★2013シーズン始動!ニューカマー・レコメンド
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「身体が小さいことを一度もコンプレックスに感じたことはなかった。むしろ、サッカーを始めた時からずっと自分の武器だと思っていた。」
2008年、山形からG大阪に加入して半年が過ぎた頃。雑談の中で彼がさらりと話した言葉が今でも深く印象に残っている。夏を過ぎてようやく試合に絡み始めた佐々木勇人が少しずつ『G大阪の佐々木勇人』としての認知度を高めていた頃のことだ。ボールを持った途端に、俊足を活かしながらダイナミックなドリブルで前線へ。かと思えば、ハイクラスの顔ぶれが揃う攻撃陣に遠慮してパスを送るでもなく、そのまま強引にゴールを狙う。『パスサッカー』を主体とするチームだからこそ、佐々木の『ドリブル』という持ち味はピッチでより異彩を放ち、小柄なはずの身体はより大きく見えた。
そんな彼の持ち味は時間を重ねるほど、仲間にも受け入れられるようになった。どちらかと言えばG大阪での5年間は、先発に名を連ねるよりも、スーパーサブとして出番を待つことの方が多かったが、ひとたびピッチに立つと、周囲は言葉を交わさずとも彼にパスを集め、個での突破を歓迎した。それに呼応するように佐々木もドリブルで果敢にチャレンジを続け、短い時間の中で数々のゴールを生み出した。そんな佐々木の姿にスタンドはいつもどよめいた。
中でも、天皇杯での活躍は目を惹いた。佐々木によれば「自分でもなぜか分からないけど、終わってみたらゴールが獲れていることが多かった(笑)」そうだが、一発勝負の後がない戦いで必ずと言っていいほどゴールを決め続けることができたのは、きっと、その短い時間に常に『想い』の全てを注ぎ続けたからでもある。自分の役割、勝利への欲、結果への執着、プライド。普段から口数が少なく、それらを具体的に言葉にすることは少なかったが、いつでも秘めたる想いはプレーに変えて、ピッチで表現し続けた。
そんな彼が珍しく、プレーとともに『声』を届けたことがある。2011年3月11日、自身の生まれ育った宮城県塩竈市をはじめとする東北一帯が未曾有の大震災に襲われた時のことだ。この震災を受け2011年3月29日に万博記念競技場で行われたヴィッセル神戸とのチャリティーマッチに先発出場をした佐々木は、先制ゴールを挙げるとユニフォームをめくり、自らアンダーシャツに認めていた想いを届けた。
「1日でも早くみなさまに笑顔がもどりますように」
試合が終わってからもG大阪を代表して挨拶に立つと、震災に苦しむ方たちに向けて心を込めて声を張り上げた。
「皆さん、日本を信じてください。未来を信じてください。必ず復興できると信じてください。僕らも1日も早く復興できるように願っています。」
そんな故郷への想いは、以降、片時も忘れることなく戦ってきた。時間をみつけては仙台に足を運んでサッカー用品を届けたり、クラブやチームメイト、自身の契約メーカーに協力をあおいで支援を続けてきたのもその1つ。また、今回の移籍もそうだろう。いくつかのオファーの中で仙台への移籍を早々に決断したのは、彼のサッカーの原点ともいうべき生まれ育った故郷への『想い』があってのこと。いや――その決断の理由については、ここでは敢えて多くを語らないことにしよう。なぜならそれは今シーズン、仙台のユニフォームを着て戦う彼の姿からきっと感じ取れるはずだから。
以上
2013.02.01 Reported by 高村美砂
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