決勝で顔を合わせるのは、意外にも初めてのことになる。
東の雄と、西の雄――。ヤマザキナビスコカップで8度の決勝進出と5度の優勝を誇る鹿島アントラーズと、決勝に3度進んで2度戴冠しているガンバ大阪が第24回大会にして初めてタイトルを争う日が迫っている。
鹿島が初めて優勝した97年大会、ジュビロ磐田との決勝が行なわれたのは、日本代表がワールドカップ初出場を決めた直後の11月下旬。当時は決勝もホーム&アウェーで戦うレギュレーションで、チャンピオンシップも同カードだったため、わずか3週間で、鹿島と磐田による“史上最大の4連戦”が実現した。
日本代表の左サイドを形成した相馬 直樹と名波 浩が敵・味方に分かれ、日本代表の攻守の要、センターバックの秋田 豊とストライカーの中山 雅史がバトルを繰り広げる――。第1戦を2-1で制した鹿島が第2戦でも相馬のゴールを皮切りに5得点を奪って大勝。チャンピオンシップは磐田に譲ったが、鹿島・磐田の「2強時代」の幕開けだった。
00年大会と02年大会の優勝は「花の98年入団組」が中心選手へと成長していく過程でもたらされた。川崎フロンターレに2-0で勝利した00年大会の決勝で先制点を奪った中田 浩二がMVPに輝くと、浦和レッズを1-0で下した02年大会の決勝ではミドルシュートを決めた小笠原 満男がMVPを受賞。どちらの試合も「決勝はこうやって戦うもの」と言わんばかりの、盤石の試合運びだった。
11年大会の決勝の相手も浦和だった。鹿島優勢で進みながらも延長戦にもつれた試合に決着を着けたのは、若きエース大迫 勇也だったが、高卒ルーキー、柴崎 岳の働きも印象深い。80分、不運な判定でDFの青木 剛が退場になると、オズワルド オリヴェイラ監督はボランチの柴崎を右SBに回し、対面の“原口 元気封じ”のミッションを与える。大胆な采配と、それに応えた18歳――。鹿島の底力を感じさせるゲームだった。
1年後の12年大会では、さらに逞しくなった柴崎が清水エスパルスから2ゴールを奪う活躍で、チームに16個目のタイトルをもたらした。清水のエース、大前 元紀を封じ込んだのは、左SBに抜擢され、まだ初々しかった19歳の昌子 源だった。
一方、初めて決勝に進出した05年にジェフ千葉に敗れたG大阪が優勝したのは07年。ともに攻撃力をウリにしていた川崎との決勝は0-0のまま後半へ。ここでG大阪が勝負に出る。3バックに変更して攻撃の圧力を高めると、55分、左ウイングバックにポジションを変えた安田 理大がクロスに飛び込み、決勝ゴール。前日にニューヒーロー賞を受賞していた安田はMVPにも輝いた。
G大阪が再び決勝の舞台に登場するのは、それから7年経った昨年のこと。サンフレッチェ広島との決勝は、2点を先行される苦しい展開だったが、パトリックの2ゴールで追いつくと、71分に大森 晃太郎がこぼれ球を押し込み、逆転に成功した。
清水の監督時代、カップ戦の決勝で3度敗れた長谷川 健太監督にとっては“シルバーコレクター”返上となるうれしい戴冠。J1に復帰したばかりのチームにとっても「強いガンバ復活」を印象づける優勝だった。これで勢いに乗ったG大阪はJ1で優勝し、天皇杯も獲得。00年の鹿島以来となる三冠を成し遂げたのは記憶に新しい。
鹿島は現在J1第2ステージで2位、G大阪は年間順位で3位につけている。今大会を制したチームが、チャンピオンシップ出場に向けて、“大きな弾み”を得ることになる。
[文:飯尾 篤史]