ジキル博士とハイド氏。人間が併せ持つ多面性を題材にしたスティーブンソンの名作を思い出す試合だった。「二重人格」というと特別に聞こえるかもしれないが、どんな人間でも心の中には様々な表情がある。それでも多くの人が「ジキルとハイド」にならないのは「バランス感覚」のなせる業だろう。だがある瞬間をきっかけにバランスが崩れてしまった時、表面と内面がガラリと変わることもある。
サッカーが人間の業である以上、人間の本質があぶり出されるものだ。だが、ここまで極端に揺れることも珍しい。経験豊富な西野朗監督(名古屋)が「ある時間帯から、またはワンプレーからガラッとゲームの内容やペースが変わってしまうものだけど、あまりにも……」と嘆いたほどだ。「前半は戦えていなかった」と水本裕貴が語るように、球際での五分五分のバトルを制したのは、ことごとく名古屋だった。35分、青山敏弘に矢田旭が敢然とバトルを挑んでボールを奪い、永井謙佑の決定的なシュートを導いたシーンなどはその象徴だろう。シュート数でも広島1対名古屋7。4回連続CKの3回目で生まれた矢野貴章のヘッドなど、名古屋が決定機を創造したのに対し、広島のチャンスはゼロ。0−0に終わったのが不思議なくらいの差があった。
後半もまず名古屋がチャンスをつくる。田口泰士のクロスに川又堅碁が飛び込む。本多勇喜のクロスに川又がヘッドであわせる。名古屋の得点の予感は、消えていなかった。だが58分、広島の魂を司る男=青山敏弘の一つのプレーが状況を一変させた。
クリアを柴崎晃誠がカット。そのこぼれ球を田口と争って制した青山は迷いなく、左に開いた山岸智にパスを出す。左45度でペナルティエリアのすぐ外。この距離であれば、彼にはシュートもある。だが、「アオが走るのが見えた。そこにフワリとクロスが出せれば」と山岸は瞬時に、かつ冷静に局面を見ていた。
佐藤寿人はCBの2人がマークし、高萩洋次郎も本多が監視していた。石原直樹は間に合っていない。普通の状況であれば、名古屋にとって問題はない場面。だが、青山のスプリントには誰も気づいていなかった。そこに左ワイドのベテランが正確にクロスを入れた。この瞬間、試合の表情が変化する。
至近距離からの青山ヘッド。さすがの楢崎正剛もはじくのが精一杯。高萩の足下だ。楢崎が迫る。「シュートを打てば(GKに)当たる」と判断した高萩は、狭いスペースをダイレクトで横に出した。佐藤だ。シュートだ。ポストだ。
「惜しい、で終わってしまうのか」
この瞬間、森保一監督の頭をそんな感情がよぎった。だが、もう1人のストライカーが、そこにいた。冷静に枠を捉えたシュート。広島、先制。この時、ゴールエリア近くにいた紫戦士は5人。一方の名古屋はGKを含めても4人。青山のビッグプレーが広島の選手を「前へ」と突き動かし、名古屋の選手たちを「ボールウオッチャー」と化した。この先制点が、まさに分水嶺だった。
その2分後、またも広島が強烈な輝きを見せる。
スタートは柴崎のサイドチェンジ。広島らしい68mのピッチ幅を使ったダイナミックな展開だ。
柏好文が本多と永井に挟まれながらも粘り、中に切れ込む。本多が追いすがる。こぼれた。石原がサポートに入り、高萩へ。
「感覚でパスを出した」と10番は言う。後にビデオで見ると、ボールを受ける直前にチラリと前に視線を送ってエースの位置を確認していた。ダイレクトでスピードをコントロールしたボールをピンポイントでGKとDFの間に落とせる高萩の技術。そのボールを引き出し、オフサイドギリギリのタイミングで飛び出して(ビデオで確認したが間違いなくオンサイド)ヘッドを流し込んだ佐藤のスキルの高さ。ナビスコカップ準決勝から数えて3試合3点目の「10番→11番」弾にエディオンスタジアム広島は沸きに沸いた。
その後はほぼ一方的な展開。チャンスの質・量を考えれば、4点よりもさらに点差が開いてもおかしくなかった。名古屋は典型的な自滅。前半に見せた激しさは苛立ちと荒さに変わり、若々しい躍動は未熟さが目立ち、有機的につながっていた選手間の絆がプツリと切れた。その名古屋の崩壊は「あのシュートを自分が決めれば一番良かったんですけどね。もっと練習します」と語った青山敏弘の決意がこもった飛び出しから、始まったのである。
どんな人間にも「ジキルとハイド」的な要素を内包しているように、サッカーでも一つのプレーをきっかけとしてジキルがハイド、ハイドがジキルになってしまう。それがこのスポーツの怖さであり、魅力であり、90分の物語が極上のエンタテインメントとなりうる要素でもある。サッカーの本質に思いをはせながら、秋の夜長は過ぎていった。
以上
2014.10.19 Reported by 中野和也