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【ワールドカップイヤー特別コラム:三都主アレサンドロ(浦和)】 キレを取り戻した左の切り札がドイツで4年前の悔しさ晴らす(06.05.13)

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三都主アレサンドロ(浦和レッズ/MF)

2006年5月7日
J1第12節 鹿島戦後のコメント
「これでJ1は中断期間に入ったし、今から代表モードに切り替えます。4年前はあまり出る機会がなかったけど、今回はこれまでずっと積み重ねてきたものもある。フル稼働できるように頑張りたい。前回はトルコ戦でFKを外している? 今度は外さないようにしないと。そうしないと、ずっとトルコ戦のことを聞かれるからね(苦笑)」
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 ジーコジャパンの左の切り札が日本代表入りしたのは2002年3月。日本中がこれから2002年日韓共催ワールドカップへ向かおうとしている時だった。99年JリーグMVPを獲った「アレックス」は日本国籍を取得して「三都主アレサンドロ」となり、ウクライナ戦(大阪・長居)で初めて日の丸を背負った。トルシエ前監督も猛烈なスピードとドリブルで相手を切り裂ける99年JリーグMVPを「切り札」にしたいと考えていた。本大会までわずかな時間しかなかったが、彼は最終登録メンバーの23人に入り、ワールドカップの舞台に歩み寄った。初戦のベルギー戦(埼玉)にも途中出場。そして決勝トーナメント1回戦のトルコ戦でついに先発メンバーの座をつかんだ。
 1次リーグ突破で安堵するチームに喝を入れたかったのか、トルシエは「勝っている時はメンバーを変えない」という定石を打ち破って先発を大幅に入れ替えた。三都主は中田英寿(ボルトン)と2列目に並び、西澤明訓(C大阪)の1トップの背後にシャドウ的に入る形でプレーすることになる。
 実戦ではトライしたことのないポジションに戸惑いはあっただろうが、国籍を変えてまでこだわったワールドカップ本大会のスタメンに名を連ねたことで、本人もかつてない意欲をみなぎらせた。実際、冷たい雨の降る宮城での彼の動きは悪くなかった。けれども勝利の女神は日本代表に微笑まなかった。

 試合の明暗を分けるシーンは前半42分にやってくる。日本はペナルティエリア少し手前からのFKを得る。キッカー・三都主は狙い済ましたかのように蹴りに行った。その弾道は確実にゴールを捉えたかに思われたが、残念ながらボールはクロスバーを叩いてしまう。これが運の尽きだったのかもしれない。彼は後半途中で交代。日本も何の抵抗もできぬまま、ベスト16で敗れ去った。

「FK? 最初は入ったんじゃないかと思ったけど…。後半の交代は自分の気持ちが負けていたのかもしれない。大会に入ってからほとんど試合に出てなくて体力もついていかなかった。でも僕は試合に出て負けるのは嫌。この敗戦はやっぱり悔しい」

 苦い思いを抱えたまま終焉を迎えた最初の世界舞台。4年後のワールドカップまでには自分を大きく飛躍させたい…。それは代表選手の全てが考えることだ。三都主の場合はまず大会直後にイングランド・プレミアシップのチャールトン入りを目指したが、労働許可の問題で断念。2004年に清水エスパルスを離れて浦和レッズへ移籍し、新天地で新たな自分の可能性を求めた。

 ジーコジャパンにも2002年秋の発足当初から名を連ねていたが、最初はレギュラーではなかった。2003年4月の日韓戦(ソウル)などでは左MFでプレーしていたが、中盤は最大の激戦区。中村俊輔(セルティック)や中田英寿(ボルトン)らの間を割って入ることは容易でなかった。中途半端な位置づけだった三都主の立場を大きく変えたのが2003年6月のアルゼンチン戦(大阪・長居)。日本は手も足も出ないまま1−4で完敗を喫した。ブラジル人のジーコにとって永遠のライバルに負けることだけは許されない。その憤りが収まらなかったのか、続くパラグアイ戦(埼玉)では不甲斐なさを露呈した最終ラインを全員入れ替えるサプライズを見せたのだ。ここまで左サイドバックのレギュラーは服部年宏(磐田)だったが、指揮官は三都主を抜擢した。卓越した攻撃センスを誇る一方で守りに不安を抱える男を最終ラインで使うなど、固定概念の強い監督なら考えられないこと。だがジーコはあえて左を彼に託した。

「サイドバックは初めてだったんで、状況を見ながら前に行けと言われていた。相手があまり攻めてこなくて何とかなった。宮本(恒靖=G大阪)もよく指示を出してくれたし、絶えず連携を考えることはできたかな」

 本人も安堵するように、最初は無難なスタートだった。が、サイドバックはやはり攻撃より守備に重きを置くポジションである。ポジショニングや攻守のバランスをすぐ理解することは難しかった。少し前目の位置を取れば中田英寿(ボルトン)に「下がれ」と言われ、守備のカバーが遅れれば宮本ら守備陣にも注意される。守りの負担が重ければ重いほど、自分の特徴である攻撃力が出せなくなる。三都主は深いジレンマを感じていた。日本代表が2連覇を果たした2004年アジアカップ(中国)の時もこんな話をしていた。

「上がりすぎると裏を取られるし、下がると今度は攻撃に参加できない。どうしてもポジションが中途半端になってしまう。『日本の左』を相手も狙ってきた。だから自分も攻撃よりも守備をしっかりして、みんなに迷惑をかけないようにしなきゃいけない。サイドでチャンスが作れなくて自分が光らないのは悔しいけど、やっぱりチーム第一だから」

 結果的にはアジアチャンピオンに輝いた優勝メンバーの1人として、ジーコ監督から絶対的な信頼感を得た三都主。その後も守備の不安はあったが、指揮官は彼を変えようとはしなかった。ドイツワールドカップ予選でも累積警告で出場停止となった最終予選のアウェー・イラン戦(テヘラン)とアウェー・北朝鮮戦(バンコク)以外はコンスタントにピッチに立った。ジーコジャパン発足から66試合のうち63試合(2006年5月9日現在)に出場した鉄人ぶりは賞賛に値する。ドイツ大会の前哨戦となった2005年コンフェデレーションズカップ(ドイツ)でのアグレッシブな姿勢は見る者を魅了した。1視聴者としてテレビを見ていたクロアチア代表FWクラスニッチ(ブレーメン)も「日本には三都主というブラジル出身の選手がいたね。彼は非常にスピードがあった。僕らにとって脅威になりそうだ」と感じたという。
 こうしたよさがいつも出ればいいのだが、三都主のプレーには波がある。3−5−2の時は彼らしい思い切った攻撃参加が見られることが多いが、4−4−2だとどうしても守りに忙殺され、もともと守備が苦手な男は相手にマークを何度も外されたり、1対1で簡単に抜かれることがある。そしてプレーのダイナミズムも失われ、悪循環に陥ってしまう。
 今年2月末、ドルトムントで行われたボスニア・ヘルツェゴビナとの親善試合がまさに悪い例だった。久しぶりの4−4−2に戸惑ったのか、彼は相手のアウトサイドに引き出され、たびたび中央を空けてしまった。一部メディアが行った読者採点でも最低評価をつけられるなど、かつてJリーグMVPを獲った男には大いなる屈辱だったはずだ。

 しかし、この悔しさをバネにできるのが三都主のポジティブなところ。今季Jリーグでは浦和レッズのキレのあるプレーで快進撃を力強く支え、3月末のエクアドル戦(大分)ではMVP級の活躍を見せる。これまでの迷いを完全に振り切ったかのように、行くべきところは行き、引くべき時は引く彼の姿がピッチにあった。メリハリがありキレのある彼のプレーは見ていて気持ちがいい。佐藤寿人(広島)の決勝点をアシストしたクロスも強さ、速さ、精度ともに文句なしだった。

「前回のボスニア戦は課題が残っただけだったし、その課題を絶対に直さなきゃいけなかった。サッカー選手は悔しさを忘れないことが大切だから。ボスニア戦の後、Jリーグで一生懸命やって自信がついてきたんで、それを何とか代表でも生かしたいと思っていたし。絶好調? それはワールドカップ本番で言われたらうれしい。今回はエクアドルに親善試合で勝っただけ」

 大勢のメディアに囲まれた三都主は心からうれしそうだった。もともと前向きな男である。これまでのモヤモヤ感を振り払ったたら強い。5月9日のブルガリア戦(大阪・長居)の1点につながった強烈シュートを見てもその好調ぶりは持続している。
 ジーコ監督がドイツ大会本番をどのシステムで戦うのかはまだハッキリしていない。が、いずれにしても三都主は「何をすべきか分かっているから」とすでに心の整理はついている。この強気を維持し続け、「左の切り札」として4年前の悔しさをぜひワールドカップの舞台で晴らしてもらいたい。

06.05.12 Reported by 元川悦子
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