男はピッチの芝を確かめるように、ゆっくりとウォーキングに励んでいた。いったいどれぐらいぶりだろうか――。4日、そして5日、練習場の「岐阜県フットボールセンター」にはそんな思いを抱かせる、実に久しぶりの姿があった。
関田寛士。「右足関節変形性関節症」でチームを離脱してからというもの、練習場に顔を出したのはこの日が初めてだ。同じく長期離脱中の井上平や地主園秀美らはホーム試合に足を運んでいるため、近況などを伺うこともできたが、関田だけは病院でリハビリと治療を繰り返していた。筆者はもちろん、チームメイトとも久方ぶりの再会である。
「冷やかしにきました(笑)」
そう言って冗談を振りまいていたが、そこには選手たちと積極的にコミュニケーションを図り、練習の雰囲気を明るくさせる背番号5がいた。関田は言う。「みんなに会うのは久々っす。まったく顔を合わせてなかったですから」と。なにしろ一番辛く、もどかしかったのが彼本人であったことは想像に難くない。
負傷の公式リリースが出た5月19日は、術後である。突然の発表に、ひょっとすると「え、いつ怪我したの?」というサポーターやファンの方も少なくなかったかもしれないが、彼は4月上旬あたりからずっと姿を見せていない。3月31日の第6節・東京V戦後に感じた右足首の痛み――少しの間は別メニューで調整を続けていたが、次第にその姿はなくなっていった。
最後に会ったときが脳裏をよぎる。帰途に就くため自車に乗り込む彼に、東京V戦後の練習で突然別メニューに移っていたことを尋ねると、「試合中は何ともなかったです。急に……」と首をかしげていた。試合中にもそれらしい接触シーンは見当たらなかったし、本人にも痛めた自覚がない。それでも、痛みは引いてくれなかった。突発的なそれの原因すら分からないまま、戦線離脱を余儀なくされてしまったのだ。原因が分からなければ、クラブからリリースを出すことも難しい。
しかし検査を繰り返した結果、ようやく上記の傷害名が判明。そのことですぐに手術に踏み切ることができたのだ。順調に回復すれば、完治まで約6週間。現在ドクターからは「ウォーキングしか許されていない」そうだが、明るく振る舞う彼の表情を見ることができただけで、彼にとって大きな前進であることを容易に想像させるし、こちらもうれしくなるもの。「原因が分かって良かったですね」と言葉を投げかけると、関田の言葉もまたほぼオウム返しだった。
「ホント良かったですよ(笑)」
復帰まではまだまだ時間がかかるが、それでも久しぶりにあった彼の姿は、チームにとって明るい話題となったはずである。
以上
2013.06.05 Reported by 村本 裕太