「選手の中には、生まれた時には、もうJリーグがあったという選手も出てきているんですよね。その選手と一緒にサッカーをやっているんだなあ」。池田太ヘッドコーチは感慨深く話す。武南高等学校、青山学院大学を経て、Jリーグ開幕元年の1993年に浦和レッドダイヤモンズに加入。選手として4シーズンを過ごした後、ユース部門の指導、トップチームコーチ、普及部門等々、様々な場所で経験を重ね、2012年からアビスパ福岡トップチームコーチに就任した。
「Jリーグが始まる前は、サッカーで生計を立てようと思ったら実業団に入るくらいしかなかったので、高校生の頃は、どうやって実業団に入ろうかと考えてばかりいましたね。何しろ、日本リーグに加入していた会社は一流企業ばかりでしたから(笑)。それが、大学を卒業するタイミングでJリーグが始まったので、プロという舞台で挑戦できるということで、すごくついてるなというか、すごい喜びを感じていました。サッカーをするということでは、それまでと変わらないんですけれども、大きな違いは、お客さんから収入を得るということ。それまでは海外のプロサッカーを見る立場だったのが、自分がその立場に立つわけですから、サッカーで飯が食えるという嬉しさで一杯でした」
浦和レッズと言えば、真っ先に頭に浮かぶのが熱狂的な赤いサポーター。その中でのプレーは、どんなものだったのだろうか。
「当時は10チームでのスタートで、それぞれにチームカラーがありましたけれど、その中でも、浦和サポーターは非常に熱心だったのでありがたかったですね。同時に責任感も感じましたね。ただ、自分は日本リーグを経験せずに、いきなりJリーグで、最初から、あの中でのスタートだったので、以前と比べてという感覚はなかったですね。今考えれば、いいプレーにも、悪いプレーにも、サポーターが敏感に反応するので、無我夢中でした。まあ、埼玉は、昔から、広島、静岡と並んでサッカー熱が高かった土地ですし、サッカーの関わっている方も多いので熱心ですよね。浦和のコーチ時代には、朝、犬の散歩をしていると、声をかけられて『コーチ、あそこはこうだったよね』と、ああでもない、こうでもないとサッカーの話をしていたものです(笑)」
そして、20年を改めて振り返る時、口にするのは感謝の言葉だ。
「Jリーグを作るために、いろんな方たちが苦労されているわけですし、そのおかげでサッカーで生活出来ているわけですし、この20年間、Jリーグに関わってこられたということに対しては、ありがたいという気持ちだけですね」
そんな経験を持つ池田ヘッドコーチ。これからのJリーグに期待することについて、次のように話してくれた。
「Jリーグは『百年構想』を掲げて活動していますが、地域の中にJクラブがあるのが普通になって、それが地域の誇りになる。その数が増え、トップチームが戦っている姿が毎週の楽しみになり、地域の子どもたちがサッカーや、スポーツを通して子どもたちか成長していく。そして、日本代表はもちろん、世界と戦える選手や、チームが、どんどん増えて行ってほしいですね。そのためには、トップチームの強化だけではなく、地域に根差すこと、次の世代に伝えていくこと、強化の観点からアカデミーの組織を充実させることなど、どれも欠かせない要因だと思います」
選手から、指導者、育成、普及と幅広い経験を積んできた池田ヘッドコーチらしい言葉だ。
さて、最後にJリーグはどういうところかと尋ねると、笑顔を浮かべて話してくれた。
「いいところですよ、Jリーグは。これからも、Jリーグ、サッカーに携わっていきたいですね」
20歳になったJリーグは、これからも多くの人たちに夢を与え続けるに違いない。
以上
2013.05.18 Reported by 中倉一志
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