2017年4月21日、記念すべきJ1通算2万ゴールが清水エスパルスの金子 翔太によって記録された。「金子 翔太」という名前を聞いた時、「どんな選手?」という反応だった人も多かったのではないだろうか。今回J.LEAGUE.jpではそんなメモリアルゴールを決めた金子選手にお話しを伺った。サッカーを始めたきっかけ。JFAアカデミー福島での生活。岡崎 慎司への想い。プライベートの話など、金子 翔太とはどんな選手なのかを紹介します。
2万ゴールを決めた瞬間の心境
- Jリーグ.jp
- 2万ゴールのメモリアル弾を決めた金子 翔太とはどんな選手なのか? 今回はそういう趣旨でお話を伺っていきたいと思いますが、まず改めてあのゴールを振り返っていただくと?
-
J1リーグ戦通算20,000ゴールは金子 翔太(清水)が記録!
- 金子 翔太
- テセ(鄭 大世)さんがサイドに流れたときは、クロスを上げるというのが暗黙の了解としてあって。この時もテセさんからファーに一発で来るかなと思っていました。でも目の前に鎌田(翔雅)選手が走っていたので打つのかなと思ったのですが、自分のところに流れてくるのではないかとも考えていましたし、鎌田選手が打ったとしても、そのこぼれ球を狙っていました
- Jリーグ.jp
- ボールが自分のところに流れてきたときはどんな心境でした?
- 金子 翔太
- ちょっと、やばいというか、そんな気持ちもありましたね。どこかに2万ゴールのことも頭にあったので、本当に来たかと。誰でも決められるようなゴールだと思うのですが、チョン ソンリョン選手の反応も早くてすぐに飛び込んできたので、緊張もありました
- Jリーグ.jp
- これを決めれば2万ゴールというプレッシャーもありました?
- 金子 翔太
- ありましたね。だから、入った瞬間はほっとしましたね。久々の得点でもあったのでうれしかったです
- Jリーグ.jp
- 決めた直後は2万ゴールだと分かっていました?
- 金子 翔太
- 7割くらいはそうだと思っていたのですが、他会場でも試合があったので。ただ前半14分と早い時間のゴールだったので、そうなのかなと思っていました
- Jリーグ.jp
- 2万ゴールだと知ったのは?
- 金子 翔太
- 試合後にスタッフの方から聞きました
- Jリーグ.jp
- メモリアルゴールを決めて、なにか心境の変化はありますか?
- 金子 翔太
- 2万ゴール目を決めたり、昨年のJ1昇格を決めるゴールも決めたのですが、テセさんには、もっと普段から点を取れと言われました(笑)。これでいろんな方に僕の名前を知ってもらったと思いますし、より注目されると思うので、もっと結果を残さないといけないと身の引き締まる思いです
- Jリーグ.jp
- 金子選手は3月に入籍したばかりですが、ゴールを決めた後の薬指にキスをするパフォーマンスを、2万ゴールのタイミングでできるとは。
- 金子 翔太
- 恥ずかしかったですけど、いろんな人からこのタイミングしかないぞと言われていたので。まさか2万ゴールの時にできるとは思っていなかったのですが、今となっては恥ずかしいですね。いろんなところで映像が流れているので(笑)
- Jリーグ.jp
- 奥さんからの祝福の言葉は?
- 金子 翔太
- 妻はそんなにサッカーのことは分からないのですが、もちろん決めたのは知っていましたけど、一応『決めたよ』と伝えたら、『おめでとう』と言ってくれました
サッカーを始めたきっかけ
- Jリーグ.jp
- まさに時の人となったわけですが、金子選手のここまでのキャリアを振り返っていただきたいと思います。まず、サッカーを始めたきっかけは?
- 金子 翔太
- 6個上の兄が野球をやっていたのですが、僕はどこかひねくれていて、兄とは違うことをやりたかった。負けず嫌いだったのでしょうね。初めは野球をやっていたのですが、遊びでサッカーをやったら面白くて、それからです。小学3年生の時でした
- Jリーグ.jp
- 小さい頃から上手かった?
- 金子 翔太
- ちょうどそのころ転校したのですが、そこの学校の少年団が栃木県の中でも1、2を争うくらいの強いチームでした。レベルが高い環境と指導者に恵まれたこともあり、すぐに上達しましたね
- Jリーグ.jp
- 当時からFWでした?
- 金子 翔太
- そうです。点を取ることと、1対1で抜くことしかこだわっていなかった、そんな選手でした(笑)
- Jリーグ.jp
- 当時、あこがれていた選手は?
- 金子 翔太
- ロナウジーニョが好きだったのですが、小学校の監督によく見せられていたのは、ロマーリオという選手のプレー映像です。小さいのにたくさん点を取っていました
- Jリーグ.jp
- 金子選手にとって、ロマーリオはもう昔の選手なのか……。ジェネレーションギャップを感じます(笑)。小学校時代はどのような成績を残されましたか?
- 金子 翔太
- 6年生の時に全少(全日本少年サッカー大会)のベスト16まで行きました。そこで初めてアントラーズとやって、0-2で負けたのですが、自分より上手い選手と戦って、こんな世界があるのだと痛感させられたのを覚えています
JFAアカデミー福島での生活
- Jリーグ.jp
- 中学からはJFAアカデミー福島に入校したんですよね?
- 金子 翔太
- その当時はまだ栃木SCがJFLだったので、栃木県にはプロチームがありませんでした。プロになるような経路に恵まれていなかったので、プロになるためには県外に行ったほうが可能性はあるのではないかなと、親とも話をして。その時にたまたまJFAアカデミー福島の存在を知って、力試しくらいの気持ちで受けに行ったのですが、運よく受かることができました
- Jリーグ.jp
- 早くからプロ志望だったんですね。親御さんも熱心だった?
- 金子 翔太
- そんなに熱心ではないですけど、プロサッカー選手になりたいという僕の夢を尊重してくれて、いろいろ探してくれたみたいです
- Jリーグ.jp
- JFAアカデミー福島での生活はどういったものでした?
- 金子 翔太
- サッカーはもちろんですが、それ以外に学ぶこともたくさんありました。マナー講習だったり、田植えの課外授業とか、コミュニケーションスキルや英会話のレッスンもありました。地域貢献活動も熱心でしたし、相撲部屋に泊まりに行ったこともありました。僕は貴乃花部屋に行かせていただいて、2泊3日くらいで力士たちと生活を共にしましたね。サッカーだけではなく、人間性を高めることもJFAアカデミーが目指す根幹の一つでもあるので、当時は面倒くさいなと思うこともありましたけど、今となってはそういったものも活きていると思います
東日本大震災での経験
- Jリーグ.jp
- 中学の時には、東日本大震災を直に経験されたそうですね。
- 金子 翔太
- 震災が起きたのは、中学3年生の卒業式の日でした。親も見に来ていたのですが、卒業式が終わって、寮で卒業DVDを見ている時に地震が起きて。最初は小さな揺れだったのですが、だんだん大きくなってこれはやばいなと。揺れが少し収まって外に非難したら、地割れが凄くて、原発からは煙が上がっていた。スマホのテレビを見たら津波とかが凄くて、大変なことが起きてしまったと、愕然としたのを覚えています
- Jリーグ.jp
- そのあとはどのような行動を取ったのでしょうか?
- 金子 翔太
- 僕らの寮は高台にあったので、津波の心配はなかったのですが、原発から20~30キロくらいの距離だったので、その心配はありました。その日は親と一緒に寮に泊まって。ただ、ずっと余震が続いていたのでほとんど寝れませんでした。次の日に内陸のほうに避難して、その次の日くらいに、車で来ていた親と一緒に海岸線を通って地元に帰りました。ただ、海岸線はがれきの山で、信号も付いていなかったり。本当に悲惨な状態でしたし、今でもその光景は忘れることができません
- Jリーグ.jp
- 今後、どうなってしまうのかという不安はなかったですか?
- 金子 翔太
- 高校でもJFAアカデミー福島で生活するはずだったのですが、活動停止になったので、もちろん不安でした。ただ生徒たちは、それぞれの地元の近くのクラブに練習参加を受け入れてもらって。僕は栃木SCとFC東京に、1か月くらい練習参加させてもらっていました
- Jリーグ.jp
- その後、御殿場で再開することが決まりました。
- 金子 翔太
- 御殿場で再開するとなった時はほっとしましたけど、まだ受け入れ先の高校が決まっていませんでした。だから、自分たちでテキストや教材を買って、自力で勉強していましたね。たしか5月の半ばくらいまででしたかね。ただ、僕らは御殿場に受け入れてもらえましたけど、中学校時代の知り合いや友達は、仮設住宅や県外に避難したりとかしていて、大変な思いをされている方が多かった。サッカーができる環境を整えてもらったことに感謝の想いがある一方で、福島のことを考えると複雑な気持ちもありました
- Jリーグ.jp
- あれから6年が経ちましたが、今改めて、福島にはどのような想いを抱いていますか?
- 金子 翔太
- オフシーズンに福島に行く機会があり、1日何千人もの方が決められた時間内で復興に向けた作業をしているのを目の当たりにしました。原発内の現場も見たのですが、復興に向けて進んでいるのかなと思っていたのですが、実際はそんなに甘くなくて。放射線量とかもまだ高い数値の場所もあり、まだまだやらなければいけないことがたくさんあると感じました。現状、福島にはなかなか行けてないのですが、個人的にも行く機会を増やして、復興の力になれたらと考えています。今回、2万ゴールを決めてチームで記念グッズを発売したのですが、その売り上げの一部をJヴィレッジの復興支援費に充てることになっています。この2万ゴールがそういった形につながったことは嬉しく思いますし、今後もこういうことをやっていきたいなと思いました
清水エスパルスへの加入
- Jリーグ.jp
- キャリアの話に戻ると、御殿場にきたことが清水エスパルスに加入する一つのターニングポイントになったのでしょうか。
- 金子 翔太
- それはあると思いますね。震災の影響で静岡に来て、エスパルスのスカウトの方の目に留まったわけですから。移動してよかったとは思えないですけど、そういう意味では縁があったのかなと思いますし、恵まれていたと思います。だから常に感謝の気持ちを持ってプレーしないといけないなと感じています
- Jリーグ.jp
- 清水から来てくれと言われた時はどんな心境でした?
- 金子 翔太
- 実は僕、高校1年の頃は大学志望だったんですよ。その当時、プロサッカー選手が引退する平均年齢が23、4歳ということを聞いて、ちょっと不安な気持ちになっていて。でも、最終的にアカデミーのスタッフの方から、『大学は後からでも入れるから、まずはプロを目指してやったほうがいいんじゃないか』とアドバイスを受けて。A代表の選手もほとんどが高卒ですし、代表を目指す上では早い段階でプロの環境に身を置くのが大事かなと。もし初めから大学を選択していたら、向上心を持てなかったかもしれない。プロを目指して頑張ってきてよかったと思います
- Jリーグ.jp
- どこが評価されたと思いますか?
- 金子 翔太
- 点を取れるところと、アタッカーとして仕掛けられるとこと。そういうプレーをプロに入っても出してほしいとスカウトの方には言われました