ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任を受け、新たに日本代表の監督に就任した西野 朗氏は、自身も現役時代に日本代表としてプレーした実績を持つ。
早稲田大時代に日本代表入りを果たしたストライカーは、卒業後の1978年より日立製作所サッカー部(現レイソル)に所属。12シーズンに渡ってプレーした。
1990年に現役を退くと、翌年からU-20日本代表監督として、指導者のキャリアをスタートさせる。1994年にアトランタ五輪を目指すU-23日本代表監督に就任すると、前園 真聖、中田 英寿、川口 能活らを中心にチームを構築し、28年ぶりに日本をオリンピック出場に導いた。同年に行われた本大会ではグループステージ敗退に終わったものの、ロナウドやロベルト・カルロスらを擁したブラジルに1-0で勝利。「マイアミの奇跡」と呼ばれる劇的な戦いを演出した。
その後、1998年に柏の監督に就任し、1999年にナビスコカップ優勝を達成。2002年からはガンバ大阪の監督を務め、10シーズンに渡って指揮を執った。その間、2005年にJ1リーグ優勝、2008年にはACL制覇と、数々のタイトルをもたらしG大阪の黄金時代を築いた。
西野 朗 監督 年度別成績
2012年にはヴィッセル神戸を指揮し、2014年から2年間は名古屋グランパスを率いた。J1通算270勝は歴代最多で、Jリーグ史に残る名将としてその名を刻んでいる。
西野監督のスタイルを印象付けたのは、やはりG大阪時代。パスワークをベースとした攻撃スタイルを標榜し、リーグを席巻。優勝した2005年はシーズン82得点、1試合平均2.41得点を奪う圧巻の攻撃力を示しての戴冠だった。10年間で実に4度の最多得点を記録するなど、G大阪=攻撃サッカーのイメージを確立させている。
ポゼッション志向のイメージが強い西野監督だが、決してそうであるとは言い切れない。下の表は2011年以降、西野監督が指揮を執ったチームのスタッツをまとめたものだ。
2011年以降のスタッツ
2011年のG大阪ではパスの数が多く、ボール奪取後のシュートまでの平均経由時間も18.6秒と比較的長かった。一方で翌年の神戸、2014年からの名古屋時代ではパスの数が少なく、手数をかけない攻撃が多かったことが分かる。G大阪時代には遠藤 保仁をはじめ、パスワークに優れた選手がいた一方で、神戸、名古屋時代にはそうしたタイプが少なかったために、ポゼッションではなくカウンター型を標榜したのだろう。
つまり、戦術ありきではなく、選手の特性を踏まえたうえで戦い方を選択する、柔軟性を備えた指揮官であることが窺える。
クラブチームとは異なり代表監督は、目指すべきスタイルを実現し得る選手を選択することができる。果たして新監督は、どのような色を打ち出してくるのか。そのメンバー選考から、西野監督の目指すスタイルが浮き彫りとなってくるはずだ。
データ協力:データスタジアム