2006年に水戸に在籍した河野淳吾がこのたび競輪選手の国家試験「選手資格検定」に合格し、競輪学校を卒業したという。11月に選手登録し、来年1月にはプロ競輪選手としてデビューを果たす予定とのこと。
現役時代、空中戦と1対1で絶対的な強さを誇ったセンターバックだった河野。リーダーシップにもあふれ、水戸のDFリーダーとして活躍。在籍期間はわずか1年であったが、今も脈々と受け継がれている「水戸ナチオ」の礎を築いた。しかし、その後、移籍した徳島で不運に見舞われる。2007年6月、相手選手と接触した際に右すね開放骨折という大怪我を負うこととなったのだ。待ち受けていたのは長く辛いリハビリの日々。約1年半もの時間を痛みと格闘しながら過ごしたのである。
そして、2008年11月22日鳥栖戦、わずか1分の出場時間であったが、途中出場でついにピッチに戻ってきたのだ。河野は試合終了とともにピッチ上で大粒の涙を流した。しかし、それは復帰できたうれし涙ではなかった。その時には、すでに河野は引退を決意していたのである。流した涙には寂しさと悔しさが入り混じっていたのであった。
26歳の若さでユニフォームを脱いだ河野。だが、彼は立ち止まろうとしなかった。知人の紹介でプロ競輪選手・高木隆弘氏と会い、競輪の世界へ進むことを決意。高木氏に弟子入りし、修行を行ったのである。実は、この時、某サッカー専門誌から依頼があり、河野に取材を申し込んだことがある。だが、河野からの返事は「一人前になるまで待ってくれ」というものであった。厳しい修行を耐え、そしてプロの競輪選手として自立するまでは過去の話はしないと決めていたそうである。明るくノリのよかった河野から、そのような返答を受けたことに、彼の「本気度」をうかがうことができた。そして、今月15日に晴れて競輪学校を卒業し、プロの道に足を踏み入れることとなった。
水戸在籍時、小椋祥平(現横浜FM)がU−21日本代表に選出された時、河野がこう語りかけてきたことを今でも鮮明に覚えている。「俺も日本代表を狙いますよ」。彼らしい強気の発言だが、その時の彼の目はそれまでに見たことがないほどの情熱に満ち溢れていた。その言葉とともに、彼の中で何かが変わったに違いない。「日本代表」という夢は断念せざるを得なかったが、それでも高みを目指そうという思いが彼の中には宿ったはず。だからこそ、幾多の苦難を乗り越え、プロの競輪の世界へと踏み出すことができたのだろう。
しかし、まだまだ河野の挑戦ははじまったばかり。今、彼に取材を申し込んでも、以前と同じ返答が返ってくることだろう。プロとしてしっかり結果を出した時こそ、彼の言う「一人前」。その時が来るまで、じっと待ち続けようと思う。そして、陰ながら彼の夢を応援し続けようと思っている。
頑張れ、淳吾!
以上
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2010.10.21 Reported by 佐藤拓也
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