5月15日に、25周年を迎えたJリーグ。その前日の14日に、都内のホテルでJリーグ 25周年を記念する、あるイベントが開催された。それは25回目の“誕生日”を祝う盛大なパーティ!ではなく、多くの一般参加者が集うワークショップだった。
『未来共創「Jリーグをつかおう!」』と題されたこのワークショップ開催の目的は、「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与」というJリーグが掲げる理念に起因する。
「地域密着を掲げるJリーグだからこそ、 単なるサッカー団体の枠を超え、地域を豊かにしていく公器でありたい」そんな想いが込められて、このイベントは開催された。
キーワードは「Jリーグをつかおう」。
Jリーグを使って何ができるのか。このワークショップでは、そのテーマを軸に、様々な意見、アイデアが出された。
参加したのは約300人。Jリーグ54クラブの社長やクラブスタッフをはじめ、NPO法人を立ち上げ社会活動を行っている人や、医療関係で働く人、学生を含めた地域活動に寄与したいと考える人などなど。そのなかには、現役Jリーガーの播戸竜二選手や、昨季限りで現役を退いた石川直宏氏、そして初代Jリーグチェアマンの川淵三郎氏の姿もあった。様々な分野、様々な立場の人たちが知恵を出し合って、Jリーグを使って何ができるかを話し合ったのだ。
Jリーグ村井満チェアマンは、このワークショップ開催のきっかけに、ジーコ氏の存在を挙げた。昨年末にブラジルでジーコ氏のチャリティマッチを視察。ジーコ氏の活動と、それに賛同するブラジル国民の豊かな感情に感銘を受けた村井チェアマンは、ひとつの結論に至ったと言う。
「ジーコさんがあそこまでの活動をしているのはもちろん素晴らしいことですが、ジーコさんの想いに動かされた人たちが集まってくれることこそが素晴らしい。そうした市民の想いがあるからこそ、チャリティが実現できるのです。そう考えると、Jリーグでもこれまでにホームタウン活動をやってきていますが、我々だけが閉じて何かを提供しているだけにすぎず、それはもしかして、自己満足なのではないか。地域にはいろんな社会課題を解決しようとしている方々がたくさんいます。ジーコさんやブラジルの人たちが示してくれたように、我々も門戸を開いて、Jリーグを使おうという逆側の発想で、この運動を始めようと思いました」
このワークショップにはジーコ氏も参加し、壇上で自身の活動を参加者に伝えていた。
「自分たちのやり方を見ていただいて、Jリーグが何かを始めてくれたことがすごく嬉しい。私は30年もチャリティをやっているので、自分ができることもたくさんあると思います。ぜひ、私もどんどん使っていただきたい」と感想を語った。
4時間以上にわたって行われたワークショップでは、54のテーブルに分かれ、街づくり、エンタメ、地域振興などのテーマ毎に、活発な意見が出された。「Jリーグと農業」「スタジアムで宿題」「ウォーキングフットボール」など、「Jリーグをつかおう」というテーマに対し、斬新なアイデアが発表され、「4時間では足りなかった」と話す参加者もいるなど、中身の濃い時間となった。
会の最後に登壇したのは、川崎フロンターレの中村憲剛選手。村井チェアマンによると、中村選手は「仕掛け人のひとり」。以前、対談をした際に、「フロンターレはしっかりと地域貢献活動をしているのに、Jリーグは何をしているのか」と、指摘を受けたことが村井チェアマンの中には強く残っていたと言う。
中村選手は「生意気言わせていただきました(笑)」と、当時を振り返ります。そして、このワークショップの盛況ぶりを目の当たりにし、「正直、会場に入った時は嬉しかったですね。地域密着を掲げてやっていこうという思いが伝わってきました。Jリーグがやると言えば大きなエネルギーになる。社会を動かせると思いますし、これからみんなでやっていけば素晴らしい」と、今後への期待感を語った。
また壇上で挨拶を行った川淵氏が、Jリーグの成長を実感し、涙ぐむ場面もあった。
「Jリーグは何でもやりますよと、世間に問いかけている。こういう発想は僕にはないので、こういうことをやっていただいたのはものすごく嬉しい。本当に中身が濃い話ができたし、有意義な会だったと思います。こういうのを1年に1回という形で、開催したほうが絶対にいい」と、今後のJリーグの活動に対してエールを送った。
Jリーグでは今年中に「社会連携プラットフォーム」を、ローンチする予定。「活動立ち上げor参加募集機能」「発信機能」「クラウドファンディング」「活動ノウハウの型化」といった機能を備えたこのプラットフォームを軸に、各クラブ、一般の方々の地域貢献活動をサポートしていく。
「社会にJリーグを開いていく第一歩になったと思います。これからの25周年を皆さんと作っていきたい」(村井チェアマン)。
Jリーグを使って何ができるのか――。次の25年に向かって、Jリーグは新たな一歩を踏み出した。