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コラム

北條 聡の一字休戦

2015/5/5 19:33

なぜサイドバックは名キッカー予備軍か(♯10)

抜きました! 何を? 『伝家の宝刀』を――。家に代々伝わる大切な刀。転じて、いよいよという場合に使うモノという意味ですね。平成24年度に文化庁が発表した「国語に関する調査」によれば、本来の言い方ではない『天下の宝刀』を使う人が31・7%いると……。そこまで話のスケールを広げるわけにはいきませんが、やはり宝刀だと思うのです。名キッカーの「足」は。

戦力格差や展開の優劣を一時的に「棚上げ」するセットプレーなどは、彼らにとって最高の見せ場でしょうか。たった一振りで、格差をひっくり返し、僅差を決着させるわけです。誰からも強制されず、自分の間合いで勝負できる特権を得て、標的をにらみ、満を持して宝刀を抜く。そうした一連の流れにぴたりとハマる役者がおりました。太田 宏介選手(FC東京)です。

たった一振りで格差をひっくり返し、僅差を決着させた
たった一振りで格差をひっくり返し、僅差を決着させた

舞台は味の素スタジアム、演目は十八番(オハコ)の『多摩川クラシコ』(川崎フロンターレ戦)でした。1点(0-1)のビハインドを負っていた71分が、例の「いよいよ」という場面です。ゴール正面から、やや右寄りの地点で得たFK。鮮やかに抜いたわけです、伝家の宝刀(左足)を。左上から巻くように川崎Fの「人壁」をすり抜けたボールはゴール手前で一度バウンドし、ファーサイドへ吸い込まれていきました。狙ったコースへ球を蹴り込む技術は、まさに匠のそれでしょうか。

球筋を変える球種以上に「球速」「球勢」が抜群。言わば、時間と空間の先取りですね。相手からすれば「分かっちゃ入るけど止められない」という世界でしょうか。球足の速いキックは、味方を経由してゴールを狙うCKや間接FKでも強みになります。受け手は「当てるだけ」で球に勢いが生まれるため、当てる瞬間の力の加減にそこまで巧拙が問われません。武藤 嘉紀選手の決勝ヘッドが好例ですね。太田選手のFKを頭に当てるだけで、ボールは豪快にネットへ突き刺さりました。

武藤選手の決勝ヘッドは『伝家の宝刀』から生まれた
武藤選手の決勝ヘッドは『伝家の宝刀』から生まれた

キックの秘密を「宝刀=天賦の才」という等式だけで片付けてしまうのは惜しいですね。興味深いのは、太田選手のポジションがサイドバックということでしょうか。精密機械と呼ばれたアンドレアス・ブレーメ(元ドイツ代表)やロベルト・カルロス(元ブラジル代表)らの例を引くまでもなく、古今東西、名キッカーの系譜に連なるサイドバックは少なくありません。その多くが攻撃面における要件を自覚し、等しく研讃を積んだところに秘密がありそうです。それが「クロス」ですね。

フィニッシュの導火線となるクロスの質は、キックの技術に加え、距離(ニアかファーか)や角度(アーリークロスかプルバックか)、さらに球の高低(上・中・下)といった選択能力も重要な決め手になってきます。これ、FKの成否を左右する要素とほぼ同じですね。太田選手の場合、無人空間を探り当てるルート検索の妙が、他者と一線を画す強みでしょうか。こうして「動く人壁」の隙間をうかがい、そこへクロスを差し込む工夫を凝らしてきたプロセスが、今日(こんにち)の名キッカーの座へ押し上げたのかもしれません。

失礼を承知で言えば、名キッカーの列から外れたサイドバックにはクロスの質を期待しにくい、ということでしょうか。ここぞという場面で明後日の方向に飛んでいくクロスを見送りながら深いため息を……いやいや、これ以上は申しません。本来、サイドバックと名キッカーのシンクロには、何の不思議もありゃしない――そう言いたかったわけです。つまり『サイドバック+X=名キッカー』の方程式を解くには「X」の値に「クロス」を当てはめればいいんじゃないかと。

太田選手の良質なクロスでスタジアムは大いに沸く
太田選手の良質なクロスでスタジアムは大いに沸く

いったい、あなたのキックの秘密はどこにあるのですか? クロスの神とでも言うべき現役時代のデビッド・ベッカム(元イングランド代表)に時を隔てて二度、同じ質問をすると、独特の甲高い声で同じ答えを返してくれました。プラクティス、プラクティス、プラクティス――日本風に訳せば、一に練習、二に練習、三四がなくて、五に練習といったところでしょうか。わざわざ同じ言葉を三回も繰り返すベッカムの顔に「才能も磨いてナンボ」と書いてありました。幻覚ですが。

ベッカムのキックは「伝家」のスケールからはみだした『天下の宝刀』でしたね。天下一の名キッカーを目指し、クロスの質をせっせと磨く。そんなサイドバックが増えてくれると、ゴール前の攻防やセットプレーがますますスリリングになるでしょうね。伝家の宝刀で、天下を取る。その暁には、あなた様を「殿下」とお呼びします――何やら背中に冷たいものを感じたので、この辺で……。

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