ストーリーstory

米田がゆく 選手が地域に出る意味を、どう考えるか〜Jクラブのサスティナビリティ経営(後編)〜 [2018.12.01]

前編では、試合会場での様々なシャレン!活動についてご紹介しました。
後編は、川崎フロンターレGMの庄子さん、中村憲剛選手の取材レポートをお届けします。

地域密着の手本と言われるワケ

試合、そして優勝セレモニーが終わった運営スタッフの控室で大事な取材を2件させていただいた。
1人は庄子春男さん。長年、川崎フロンターレのGMを務めてきた連覇の功労者。

―――お疲れのところ、待ち伏せしちゃってすみません。ずっと聞きたかったことがあるんです。フロンターレは地域密着の手本だと言われるクラブになりました。なぜあれだけ選手を地域の活動に出そうと思ったんですか?クラブの強化サイドは選手のオフ・ザ・ピッチの稼働を好まない方もいる、と聞いていたので、フロンターレは不思議だなと思いまして。

「うーん。答えになるかわからないけど…」と言いながら、庄子GMは語りだした。

※2000年にJ1昇格を果たしたものの、2001年にJ2へ降格すると平均観客数が 3,000人台の約50%に激減した

「2001年が転換期だったんだ。J1にあがって、J2にすぐ落ちて。観客が半分近くになってしまって(※)。これじゃダメだって。事業本部と強化本部で一緒に話し合った結論が、勝っても負けてもお客さんが来るようにしないとダメだね、ってことだった。そこからはいろんなことを仕掛けてきた。天野が来て、憲剛も入って、憲剛がモデルになって、今は積極的に出るのが当たり前というか、それに続く選手が出てきた。とにかく楽しんで帰ってもらうこと、そこに集中した。うちの選手たちは練習後も30~40分かけてサインする。しっかりやってくれているなと思う」

※2000年にJ1昇格を果たしたものの、2001年にJ2へ降格すると平均観客数が 3,000人台の約50%に激減した

―――オン・ザ・ピッチのことだけを考えたい、考えていればいいという声はなかったのか?

「もちろんあったと思う。でも、同じオン・ザ・ピッチでも、お客さんがたくさんいるピッチと、スカスカのスタジアムでのピッチでは、どっちがいいか?って話をして、理解してもらった。スケジュールは大事だけど、そのスケジュールを踏まえたうえで、出来る限り地域に出ていくようにしている。試合前の何日間は軽減するようにとか、そこは事業サイドとルールを決めて調整した。選手たちも参加して、挨拶をして、を繰り返すのが大事。考えていることをどう伝えるかも勉強になる。地域に出ることで成長している面はあるんじゃないかな。移籍してきた選手とかはビックリするみたいだけど、自分からもちゃんと話すようにしている」

“地域の笑顔”という共通目標

―――今日スタジアムに来て、あれだけの子どもたちが試合前のピッチで走り回っているのを見て、びっくりしました。芝生、気にならないんですか?

「ダメって言いたい人の気持ちもわかるよ、昔そうだったから(笑)。昔の僕だったら、ダメって言ってたと思う。気が散るとか、痛むとか。でも、喜んでもらう方が大事ってなってからは大丈夫。スパイクは履かないでと伝えてあるし、あのくらいの子供たちなら、全然痛まない。もちろん、芝生のコンディションがひどく悪ければ別だけど」

―――川崎フロンターレに来ると、川崎の笑顔のため、って誰に聞いても言うんです。明文化されているわけでもないと聞きました。いつからそうなったんでしょう?

「なんでだろう。17年もやってきているからさ。自然とだね、自然とそうなった。サポーターともいろんなことを一緒に取り組んでいるという感覚でいるんだよね。逆に、ちゃんとやってないと、あの行動はダメって情報も入ってくるし(苦笑)。いい緊張関係だよね。まだ、満足してない。次はどうするかを考えている感じ。強化と事業だって決して距離が近すぎるわけじゃない。意見がぶつかることも多い。でも、いい距離感で、よく対話をしているということじゃないかな」
事業と強化は時に対立する。だけど、クラブのため、地域の笑顔のためという共通の目標を持てているからこそ、良い循環が生まれているのかもしれない。

関わり合いから生まれる一体感

さて、もう一人はこの人だ。5月14日の25周年イベント「Jリーグをつかおう!」にも登壇した中村憲剛選手。90分戦って、セレモニーをして、いろんな取材を受けた後にも関わらず、時間を作ってくれた。
「お、久しぶり。あれ、いつだっけね?5月?もうずいぶん経ったね」なんて言いながらインタビューがスタートする。

―――選手が地域に出ることの意味を、憲剛さんはどんな風に捉えていますか?

「俺たちは放っておくとピッチの中にいるよね。中にいると外のことが見えづらい。だから、自分たちから歩みよらないと。環境も大事。うちはクラブの理念として、川崎の街と共にというのがスタートだから。じかに会って、地域を理解することが大事だってずっとやってきた。だからフロンターレの新人研修は必ず街に出て、俺とか、先輩が背中を見せることが大事と思ってる。もうサッカーだけやっていればいい時代じゃない。SNSもそうだし、選手たちが出たり、発信したりする時代になった。出て喋れば、成長する。トライアンドエラーの繰り返し。言語化のトレーニングにもなる。だれでも考え方1つで、出来るようになるよ。露出って大事。無理に好かれる必要はないし、全員に好かれるのは無理。でも、出ていかなきゃアンチすら生まれないじゃない」

―――フロンターレは、強化本部の理解、選手の理解がすごいですよね。

「うん。繋ぐスタッフの力もあると思う。5月14日のイベントで、選手も使ってくださいといったけど、言い忘れたことがある。人によってアプローチが違うってこと。アキ(家長昭博選手)やリョウタ(大島僚太選手)とノボリ(登里享平選手)とオレはそれぞれ違う。のせ方がうまいスタッフがいるかは重要だよね。「これやったら、ファンが喜ぶんだけどなー」って言いながら上手にね。最終的に選手は目立ちたがりが多いから、のればやるんですよ。あと、サポーターも大事。フロンターレのサポーターはブーイングをしない。ブーイングされないって、ある種きついよ。された方が楽な時もあった、正直。でもね、それでもずっと応援し続けてくれるというのを感じると、人は頑張りたくなるじゃん。そういう関わる人の一体感がフロンターレの強みなのかな」

―――今日、VIPラウンジに行って驚いたんですが、タオルマフラーをかけている人、ユニフォームを着ている人の多いこと!一度足を踏み入れたら、誰もがフロンターレに恋に落ちてしまう、そんなところになっているのかもしれないですね?

「スポンサーに、出していただいたお金がどれだけの価値を生み出しているか、肌身で感じていただく機会があったほうがいいと思ってる。皆さんのおかげで、今日どれだけの人が笑顔になった?ってのを肌感覚で共有できるようにしたい」

やれない、やらないじゃなく、
やってみる

―――一緒にこの空間を創っているという感動をシェア出来るのは幸せなことですね。途中でやめたくなったりしなかったのですか?あんなことやってるから勝てないんだよ、という声もあったように聞きました。

「うん。サッカーだけやればいいという人もいるよね。そういう考えもあっていいと思うし、それを否定もしない。でも、ここに入ってたくさんのことを経験して俺は違うと思った。だって(選手が外に出て活動したら)みんな喜んでんだもん。喜んでくれれば嬉しいし、それが真実でしょ。だから続けた。2003年から自分はこれをやってるから。簡単じゃないけど。やれない、やらないじゃなくて、やってみようよ、って話だと思う。どこにチャンスが転がってるかわかんない。園児にオフロスキーで出てったらすごい反響だったわけで。中村憲剛なんて知らないんだよ、園児は。でもそういう番組に出ることで寄ってもらえるんだよ。面白いよね」

「だって、3000人からここまで来たんだから、他のクラブにもいっぱいチャンスはある。フロンターレだってこのままじゃダメ。停滞は後退だと思ってるから。どうやってきたかとか、初心は忘れないけど、足元を見つめなおして、しっかり新しいことに挑戦していく。企画もだし、サッカーも。でも、道筋が作れたという希望は持ってるんだ。優勝したことで、やっとカタチに出来たというか、一石投じられたと思うんだ。ていうか、Jリーグの理念とか百年構想、何だっけ?って話じゃん。地域の人を元気にしないとダメだよ。結局、人と人だから。選手たちだってやりたいと思っている人がいても、それを吸い上げる環境にないのかもしれない。リーグ、よろしくね!」

―――最後に展望を一言!

「目いっぱい楽しむ。企画はスタッフがやってくれるけど、どんどん乗っかるし、対話して進化させる。努力を怠らず、背筋をピシッとして!!ね、先頭でやる!!これだね」

脈々と受け継がれるフィロソフィー

急な取材依頼を快く繋いでくれたスタッフや、1日密着取材をサポートしてくれたスタッフの、毎日の毎日の努力が、クラブを創っていると強く感じる。驕らない姿勢。感謝と謙虚さが生む一体感。それが川崎フロンターレの強さだ。そこには地域のためにというクラブフィロソフィーが脈々と受け継がれているのだろう。いろんなクラブの考え方があっていい。これも1つのやり方で、違うやり方で進むクラブがあって勿論いい。伝えたいのは、目に見えることの称賛ではなく、クラブの軸、大切にしたいことがどこまで浸透しているか、ということ。いろんな個性が全国にあることは幸せだ。今回のレポートで、Jクラブのサスティナビリティのヒントをうまく伝えきれていたら嬉しい限りだ。
「あ~、今日も1日長かった!」と暗闇の中をバス停に向かって急ぐ帰路。あれだけにぎわいのあったフロンパークも、元通り。日中の人混みが嘘のよう。「あ!これですよ、ヨネさん」とスタッフから声をかけられる。なんと、公園の柵に乗っている小鳥に、フロンターレカラーのニット衣装がかけられている。こういう何気ない日常が、Jクラブのある風景なのかもしれない。これを全国に。まだまだ私たちの挑戦は続く。

Jリーグ理事 米田惠美

公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事

米田惠美

1984年生まれ。2004年に新日本監査法人に入社。公民様々な業種の監査や経営アドバイザリーを担当し、2006年に慶應義塾大学経済学部卒業。2013年に独立と共に組織開発パートナーである(株)知惠屋を共同設立。米田公認会計事務所所長であるとともに、保育士資格を持ち在宅診療所の立ち上げにも従事。2017年にはJリーグ フェローを経て、2018年4月よりJリーグ理事として、社会連携や組織開発の分野を担う。

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