●反町康治監督(松本):
「天国にいる松田(直樹)と、残念ながら先日の御嶽山の事故で亡くなられた野口さんが抱き合っていると思うと、嬉しくて仕方がありません。我々チームとしては3年前を振り返ると届かぬ夢というところからスタートして、一日も休むことなく努力してきた結果、このように成果として表れることを非常に嬉しく思っています。我々スタッフも本当に努力しましたけど、陸移動の際のてまりバスの運転手さんには疲労困憊のところを運転してもらって感謝していますし、市営グラウンドのスタッフさんには大雪のときでも少しでも練習してくれるようにと朝早くから雪かきをしていただきました。そういうことを考えると、色々な人の力が結集して、こうした好結果を残すことができたと感謝しています。またアウェイにも関わらず1千人以上と聞いていますが、遠く松本からお金と労力をかけてここまで来て、我々に声援を送ってくれたサポーター。また、今日はここに来られませんでしたがいつも大声で応援してくれているサポーターにも感謝してもしきれないです。街中でもポスターを貼ってくれたり、街路樹にも幟を掲げてくれた一人一人の力があってこそだと思っています。……何かアカデミー賞の挨拶みたいになってしまいましたね(笑)。そういう皆さんの力がなければ達成できなかったと思っています。そうは言っても足りないところはたくさんあります。まだ教育しなければいけないところもたくさんある。まだ成熟までいっていないチームですが、今季はちょっとだけでも成熟させてシーズンを終わらせたいと思っています。J2では銀メダルでしたが、もう一つの大きなタイトル、フェアプレー賞は金メダルを目指し、残り3試合やっていきたいと思っています。松本のメディアは羨ましいですね。今夜はどうしても泊まらざるをえませんから。美味しいものを食べて、明日から取材に来なくていいです(笑)」
Q:2位確定おめでとうございます。改めて、3年でJ1に上がるというイメージはお持ちでしたか?
「最初見た時にはすごく時間かかるかなと思いましたが、我々をサポートしてくれる人がたくさんいて、皆がすごく手を取り合っていい雰囲気を作ってくれたので、私も仕事しやすかったと思います。1年目は相当かかるなと思いましたが、2年目、3年目とチームにも体力がついてきて、非常に早く加速できたと思います。ただイメージとしては、3年のプロジェクトという感じで持っていましたけどね」
Q:現在の勝点77は、優勝争いしてもおかしくなかった数字です。その要因は?
「戦力はかなり充実してきたというのはあると思います。ただ、そうはいっても裏でやっている千葉対磐田の試合の方が質は高いと思います。我々は彼らと同じことをやってきても追いつけない。それにないものを求めてやってきたつもりでいます。例えば、走力とか切り替えの早さとか全員がハードワークするとかゴールへの推進力とか。言葉にするのか簡単ですが、トレーニングしながらやってきた甲斐がここにあるんじゃないかと思います。選手にもミーティングで言いましたが、『日本で一番苦しい練習をしているよ』と。今日も誰も顎が上がることなくやりきれたと思います」
Q:試合直後の感想は?
「泣かなきゃいけないのなら泣きますけど、泣いて感傷的になるよりも次のことを考えないといけない。同時に来季のことも少しは考えないといけないところはあります。J1とJ2は全く違う国のリーグだと思いますので、このままでは今の声援が野次に変わるんじゃないかと心配です」
Q:この3年でチームは変わってきましたか?
「少しずつ良くはなってきたと思います。ただ、例えばグラウンドの問題ですね。ここ2ヶ月ほどずっと人工芝で、芝生の匂いを嗅いで練習していませんからね。福岡さんは芝生が何面もあって羨ましい限りです。現場の成長が早かったために追いついていない部分があるというのは認めますけども、実は今夜泊まるホテルも変わらないといけないんです。こういう情けないマネージメントでは、J1チームに笑われると思います。少しずつでもよりプロフェッショナルにならないと、そういう点で差をつけられてしまうと危惧しております」
Q:松田さんへの思いと、3度目の昇格を果たした感想を。
「僕が就任して最初の試合は、松田直樹メモリアルですからね。このクラブでは松田のことを言われることを承知の上で仕事を受けたんですけども、遡れば彼とは湘南時代にも電話で話をしましたし、僕が選手の頃に平塚時代に練習生と参加していたので親交があり、会えば必ず話をする仲でした。突然の悲しい事故となってしまいましたが、現場を預かる人間としては同じことを繰り返してはいけないということが一つ。そして彼の夢・目標・言葉を実現させることが、現場にいる受け継いだ人間としての使命。そう思い、日々努力してきたつもりです。昇格については、J2のチームを率いていれば可能性はありますよ。J1のチームを率いていればないわけですから(苦笑)。まあ、これだけ年をとってくればそういうチャンスもあると思います。ただ、僕は何もしてませんよ。走れ!蹴れ!と言っているだけですから」
Q:今季で手応えを感じた時期、苦しかった時期は?
「今季はいいスタートを切ろうというなかで、開幕戦の味スタでの試合から言いゲームが出来たので、最初から手応えは正直感じていました。その勢い、手応えが選手の自信に繋がったことは間違いないですし、夏場の苦しい時期、他のチームが苦しんで失速するなかで3位以下を引き離したんですね。それはやはり非常に負荷の高いトレーニングの成果だと思っています。苦しい時期といえば、やはり9月ですね。疲労なのか怪我による戦力ダウンなのか。なかなか勝点3をとるゲームが出来なかった。そんなに内容的には悪くはなかったんですけどね。やはり現場を預かる人間としては、非常に苦しかったですね」
Q:今日の勝点3の意味とは?
「サッカーの世界で勝てば昇格、負ければ何とかとか考えればきりがない。どのゲームも同じだと思いますが、今日は選手にも話しましたが、『一つ大きな目標を超えるには、大きなエネルギーが必要だ。一人一人のエネルギーが集まれば、より大きなエネルギーになる』と。今日はその意味では最初から大きなエネルギーを出したと思います、山本以外は(苦笑)。それが結集したんじゃないかと思います。まあ、勝点3は同じだと思います」
Q:田中隼磨選手の存在とは?
「隼磨は生粋の松本っ子で、クラブへの愛着は他チームでやっていた頃からあったと聞いています。実際、名古屋時代に練習試合をした時も色々な話をしました。常に彼の心の中に松本があったことは嬉しいことです。彼も日の丸つけた選手ですけど、そういう選手がJ1からJ2に来るというのはマネージメント上難しい部分がたくさんある。しかし彼は、上から目線ではなく全く同じ目線でアドバイスを送り、自ら率先してトレーニングしたり。彼はフィジカルトレーニングでも一番ですよ。素晴らしいことだと思います。そういう力があったからこそ、こうした大変なことを成し遂げることが出板と思います。素晴らしかったと思います。ただ、実は7月頃から報道陣にも選手にも知られていないことなんですが、明日からしばらくサッカーをすることが出来ないんです。当分休まないといけないくらい、膝の状態が良くなかったんです。知っていたのはメディカルスタッフと我々など限られたスタッフだけでした、今日昇格決まるまで相当痛かったと思いますが、痛い顔もしなかった。彼のそういう思い入れが最後までチームを大きくしてくれたんじゃないかと思います。『何かおかしいのかな?』と思っていた選手やサポーターの方もいたのかもしれませんが、かなりの長い時間を要さないと治らないくらいです。彼を左サイドで使ったのはそういう事情もあります。詳細は本人に聞いてください」
Q:下のリーグから来た選手も成長し、勝利に貢献していたが。
「成長したかどうかは分かりませんが、やはり意欲的に取り組んだ成果だと思います。村山(智彦)にしても昨日かな?子供が産まれたのでダブルの喜びですが、守らなければならないものがまた一つ出来たので大変だと思いますが、彼も佐川男子として荷物を運んでいたという話を聞いてます。多々良(敦斗)もクレープ屋でバイトしていたり、(岩間)雄大はもっと色々経験しています。そういう選手たちの集合体だからこそ、『何とか目標を達成したい』という気持ちがより強かったんだと思います。ずっとJ2にいるチームの方が逆にそういうものをコントロールするのは難しいかもしれない。そういうところを上手くチームに埋め込んだ。飯田(真輝)もあっちに蹴ろうと思ったらこっちに蹴ってしまう選手ですがここだけは負けないという強さがあるし、船山(貴之)も今日も点を取って、大黒(将志)さんが2点取ったようですが得点王争いをするようになった。自分で努力をして這い上がってきたわけです。そういう姿を見ると本当に嬉しく思いますよ。他の選手もそうです。雄大は地味な選手ですがチームになくてはならない存在です。それは喜山(康平)も(岩沼)俊介も大久保(裕樹)もワンちゃん(犬飼智也)も。山本(大貴)は違いますけど(笑)、(岩上)祐三ももちろん隼磨もそう。今日来た選手もそうだし、松本で映像を見せている選手もそうです。かけがえない大事な存在で、その集合体が大きな成果を生んだと思っています」
Q:若年世代に期待されながら活躍しきれていなかった選手たちも、ここに来てジャンプアップしました。
「生かすも殺すも指導者次第というところは正直ありますからね。我々は下から這い上がってきたチームで、戦力的にも『こいつらを頼りにしないといけない』というのが第一にありましたからね。そこで良さを見た上で、出来ること出来ないことをしっかり整理して、出来ることは伸ばす。出来ないことは少しずつでも考えさせる。そうしたアプローチで、試合を通じて徐々に逞しくなってきたと思います」
以上