2008年をピークに人口減少が始まり、世界でも類を見ない超高齢化社会を迎えている日本。こうした状況下にあって、地域社会と一体となった運営を理念とするJリーグは、サステナブルな成長を遂げるために、海外、中でも成長著しく親日国家も多いASEANを中心としたアジアに目を向けた戦略を展開している。
2012年にスタートした「Jリーグアジア戦略」は、今年10年という節目を迎えたが、これまでのアジア戦略の歩みを担当者たちはどのように評価しているのだろうか。中心的な存在として戦略を推進してきた山下 修作(公益社団法人日本プロサッカーリーグ事業本部 マーケティング戦略スーパーバイザー)と大矢 丈之(同事業本部海外事業部 部長)へのインタビューを通して、これまでの10年でJリーグが積み上げてきたものを見つめ直し、次の10年へ向けてJリーグが進むべき道のヒントを探る。
スター選手の加入と提携国枠の導入が戦略を後押し
前編で紹介したように、Jリーグのアジア戦略は、「アジアサッカー全体の成長を後押しすることで、結果的にJリーグの成長につなげる」ことを目的とし、「共に成長する」というコンセプトの下で展開されてきたが、これまでの10年間を振り返るとターニングポイントとなった出来事が幾つかある。まず挙げられるのが、2013年7月、コンサドーレ札幌(当時)にベトナム代表のレ・コン・ビン選手が期限付き移籍で加入したのだ。ベトナムの英雄とも謳われた同選手の加入はピッチ内外で注目を浴びた。彼の姿を一目見ようと北海道を訪れるベトナム人観光客は飛躍的に増え、クラブだけではなく北海道全体に収益をもたらした。同年10月には、安倍 晋三首相(当時)がベトナムのチュオン・タン・サン国家主席(当時)との会談の際にレ・コン・ビン選手の話題を出し、同年12月には日・ASEAN特別首脳会議後の晩餐会に同選手が招かれるなど、外交の架け橋にもなっている。
「彼が来たことで、ベトナムにJリーグの放映権が売れ、コンサドーレにスポンサーが付くなど、想定していたビジネスモデルが具現化していきました。もしもあのタイミングでレ・コン・ビンがJリーグに来なければ、その後のアジア戦略は続かなかったかもしれません」(山下)
レ・コン・ビン選手のJリーグ在籍は半年と短い期間だったが、彼の加入がASEAN国籍選手のJリーグ進出を切り開いたと言っても過言ではない。2014年にはインドネシア人選手がJリーグに移籍加入した。2016年にベトナム代表のグエン・コン・フオン選手が水戸ホーリーホックに期限付き移籍で加入した際には、ベトナム航空が同クラブのユニフォームスポンサーとなり、ベトナムから茨城空港に直行便が飛ぶようになった。そして2017年には、北海道コンサドーレ札幌にタイ代表のチャナティップ選手(現・川崎フロンターレ)が加入。彼もまたタイの国民的スターであり、クラブのスポンサー獲得や、地域への経済効果などの好影響を及ぼしたが、それまでのASEAN国籍選手と一味違ったのは、ピッチ上でも結果を残したことだ。移籍初年度から16試合に出場し、2年目にはチームの中心選手に成長。2018年にはASEAN国籍選手初のJリーグベストイレブンにも選出される。チャナティップ選手の活躍は、Jクラブがタイ人選手を「戦力」として見るきっかけとなったと言えるだろう。
アジア戦略のもう一つのターニングポイントは、2013年に提携国枠の導入を決定したことだ。ベトナムやタイといったJリーグと提携を結んでいる国の国籍を有する選手であれば外国籍選手ではないものとみなし何人でも出場できるもので、この制度を施行したことがASEAN国籍選手たちのJリーグ加入を強く後押しした。
「それ以前の外国人枠は3人+1人(全世界の国籍の選手3人、AFC加盟国の国籍の選手1人)でしたが、提携国枠を導入したことで縛りは緩くなりました。クラブがリスクを負う部分が減ったため、ASEAN国籍選手を獲得しやすくなったのです。このような、提携国枠は自国の選手と同様のものとみなすという制度設計は、他国のリーグでは聞いたことがありません。当時、各クラブからは効果の程を疑問視される向きもありましたが、リーグとしてイニシアチブを持って進めたことが今につながっていると感じます」(大矢)
Jリーグの活用が各国の要人への近道に
アジア戦略が徐々に盛り上がりを見せていくと、企業や政府がJリーグを見る目も少しずつ変化していった。その中でも潮目が変わったのが、2014年に経済産業省のクールジャパン戦略の一環で、Jリーグのアジア戦略支援が決定されたことだ。これがきっかけとなって政府や行政にもJリーグのアジア戦略に注目が集まるようになり、国会答弁の中でJリーグの話題が出たり、村井 満チェアマン(当時)が国会議員の勉強会で講演を行ったりした。また、国際交流基金のような組織のサポートを受けてアジア各国で様々なイベントや取り組みを実施したり、政府の成長戦略の中にJリーグの海外展開が盛り込まれたりと、日本の発展のためにJリーグを活用しようという動きが出てくることになった。
「ASEANでは、王族や財閥関係者がサッカークラブのオーナーを務めていることもあります。一般的なビジネスで会おうとすると事前の根回しが必要ですが、Jリーグの立場で会おうとすると、企業や行政・自治体の方々から驚かれるほど簡単に会えてしまいます。つまり、Jリーグやクラブを通して彼らとのネットワークを作ることができるのです。この点は自治体や企業の方々に活用してもらいたいポイントです」(山下)
一方で課題もある。現在のアジア戦略は、個々の選手の能力や知名度への依存度が高いため、選手が思うように活躍できなかったり、他のクラブに移籍してしまうと、取り組みが途絶えてしまうことだ。前回の野々村 芳和チェアマンへのインタビューでも触れたように、「国籍や地域を越えて色々な人をつなげる強い力」というサッカーが持つ本質的な価値が、定量化の難しさ故に社会全般に知らしめることができていない点が問題の根本にあり、それらは、すぐに解決できるというものではない。ただし、例えば、ヘルスケア用品や文具などの製造・販売を手掛けるニチバンが、スポンサーを務めるFC東京を介することでタイの財閥企業であるCPグループとビジネスを開始させた事例がある。このような事例を一つひとつ積み重ね、自治体や企業の中でJリーグの存在感を高めていくことが、アジア戦略加速のための重要なキーとなっていくのだろう。
Jリーグはこれまで以上に“使い勝手のいい存在”を目指す
山下は、10年間のアジア戦略の筋道を振り返って強く実感していることがあるという。それは「先人たちの偉大さ」だ。
「アジア戦略の中でASEANに注力しているのは親日国家が多いと見ていたからですが、実際に関わるようになって本当に親日の人々が多いと感じています。日本好きの土壌ができているのは、サッカー界やスポーツ界に限らず、多くの業界の日本人の先輩方が頑張ってくれたからであり、その恩恵があるからこそJリーグのアジア戦略も成り立っていると言えます。だからこそ、先人の努力を裏切らないようにアジア戦略を進めていきたいと考えています」(山下)
今後の具体的な展開としては、ASEAN諸国の中でも、タイ、ベトナム、インドネシア、マレーシアをTier1、シンガポール、カンボジア、ミャンマーをTier2というように、アプローチする国を2つのセグメントに分けた上で施策を強化していこうとしている。
「Tier1の中でも、特にタイでJリーグ人気が伸びてきていて、良いビジネスモデルができつつあります。次に、サッカーの競技力が高いベトナム、インドネシア、マレーシアでも同様のモデルを水平展開していきたいと考えています。この流れが上手くいけば、Tier2へのアプローチの形も見えてくるでしょう。ASEANを始めとしたアジアではもともと日本以上にサッカー人気が高い国もありますし、経済成長に伴って余暇の時間が増えている関係で、スポーツの存在価値が高まっているのも感じます。自治体や企業がそうした国々にアピールしていく上でJリーグの活用は有効になるはずなので、私たちもより“使い勝手のいい存在”になっていきたいと思います」(大矢)
日本とアジアの最高の架け橋となっていくために、Jリーグの努力はこれからも続いていく。
(聞き手・上野直彦/文・久我智也