浦和レッズは来シーズンの監督として、ホルガー・オジェック氏と仮契約を致しましたのでお知らせ致します。
契約期間は2007年2月1日より1年間です。
【ホルガー・オジェック(Holger Osieck)】
1948年8月31日生まれ(58歳)、ドイツ、デュイスブルグ市生まれ
<選手としての経歴(ポジション:DF)>
シャルケ04
アイントラハト・ゲルゼンキルヘン
SSV ハーゲン
1FC ミュールハイム
1FC ボホルト
バンクーバー・ホワイトキャップス(カナダ) (1977) 21 試合2 ゴール
※ブンデスリーガの出場歴はなし
<指導者としての経歴>
シャルケ04 ユースコーチ
オリンピック・マルセイユ(フランス) アシスタント・コーチ(1990-1991)
VfL ボーホム監督VFL(1991-1992)
フェネルバチェ(トルコ) 監督(1993-1994)
ドイツサッカー協会所属コーチ(S 級) (1979‐1990)
同代表チームアシスタントコーチ(1987-1990)
浦和レッズ監督(1995-1996)
コジャエリスポル(トルコ) 監督(96/97-97/98)
カナダ代表監督(1998-2003)
FIFA技術委員長(2004-)
<タイトル>
ワールドカップ優勝1回 1990年(イタリア大会アシスタントコーチとして)
トルコカップ1回 1996/97年
CONCACAゴールドカップ優勝1回 2000年
<Jリーグ成績>
シーズン/リーグ成績/リーグ順位/ヤマザキナビスコカップ/天皇杯
1995ファーストステージ/15勝11敗/3位(14チーム)/―/ ベスト8
1995セカンドステージ/14勝12敗/8位(14チーム)/―/ ―
1996/19勝11敗/6位(16チーム)/4勝4分け6敗/ベスト4
<プロフィール>
90年のイタリアワールドカップで優勝したドイツ代表チームで当時のベッケンバウアー監督の下、アシスタントコーチを務めた。
現役引退後、カナダサッカー協会のアシスタントコーチを経て、79年よりドイツサッカー協会所属コーチ。
アフリカ、中国等世界中をコーチング指導にまわった。87年よりドイツ代表チームのアシスタントコーチとなり、ワールドカップ優勝に貢献。
W杯後フランスのオリンピック・マルセイユのアシスタントコーチ、91年から1シーズン半はドイツ・ブンデスリーガでリーグ戦通算48勝34敗の成績を残す。
その後、トルコのコジャエリスポルで同クラブ初のタイトルとなるトルコカップに優勝。1998年9月にカナダ代表監督に就任。2000年、アメリカで開催されたCONCACAFゴールドカップで優勝。2001年に日本と韓国で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップに参加。1分2敗の成績でグループリーグ敗退。
2003年2月に代表監督を退任し、2004年からはFIFAのテクニカルスタディグループの一員として技術委員長を務めている。
■ホルガー・オジェック氏コメント
「サポーターの皆さんが長い間待ち望んだ優勝おめでとうございます。私は1997年に浦和を去ってからもレッズの動向を気にかけ調べてきました。おめでとうございます。
このたび、監督就任を引き受けることになりました。アジアや世界で活躍をするチームにするという同じ目標をクラブと持てたと感じています。私自身は、国内では絶対にトップクラスを走り続けるという位置を維持し、それをかなえたうえで、世界的なクラブに発展することを目標として掲げます。
世界のビッグクラブは、優勝に満足することなく、常に次の目標に向かっています。レッズのJリーグ優勝という偉業はだれもが知っています。今の位置に留まるのではなく、常に前進していきたいと思っています。浦和の皆さんと再会できる日を楽しみにしています。」
■藤口光紀代表コメント
「オジェック氏に監督就任をお願いしたのは次の要素があったからです。まず、レッズがアジアや世界ではばたくには、世界的な見聞のある監督が必要でした。オジェック氏はカナダ代表監督やFIFA等で国際的経験を積んでいます。第二に、浦和の雰囲気、浦和の香りを知っていることです。オジェック氏は10年前のレッズでの監督経験があり、浦和のことも気に入ってもらっています。そして最後に、エンゲルスコーチをはじめ、今のコーチングスタッフをうまく活かしてもらえるということで、オジェック氏と考えを共有できました。
来年はJリーグ連覇はもちろんのこと、アジアでの飛躍を狙います。私たちはまだ天皇杯で闘っている最中ですが、これからもファン・サポーターの皆さんと共に闘い、共に前進していきたいと思います。」
以上