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稲本 潤一が選ぶ自身のJリーグ歴代ゴールTOP10。1位は当時の記録となったあの得点

2019年7月5日(金) 15:20

稲本 潤一が選ぶ自身のJリーグ歴代ゴールTOP10。1位は当時の記録となったあの得点

稲本 潤一が選ぶ自身のJリーグ歴代ゴールTOP10。1位は当時の記録となったあの得点
稲本 潤一選手にこれまでJリーグで挙げたゴールの中から、ご自身にTOP10を選んでいただきました!

アーセナルに移籍する前にはG大阪で活躍し、帰国後も川崎F、札幌、そして今季からは相模原に移籍してプレーしている稲本 潤一選手。これまで、Jリーグで挙げたゴールの中から、ご自身にTOP10を選んでいただきました。あの衝撃の初ゴールから、川崎F時代、札幌時代のものまで。当時の思い出や秘話とともに、お楽しみ下さい。

 

10位:1998年8月22日Jリーグ2ndステージ 第1節 V川崎vsG大阪 1-2 41分

これは98年、まだ18歳のときですね。すごく良いバウンドで合わせられたという印象が残っているゴールかな。(V川崎は)黄金時代の人たちがプレーしていて、ガンバはまだそれほど強くないチームで若いときだったから、印象には残っていますね。

9位:1999年9月15日Jリーグ2ndステージ 第8節 G大阪vs磐田 3-1 89分

これはね、たぶんもうアディショナルタイムくらいなんだよね。2−1で勝っている中での3点目だったと思う。だからスペースもあったし、勝ちはほぼ決まっているような感じの試合だったんだけど、抜け出していったあとにGKの動きを冷静に見られていて余裕があったので、ループで打ちました。たぶんループで入れたのはこれくらいしかないので、気持ち良かったのは覚えていますね。

8位:2000年4月8日Jリーグ1stステージ 第6節 G大阪vs広島 1-2 48分

これは自分の持ち味が多少出ているかな。3列目くらいから当てて、そのまま長い距離を走って、松波(正信)さんからキレイなボールが来たので。これは誰もついてきていないし、シュートもすごくイメージ通りに打てたゴールですね。これはボランチをやっていて理想的なゴール。監督は早野(宏史)さん。2000年のチームはけっこう調子良かったんですよね。

7位:2000年4月15日Jリーグ1ndステージ 第7節 FC東京vsG大阪 1-3 49分

これはCKからで、たぶんこのときはそこまで試合に勝てていなかったんだよね。しかも、当時は国立でやれるというのはけっこううれしかったから、気持ちが入った試合ができたかなということで覚えていますね。FC東京も昇格してきたあとで、アマラオとかがいてすごく強くて。あとはツゥットとか……。その2トップがいて調子が良かったチームに勝てたというのもあって、このダイビングヘッドは印象に残っていますね。

6位:1998年3月25日Jリーグ1stステージ 第2節 広島vsG大阪 1-0 99分

これはVゴールでした。当時はまだVゴールがあったから(笑)。これは開幕2試合目だったと思うんだよね。たしか初戦を“大阪ダービー”で負けていて(1-2)、アウェイの1試合目ということで勝たないといけない状態。そこでVゴールを決められた。いまはもうないけど、初めてVゴールで点を取って勝てた試合ということで、すごくこれも覚えていますね。

−−Vゴールはやっぱり違いますか?

すぐ終わるからね(笑)。それで勝てば良いけど、負けるとキツイですよね。

5位:2011年7月9日J1 第3節 川崎Fvs福岡 3-2 38分

フロンターレでの初ゴール。トラップが一発でシュートを打てるところに止められていたので、ボールを止められた瞬間に「入った」と思ったゴールですね。

−−このポーズは?

たぶんワンピースです(笑)。ワンピースがすごく好きだったとき(笑)。

−−川崎F時代のゴールパフォーマンスはこのポーズですよね。

そうそう(笑)。すごくハマっていたときだね。こういうシーンがあるんです(笑)。それをやったという(笑)。

4位:2016年4月23日J2 第9節 札幌vsC大阪 1-0 82分

これは札幌での初ゴールです。お客さんは今でこそすごく入るけど、この当時はそこまでだった。この時はC大阪が相手で、たくさん観客が入った試合というのを覚えています。札幌での初得点というのもあるし、途中から出て、これが決勝点にもなったんですよね。

−−札幌でチームメイトとなった小野 伸二選手について。

二人で一緒に出られる機会がそれほどなかったのは残念ですけど、彼が札幌にいたから僕は行こうと思いましたし、いなかったらもしかしたら札幌を選択していなかったかもしれない。僕たちの年代はすごく優秀な、頑張っている選手が多い中で、伸二はその中でも別格な存在なので、彼と一緒に過ごせた4年間はすごく貴重な時間でしたね。

3位:1998年5月9日Jリーグ1stステージ 第12節 G大阪vs平塚 1-2 18分

都並(敏史)さんをぶっ飛ばすやつね(笑)。寄せてきたところで、体を当てて倒してシュートを決めました。これで都並さんは引退を決めたということを、いろいろなところでよく言ってくれる(笑)。僕の名前を出してくれてありがたいですけどね(笑)。結局、この試合は負けたんですよ、1−2で。98年ですから、たぶんヒデさん(中田 英寿)がW杯前でペルージャに行く前だった気がします。万博にそんなにいつも人が入らないのに、この試合は多くの方が来ていただいたことを覚えていますね。

2位:2001年7月14日J1リーグ1stステージ 第14節 FC東京vsG大阪 74分

これは(日韓)W杯のちょうど1年前。もうアーセナルに行くことが決まっていて、残りがこれともう1試合くらいで、だから負けたくないという思いがすごくあった試合ですし、アーセナルに行く前にガンバで取った最後のゴールなので印象にも残っています。最後にFC東京のファンの人も僕の名前を呼んでくれてコールしてくれたんですよね。「アーセナルに行っても頑張れよ」的なことを言ってくれて。だからすごく覚えていますね。ワンツーも股を抜いて。クソ暑かったというのも覚えているし(笑)。やっぱり海外移籍する前の得点だったので。

−−当時のサッカー人気というのは?

すごかったと思いますね。アーセナルに行くことが決まってから毎試合カメラの数はすごかったし、それこそ代表に入っていたときも、オリンピックのときも常に満員の中で試合をしていたので、やっぱりすごかったですね。

1位:1997年4月19日Jリーグ1stステージ 第3節 G大阪vs清水 4-1 66分

やっぱりこれは覚えていますね。たしか、これは4点目なんですよ。トラップミスをしたかなと思ったら、まだ当時は腰のひねりもあるので(笑)。でもそんなに喜んでいないでしょ?これはたぶんトラップミスをしたことに少しイラッとしているんだと思う。このときは3試合目かな。もうエムボマがすご過ぎて、その影に隠れながら点を取っていた気がしますね(笑)。開幕からの3試合が4−1(対平塚)、4−0(対横浜M)、それでこの4−1だった。外国籍選手が3人いたんですけど、本当にすごかったですね。ほかのチームはブラジル人が多いんですけど、この当時のガンバはヨーロッパ系が多かった(クルプニ、バブンスキー、カーリッチ)。その3人とも能力が高い選手だったのを覚えていますね。まだ17歳。このあとヒーローインタビューもさせられたりしたな……(苦笑)。

−−J1最年少ゴール記録の2位が久保 建英選手(17歳2カ月22日)、このゴールが17歳7カ月1日で史上3番目の若さでした。

(1位は15歳11カ月28日の)森本(貴幸)が取っていますからね。怪物がいますから(笑)。中学生くらいで取っているんでしょ?そんなもん勝たらへん(笑)。

−−でも17歳と考えるとやっぱりすごいですよね。

そのときのガンバが、ちょうど僕が高校3年生になったときにガラッと世代交代をしたんですよ。そのタイミングだったというのが良かったとは思っているし、監督とフロントの意見が「若い選手を使っていこう」ということで一致していたから、僕が使ってもらった感は多少あったので、良いタイミングのときに試合に使ってもらえていたかなとはいま振り返ると思いますね。やっぱりいま思うと、一番覚えているゴールですね。

取材・構成:林口翼
写真:星智徳

 

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