満田誠(サンフレッチェ広島)の経歴は?出身や身長プロフィールを徹底解説!
EAFF E-1 サッカー選手権 2022に臨む日本代表メンバーに選出されたサンフレッチェ広島のアタッカー、満田誠(みつた・まこと)選手を紹介します。
<目次>
・満田選手のプロフィール
・満田選手の幼少期
・満田選手の中学校時代
・満田選手の高校時代
・満田選手の大学時代
・これまでの経歴
・まとめ
■満田選手のプロフィール
今季からサンフレッチェ広島でプロサッカー選手になった満田選手は、現在22歳。1999年7月20日に熊本県熊本市で誕生しました。身長170cm・体重63㎏。サンフレッチェ広島のアカデミーで育ち、流通経済大学を経て、今季サンフレッチェ広島に加入した期待のルーキーです。
■満田選手の幼少期
幼いころから体を動かすことが好きだった満田選手は、近所のサッカークラブへ体験しに行ったことがキッカケでサッカーの楽しさを知り、どんどんのめり込んでいきます。小学校5年生のときにDFをやっていたこともあるそうですが、基本的にはアタッカー。満田選手は当時を振り返って「自分が点を取ってチームを勝たせることができたときが一番楽しかったです」と話しています。
満田選手がサッカーを始めたサッカークラブは「ソレッソ熊本」。満田選手が所属していた時期と比較すると、現在では規模が大きくなり、清水エスパルスの松岡大起選手やガンバ大阪の坂本一彩選手も輩出しているクラブです。
■満田選手の中学校時代
ソレッソ熊本では、当たり前のことを当たり前にやることの大切さや、練習から勝負にこだわることの重要性を教わりました。「小さいころからミニゲームやシュートゲームでも勝負にこだわってやってきました。だから、いまも『ここぞ!』というときに点を取れるのかなと思います」と話しています。
ソレッソ熊本に属しながら中学を卒業するころには、複数のJリーグクラブアカデミーや、強豪校から声のかかるプレーヤーになっていました。選択肢がある中で、満田選手は、プロサッカー選手になるために熊本を離れて、サンフレッチェ広島ユースへ進むことを決めました。
「サッカーに打ち込める環境は、サンフレッチェ広島が一番でした。プロになる近道だと思ったので広島に進みましたが、間違っていなかったです。サッカー以外することがないような環境で、良い指導者にも出会えて、良い仲間にも出会えた。今までで一番濃い3年間だったと思います」
■満田選手の高校時代
当時、サンフレッチェ広島ユースの監督として満田選手を指導し、現在はサンフレッチェ広島のアカデミーダイレクターを務める沢田謙太郎氏は、初見だった彼の中学生時代の印象をこう語ります。
「すごく元気のいい子でしたし、かなり能力は高かったです。広島ジュニアユースから昇格した選手たちについても、かなり能力は高かったんですけど、すぐに馴染んでいましたね。力を認め合って良いチームになっていたと思います」
満田選手の同期には、同じ九州の鹿児島から広島への進学を決めたGK大迫敬介選手がいました。さらに、サンフレッチェ広島ジュニアユースで将来を嘱望されていた面々も揃っており、ライバルの多い環境でした。満田選手は、その中で1年生の頃から頭角を現していきます。
沢田氏は、満田選手が全体練習後に、居残りでよくシュート練習をしていたことを教えてくれました。
「非常に面白かったですよ。(GKの大迫)敬介が『おい、そんなシュートしか打てねえのかよ』と言う。すると、バツンとマコ(満田選手)が決めて『大したことねえな、敬介も』と言い返す。そう言いながらやっているんで、見ながらよく笑っていました。毎日、練習後にやっていましたよ」
大迫選手にとっても、満田選手たちとシュート練習をした日々は良い思い出として残っています。
「練習が終わった後にいろんなフィールドの選手と一緒になってやっていましたけど、みんなが僕から点を取って馬鹿にしてくるんです。楽しかったですし、マコはそのころからシュート精度は高かったです。マコは本当に負けず嫌いですごく頑固なところがありますけど、そういう性格がすごく良い方に出ている。チームのためにすごくハードワークできるところもユースの頃からです」
現在、サンフレッチェ広島に所属する彼と同期の川村拓夢選手は、満田選手についてこう話しています。「マコは初めて会った時から自分を持っていました。あんまりみんなと一緒に行動するようなタイプじゃなくて、すごく自分の芯が強いなって思います」。
満田選手が高校2年時に、サンフレッチェ広島ユースは高校年代の最高峰である『高円宮杯 JFAプレミアリーグWEST』で優勝を果たします。さらに、高校3年時にエースナンバーの10番を背負った満田選手は、ケガで開幕からの5試合に欠場しながらも、11得点を挙げてプレミアリーグWESTの得点王を獲得しました。
サンフレッチェ広島ユースで順調に成長していった満田選手ですが、そのままトップチームへ昇格することはできませんでした。満田選手はこの時の経験を「本当に悔しかったです。人生の中での1番の挫折でした」と話しています。
沢田氏は当時の判断について、「難しい決断だった」と振り返ります。
「敬介が2年生の終わりに(トップチームに)上がっていて、その年は川井歩(現モンテディオ山形)と川村も上がりました。他にも上がっていい選手が、マコも含めて何人かいたというところで、実際に満田と仙波(大志)が流通経済大学にお世話になった。そして、また帰ってきてくれました。こればかりは本当に難しい判断だったかなと思っています。彼もつらい経験を生かしてくれたかなと思ってます。腐ることもなく、大学でいい経験しながら戻ってきてくれた。だから今があるのかなとポジティブに考えています」
■満田選手の大学時代
大きな挫折を味わいながらも、満田選手は大学4年間、強い気持ちでゴールを追い求め、良い指導者、良い仲間に出会って成長を続けました。
大学2年時には得点を決めることができずチームも関東大学リーグ2部へと降格しています。決して順風満帆だったわけではありませんでしたが、大学3年時に指導を受けた現在京都サンガF.C.の監督を務める曺貴裁氏に、練習に臨む姿勢について大きな影響を受けたと言います。満田選手は「自分が常にゴールを意識するプレーができるようになったのは、曺さんが前への意識を強くしてくれたおかげ」と話しています。
大学3年時の2020年2月には、2022年からサンフレッチェ広島でプレーすることが内定し、4年生の時には主将としてチームをけん引。関東リーグ1部優勝に貢献しました。満田選手は大学の4年間で誰も認めるアタッカーとなり、広島へ戻ることになりました。
■これまでの経歴
プロになってからも満田選手は強い信念をもって練習から取り組み、現在はチームをけん引するプレーヤーの1人になっています。シーズン開幕前にはポジションを勝ち取ることができずに、Jリーグの開幕戦ではメンバー外でしたが、JリーグYBCルヴァンカップで結果を残してアピールすると、J1第3節のヴィッセル神戸戦でリーグデビュー。第6節の湘南戦ではリーグ初得点を決めてチームを今季初勝利に導きました。そして、現在は広島の攻撃をリードする選手に。攻守に躍動感のあるプレーを見せています。
■まとめ
苦境にも負けない芯の強さを持ち、結果を残して道を切り拓いてきた満田選手は、サッカー選手としての野望を「ワールドカップに出場すること」と話しています。しかし、いつも目標に向かって1日1日を大切に過ごしてきた満田選手のスタンスは変わりません。
漫画『黒子のバスケ』のキャラクターである緑間真太郎が語った「人事を尽くして天命を待つ」という言葉をいつも胸に留め、満田選手は日々全力を尽くしています。
「1日1日、自分のやるべきことをやっていたら、いつどんな相手と対戦することになっても、あとは普段の実力を発揮することだけを考えればいい。練習から次の日を考えずに全力を出し切ることが、成長するために一番必要なことだと思ってやっています」
成長の先には、きっと日本代表入りもあることでしょう。
E-1選手権代表メンバーはこちら
同じくE-1選手権代表選手に選出された
西村拓真(横浜F・マリノス)のプロフィールはこちら
細谷真大選手(柏レイソル)のプロフィールはこちら