「若手も含めた総合力でファイナルにたどり着けるかどうかが問われている」
大の大人が悔し泣き
――Jリーグカップは1992年、リーグ戦開幕よりもひと足早くスタートしました。当時、大学2年生だったチェアマンの目に、その光景はどう映りましたか。
野々村 最初はテレビのニュースや新聞、雑誌報道で目にしたのですが、「日本のサッカーが、大きく変わるんだな」と。周囲の盛り上がりも段々と大きくなっていき、Jリーグが開幕することを強く感じました。実際に試合を見ても「すげえな!」と。ワクワクしたことを覚えています。
――ジェフユナイテッド市原に加入した95年は大会が開催されず、初めて大会に出場されたのは96年大会です。選手として大会に出場したときの気持ちなどを聞かせてください。
野々村 Jリーグカップでのデビュー戦、実ははっきりとは覚えていなくて……(苦笑)。資料を元に振り返ると、96年6月5日、福岡戦(@博多球)で31分からの途中出場だったようです。ただ、当時はとにかくがむしゃらに取り組んでいましたから。リーグ戦も、カップ戦も僕にとっては大切な試合。体も、気持ちの面でも、しっかりと準備をして臨んでいたと思います(※96年は13試合出場=リーグカップ戦最多出場シーズン)。
――チェアマンは7シーズンのプロキャリアの中で、Jリーグカップ通算30試合に出場しています。最も記憶に残っている試合やシーンを挙げてください。
野々村 やはり、98年の決勝(7月19日@国立競技場)でしょうか。
――ジュビロ磐田に敗れ、惜しくも準優勝となりましたが、選手時代に最もタイトルに近づいた瞬間でした。
野々村 ジュビロは97年のJリーグ王者で、99年もリーグを制する本当に強いチーム。決勝前はさすがに私も緊張していたと思います。ただ、前半を0-0で終え、「いけるぞ」と。実際、シュート数もほぼ互角で、何とかこらえての0-0ではなかったですから。こちらにもポストを叩くような、惜しいシュートシーンもありました。でも……終わってみたら0-4の完敗(苦笑)。ジェフはこの時、ヤン(・フェルシュライエン)さんが監督で、今、振り返っても良いサッカーをしていたんです。ですから、本当に悔しくて……。大人になって悔しくて泣いたのはこの試合だけです。不甲斐ないという気持ちもあったと思います。
あの年の大会は、ワールドカップイヤー(フランス大会)だったからか、試合数が少なくて、6戦目で決勝ですから、レギュレーションにも恵まれたのではないでしょうか。勢いも味方につけて勝ち上がり、タイトルのチャンスも十分にあったと思うのですが……。今でも「あとちょっとだったのに」と残念でなりません。
“一発勝負”の魅力
――現役を退かれた後、2019年には北海道コンサドーレ札幌の社長としても決勝(10月26日、対川崎フロンターレ@埼玉)に挑んでいます。
野々村 楽しみももちろんありましたが、そこまでの道のりを思い返しました。コンサドーレはこの年の4年前(15年)はJ2の10位なんです。つまりJリーグ全体で数えると、上から28番目のクラブです。当時はルヴァンカップの決勝なんて、考えられるわけもなく、そんなクラブが4年後にその舞台に立った。これはクラブをつくっていく立場からすると、うれしいことであるとともに、こういったことを果たせるのがルヴァンカップの良い所なのではないか、と思いました。
――試合はシーソーゲームの末に延長に突入し、ここでも点を取り合ってPK戦へ。僅差(3-3/4PK5)で敗れましたが、白熱した展開の好ゲームでした。
野々村 現場にいましたが、生で直視できませんでした。〝見る〟ことができないんです。社長をしていた最後のほうはずっとそんな感じで、この日もロッカールームとか、バックヤードでテレビを見たり、見なかったり。1-2で負けていて、最後はあいさつのために、ピッチサイドに向かったのですが、ちょうどその時、同点ゴールにつながるCKを獲得します。私、すごいガッツポーズをしたんです。「よしっ!!!!」と。ただCKをとっただけでも、そのテンションなんです。そのCKから同点ゴールが生まれて、さらにテンションを上げた状態で、再びロッカーに戻りました。延長を終え、PK戦に入ると、ピッチサイドとバックヤードを行ったり来たり。もう、最後は映像も見ていないのですが、音で分かるんです。サポーターの声で。「ああ、ダメだったな」と。でも、言い方は変ですが、王者・川崎Fと面白い試合をすることができた。勝ちたかったですし、チャンスもあったでしょうが、同時に、「ここまで来れた」という感慨も大きかったですね。
――この大会はギネス世界記録(同一企業の協賛で最も長く開催されたプロサッカーリーグの大会としてギネス世界記録™に認定)になるくらい長く続いている大会です。チェアマンとして、この大会の意義、そして今後、期待していることを教えてください。
野々村 30年間で多少の変更はあったとはいえ、最後は一発勝負。ホーム&アウェイでも負けたら終わりというトーナメントがあることは、どのチームに対してもちょっとしたストレスがかかる大会です。だからこそ面白い。強いチームが必ず勝てるわけではないのがサッカーだと思いますが、特にルヴァンカップはそう。多くのチームにタイトルを獲るチャンスがあるのも事実で、若い選手にも出場のチャンスが多い。最近のスケジュールでは、若手も含めた総合力でファイナルにたどり着けるかどうか。そこが問われている大会だと思います。前述した「負けたら終わり」という状況は、見ている人にとっても分かりやすく、ハラハラします。30回目を迎えたこの大会を、今後も応援していただけたらと思っています。
【プロフィール】
ののむら・よしかづ/1972年5月8日生まれ。静岡県出身。現役時代のポジションはMF。清水東高から慶大を経て、95年にジェフユナイテッド市原に加入。98年のJリーグヤマザキナビスコカップでは準優勝に終わったものの、決勝までの全6試合に出場した。2000年にコンサドーレ札幌に移籍し、この年のJ2優勝に貢献。翌01年限りで現役を退き、札幌のチームアドバイザーを経て、13年に社長就任。19年に札幌はJリーグYBCルヴァンカップで準優勝。22年に会長の任についた後、同年3月、第6代Jリーグチェアマンに就任した
インタビュー/執筆 サッカーマガジン 坂本 匠
インタビュー撮影 馬場 高志