神戸が昇格し、17チームで行われた1997年のJリーグ。前年の1シーズン制から、再び2ステージ制で争われることとなった。
1stステージを制したのは、前年王者の鹿島だった。V川崎から加入したビスマルクが攻撃を牽引。若きストライカー柳沢 敦がエース格に成長を遂げ、秋田 豊を中心とした堅い守りも光った。開幕から順調に勝点を積み重ねると、9節からは5連勝を達成。パトリック エムボマの活躍で、躍進を遂げたG大阪を振り切り、1stステージ優勝を成し遂げた。
一方でハンス オフト監督が退任し、ルイス フェリペ スコラーリ監督のもとでリスタートを切った磐田は、1stステージで6位に終わった。中山 雅史、名波 浩ら実力者に加え、ブラジル代表のドゥンガも在籍し、優勝候補の一角に挙げられていたが、1stステージ途中にフェリペ監督が突如退任。代わって桑原 隆監督が指揮を執ったが、ステージ終盤に連敗を喫するなど大事な試合をものにできなかった。
しかし2ndステージに入ると、快進撃を披露する。開幕5連勝と勢いに乗ると、その後に連敗を喫したが、8節から連勝街道をひた走った。終盤はワールドカップアジア最終予選の影響で、主軸の名波が不在となったが、ドゥンガが圧倒的な存在感でチームを牽引。奥 大介、福西 崇史ら若手が台頭し、エースの中山もコンスタントに得点を積み重ね、9連勝フィニッシュで一気にステージ優勝を成し遂げた。
その勢いは鹿島とのチャンピオンシップでも衰えることはなく、第1戦は延長にもつれ込みながらも清水 範久のⅤゴールで3-2と勝利。第2戦では押し込まれながらも終盤に中山 雅史が決勝弾を叩き込み、1-0でモノにした。
1994年にJリーグに参戦した磐田は、いわゆる“オリジナル10”以外で初めて優勝を成し遂げたチームとなった。
MVPにはドゥンガが輝き、ベストイレブンにはドゥンガ、中山、名波に加え、リーグ最少失点に貢献した守護神の大神 友明が選出されている。
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