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アルゼンチントリオが躍動し、若手も台頭。ライバル対決を制し、ついに頂点へ!【Jリーグヒストリー:1995年】

2020年5月20日(水) 15:01

アルゼンチントリオが躍動し、若手も台頭。ライバル対決を制し、ついに頂点へ!【Jリーグヒストリー:1995年】

アルゼンチントリオが躍動し、若手も台頭。ライバル対決を制し、ついに頂点へ!【Jリーグヒストリー:1995年】
大舞台での勝負強さを発揮した横浜Mが、Ⅴ川崎の3連覇を阻み、初優勝を達成した

C大阪と柏が参入し、14チームとなった1995年のJリーグは、2ステージ合計52試合の長丁場で争われることとなった。

3連覇を狙うⅤ川崎(現東京V)の前に立ちはだかったのは、日本リーグ時代からのライバルである横浜M(現横浜FM)だった。

アルゼンチン出身の指揮官ホルヘ・ソラーリ監督のもと、サントリーシリーズ開幕から圧巻の攻撃サッカーを披露。開幕戦では鹿島を4-3で撃破すると、2節のⅤ川崎戦では6-2と前年王者を一蹴した。

開幕4連勝と好スタートを切ったチームは、その後も着実に勝点を積み重ね、優勝争いを牽引。ビスコンティ、サパタ、メディナベージョのアルゼンチントリオが躍動し、川口 能活、松田 直樹ら若手も台頭。リーグが中断する16節までを11勝5敗とし、快進撃を続けた。

ところが16節終了後にソラーリ監督が突如退任。代わって指揮官に就任したのが早野 宏史監督だった。監督交代後はやや不安定な戦いを露呈し、19節からは3連敗を喫するなど苦戦を強いられた。それでも序盤の貯金がものをいい、そのまま逃げ切りを果たして初のステージ優勝を成し遂げた。

NICOSシリーズでは一転し、手堅いサッカーを披露。得点力不足に苦しんだものの、井原 正巳、小村 徳男を中心に堅守を保ち、粘り強く勝利をつかみ取っていく。一方で大敗を喫する試合も少なくなく、サントリーシリーズのような勢いは示せなかった。結局NICOSシリーズはⅤ川崎、名古屋に次いで3位で終了。年間王者をかけて、Ⅴ川崎とのサントリーチャンピオンシップに臨むこととなった。

チャンピオンシップでは、勢いで勝るⅤ川崎の前に劣勢が予想されたが、ふたを開ければ横浜Mの粘り強さが際立った。第1戦は、後半立ち上がりに生まれたビスコンティのゴールを守り抜き、1-0で勝利。第2戦でも井原のゴールで先制すると、その後は多くのピンチが訪れたものの、身体を張った守備でゴールを許さず、1-0で逃げ切った。

大舞台での勝負強さを発揮した横浜Mが、Ⅴ川崎の3連覇を阻み、初優勝を達成。MVPは躍進を遂げた名古屋のストイコビッチに譲ったが、井原と鈴木 正治の2人がベストイレブンに輝いている。

■フォトギャラリー
https://www.jleague.jp/photogallery/g2036/

■1995年横浜Mのメンバーはこちら

 

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