を起こすのも自分自身。いまの一瞬を精一杯頑張って、一つひとつをクリアして行って、大きな目標にたどり着きたいです」

そして、プロサッカー選手を目指す子どもたちに、メッセージを送ってくれた。
「夢をあきらめないこと、努力し続けることが何事にも大事。最終的にサッカー選手になれる、なれないは別にして、それは大人になっていく過程で大事なことであって、努力したことは必ず自分の財産になるはずです。そして、サッカーを楽しむこと。辛い時や苦しい時は誰にでもあることですが、サッカーを楽しんでいれば、どんな壁でも乗り越えられるはずです」
多くの人たちが、サッカーを、スポーツを通して様々なことを学び、そして幸せな社会を築いていく。「百年構想〜スポーツで、もっと、幸せな国を」。それを合言葉に、Jリーグはこれからも走り続ける。

以上

2013.05.29 Reported by 中倉一志
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