10月23日に岡山県津山市で行われた岡山vs岐阜の一戦。この試合を取材しに行った筆者は、前日の22日に津山入りをした。
目的は長年大変お世話になっている人物と食事をするため。その人物とは全国大会常連校である、岡山県・作陽高校サッカー部の野村雅之監督。作陽高校を選手権準優勝、高円宮杯ベスト4など、全国の強豪校に育てあげた名将であり、DF秋田英義の恩師でもある。
作陽高校は岡山県津山市にあり、筆者の中では『津山イコール野村雅之監督』(B’zファンなら、『津山イコール稲葉さん』なのだが…)で、津山で岐阜戦があると知ってからスケジュールを空けていた。
野村監督と合流し、津山市内の店で鍋を食べていると、翌日に凱旋試合を迎える秋田の話題に。そのときに野村監督が話してくれた数々のエピソードが、秋田英義という選手の偉大さを、改めて認識させてくれた。
「あいつは本当にすごい。鳥取から岐阜に入ることが決まる前、正直セカンドキャリアで指導者の道を勧めた。でも岐阜に行くことが決まって、連絡が来たときに、『俺はまだまだ伸び盛りですから』って言われたんだよね」。
岐阜に来た時、すでに34歳になっていた秋田。それでも伸び盛りと言い切れるのは、今まで積み重ねてきた努力と確かな自信という裏付けがなければ、絶対に出来ないはず。34歳にしての2度目のJリーグ挑戦という、端から見れば厳し過ぎるチャレンジを、心から楽しめるメンタリティーがそれを物語っていた。
彼は高校時代からずば抜けた身体能力を持っていたという。野村監督が考えた14項目に渡るアジリティ(俊敏性)測定において、彼が叩き出した数値は他を圧倒していた。
「全体的に何でもこなしたよ。驚いたのが左右のキック力。右も左も両方ともプレースキックで60m飛ばしていたからね。ベンチプレスも、12分間走も、どれもすごかった。秋田が卒業して7〜8年は秋田の数値を最大値として使っていたくらい、ずば抜けていたよね」
こうした話からも、彼がなぜこれまでプレーを続けられ、今もなお第一線でプレーしているのかがよくわかる。もともと高い水準で持っていた身体能力に加え、それを衰えさせずにより進化させていくため、前述したようにずっと地道に努力を重ねてきたのだ。
あるベテランのテレビディレクターが、「彼が作陽高校から名古屋グランパスにやってきた頃にサテライトの試合をよく取材していた。あれから10年以上経って、こうしてJリーグの舞台で取材ができることは不思議な気分だし、感慨深いね」と語っていたことを、ふと思い出した。
高校を卒業してから、たった2年間のJリーガー生活を終え、そのあとに10年以上回り道をしながらも、その過程に一本の芯を貫いてきた。その根気と意識の高さは感服するし、筆者よりも年上の彼がピッチで躍動し続ける姿は大きな刺激を与えてくれる。
他にもいろいろ彼にまつわる話を聞かせてくれた野村監督。酒の席での何気ない会話から、改めて秋田英義という一人のフットボーラーのすごさを認識させてくれた。翌日に迎える彼の凱旋試合を思いながら、旨い料理と旨い酒と共に、充実した一夜を過ごすことができた。
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2010.10.25 Reported by 安藤隆人