「現役引退」————
プロのアスリートなら遅かれ早かれ身に迫ってくる厳しい現実だ。プロサッカー選手であるJリーガーも、当然例外ではない。
Jリーグの選手にとって初めてクラブのユニフォームに袖を通した感動は、ずっと心の奥に刻まれているだろうが、それを脱ぐ日は必ずやってくる。翌日から新しい人生がスタートするが、多くの選手は引退後の進路に不安を抱いている。一般的には引退してもサッカー界で指導者や解説者になるのが当然だと思われているが、そんな甘いものではない。枠も限られているし、ずっと続けられるわけではない。そんな状況のなか全く新しい業界へ、別の新天地へ思い切って飛び込んで成功を手に入れた元Jリーガーたちがいる。プロスポーツの選手だったからできること、やれることはどの業種にも存在する。彼らの挑戦と行動がそれを証明している。
今回から始まる連載「プロサッカー選手としての経験、役立てています!」はJリーグの選手のセカンドキャリアを特集していく。新しいピッチは人それぞれである。スパイクを革靴に変えて営業に汗を流し、手に包丁を持って料理を作り、アイデアを練って会社を起こす。サッカー界から全く違う業界にトライして自分の手で未来を切り拓いた元選手たちの言葉に、多くの読者は背中を押してもらえるだろう。
第一回目はモンテディオ山形や徳島ヴォルティスでプレー、現在は人気アパレル・トゥモローランドで男性スーツの販売に務める廣瀬智靖氏である。
面識のないサポーターが、突然の来店――
「今でもサポーターが店舗にたずねて来てくれます。こんな嬉しいことはないですよね」
こう話してくれるのは廣瀬智靖氏(28)だ。真っ直ぐにこちらを見つめる真摯な眼差しが印象的だ。トゥモローランドのルミネ有楽町店の店員として、販売の最前線で活躍している。
廣瀬氏は2008年にモンテディオ山形に加入。その後、徳島ヴォルティスで活躍して2016年に引退した。アパレルは若い時から大好きで休日は欠かさずショップ巡りだったが、見るのも買うのも好きだった。引退後はこの業界へと考えたのは自然な流れだった。
「有楽町店では『ドレス』という場所にいて主に男性用スーツを店頭で販売しています。アパレルには興味があったので、現役時代から業界についてずっと調べていたんです。選手後にはアパレルしかないと決めていましたね」
Jリーグからアパレルの販売員に。180度変わった仕事に当初戸惑いはなかったのだろうか。
「それはまったくないです。もともと好きなジャンルです。
この仕事をしていて何より嬉しいのが、所属していたチームの選手やサポーターがお店に来てくれることなんです。最初は驚きましたが、本当感激ですよね…。
先日も面識のないモンテディオ山形のサポーターが、SNSで僕がここで働いているのを知って突然やって来てくれました。それも山形のユニフォームを着て(笑)。でも、本当嬉しかったですよ」
真面目な販売員の表情が少しほころんだ。サポーターとの絆が現役後も続いている、これもJリーグのよさなのだろう。
移籍先の徳島で“転職”の出会いが待っていた――
廣瀬氏は1989年埼玉県熊谷市生まれ。サッカーを始めたのは小学校1年生の時で、地元クラブチームを経て、名門である前橋育英高校へ進んだ。モンテディオ山形で6年間プレー、その後徳島ヴォルティスで2年間プレーしてJ1・ J2の両方を経験したことになる。関東出身の廣瀬氏にとって自然にあふれた山形の暮らしはどのようなものだったのだろうか。
「最初はホームシックになっていましたね(笑)。 でも住めば都、何よりも山形の人たちが温かくて僕は大好きになりました。有難いのは、現役を退いた今でも山形の方々が連絡をくれて、さくらんぼを送ってくれたりします。夏休みには奥さんを連れて山形に行きました。現役を退いていから、ちゃんと挨拶していなかったので」
そして徳島ヴォルティスへの移籍。実はここでセカンドキャリアにつながる素晴らしい出会いが待っていた。
「アパレル業界の情報を集めていたところ、面白い人がいるという情報を頂きました。ご紹介頂いたのが、徳島のトランクスメーカー『NALUTO TRUNKS』社長の山口輝陽志さんです。山口さんの住んでいるところが近所だったんです。お話をさせていただいたら、基礎を学ぶのであれば『トゥモローランド』がいいということになり、御紹介して頂いて入社の運びとなりました」
移籍先に転職に繋がる出会いが待っていた。選手によっては、クラブが地方にあることや、カテゴリーの違いを悲観的にとらえる人もいるようだが、廣瀬氏のように次のステップへの情報収集を常に前向きに続けてきたことが、転機をつかむこととなった。
入社2年目で、社内売り上げ上位を獲得!――
柔和な表情と謙虚な語り口、販売員としての身のこなしなど廣瀬氏は転職して2年目とは思えないものだ。情報集めもそうだが以前より業界の勉強をしており、しっかりと準備をしていたからこそ出来る対応だ。
「今の仕事の最大のやりがいですか? お客様が自分の名前を呼んで頼っていただくことです。現代はワンクリックで洋服を買える時代、それなのにわざわざ足を運んで洋服を買っていただける。この仕事の一番素敵なところです。
接客の仕事では僕自身すごく大事にしていることがあります。まず、嘘をつかないこと。それとお客様がどこに着て行くのか実際にお客様になったイメージを頭に描いて、同じ気持ちで接客することです。自分のオススメしたい物もありますが、本当にお客様が求めるシーンに沿った提案を大切にしています。」
お店が売りたい服を売るのではなく、お客様に合った服をすすめる。これが廣瀬氏のモットーであり、こういった姿勢もあって入社初年度から多くの顧客の心を掴んでいった。有楽町店はトゥモローランド全体でも最も売上の高い店舗だ。優秀なスタッフも多いが、そのなかで一生懸命に学んでいたら大きな成果が出た。スーツのオーダーフェアという社内の催しで、全国上位となったのだ 。
「有楽町店という店舗がとても恵まれていたんです。良いお客様も多いですし、優秀な先輩やスタッフも多い。サッカーに例えるなら良いコーチや監督からいい指導がもらえる感覚に近いんです」
入社2年目での快挙なのだが、本人はいたって謙虚である。
元Jリーガーの最大の武器は『努力を継続する力』――
廣瀬氏の活躍はセカンドキャリアの成功例を見るようだが、Jリーグやサッカーをしてきた経験は現在どのように生かされているのだろうか。
「一番言いたいことですが、Jリーガーやプロのアスリートは選ばれてプロ選手になったのです。誰よりも努力ができる人たちなんです。
僕もゼロから、何も経験がなかった。最初は知識量が全くなかったので店頭に立つのが本当は怖かったんです。インプットするものは大量にある。そこは凄く苦労しましたが、努力を継続する力がアスリートには全員に備わっています。これは僕の持論です」
廣瀬氏はこうも考えている。サッカーは集団でプレーする競技のため、会社のような組織で行動する場合に有利に働いている面があると。「チームのために」という意識が徹底しているからだ。年上のベテラン選手を見ていてもチームのため腐らないでひたむきにプレーしている。こういった意識が会社組織の中で生きてくるという。廣瀬氏自身はJリーガーのセカンドキャリアについてどう考えているのだろうか。
「選手としてはずっと気になっているところです。でも、クラブが何かやってくれるわけではありません。だから早めに準備したほうがいい、自分でやるしかないんです。ただ僕が言いたいのは、どんな仕事に就いたとしても、サッカーやスポーツを通して培ってきた「努力を継続する力」はアスリートに備わっているので、必ず成長や成功はついてくると思います。
今の会社に入って先輩に意外なことを言われました。『自分で目標を作ってそれに向かってやっていくということは、アスリートをやってきた人だね』と。今の人は目標を見つけられない。プロ選手はそれが習慣でしたし、それができなければ即クビという世界でした。プロサッカー選手だったからこそ、成長するためには今何が必要で、何をすべきか、という自己分析や自分の事を客観視できる。そこも今の職場でよく指摘されますね」
だが、Jリーグに所属する選手のセカンドキャリアを考える上で廣瀬さんのようにやりたい仕事に就いている人ばかりではない。うまくいっていない元Jリーガーが多いのも事実である。その違いはどこから生まれるのだろうか。
「違いですか…僕はプライドを捨てました。元Jリーガーだと結構いろんなことを言われるんです。『あいつは、サッカーしかしてこなかった』とか。でも、僕はそう言われても何とも思いません。上にあがるだけだと考えています。おそらく、うまくいかない人はプライドが捨て切れていないのではないかと思います」
現役時代と同じで、目の前の仕事をやり切りたい――
実は徳島ではもう一つの出会いがあった。現在の奥様である。私生活では結婚1年目を迎えている廣瀬氏だが、結婚の決断には躊躇があった。徳島での最後の年でサッカーを完全に辞め、生活スタイルも変わり迷惑をかけるため一時期は別れようと真剣に思っていたのだ。ところが「別に職業であなたのことを選んでない」、この奥様の一言ですべてが決まった。
転職も成功して公私ともに順調な廣瀬氏だが 座右の銘みたいなものはあるのだろうか。
「祖母からですが『人は大事にしなさい』という教えがありました。つまり、ご縁です。サッカーでも今の仕事でも大事なのは、人とのご縁ですね。あとは選手時代と同じで目の前のことをやり切ることです」
取材の日もモンテディオ山形の元選手が店舗を訪れてきた。現役時代の仲間や山形や徳島のサポーターもよく来店してくれるという。廣瀬氏の人柄はこのあたりにも表れている。最後にこう話してくれた。
「Jリーガー時代はすべてが良い経験でした、挫折を含めて。思い返せば会社勤めと同じで、毎日毎日が査定にかけられていたようなものです。凄いところにいたという自負があるからこそ、今は何も怖くないです。そう考えたらJリーグって人材の宝庫かもしれませんね。本人の準備と頑張り次第で、どんな分野でも挑戦できるんですから」
Text By:上野直彦