1993年に開幕したJリーグのオープニングマッチで対戦したのは、Jリーグの前身にあたる日本サッカーリーグ(JSL)時代からライバル関係にあったヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)と横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の両雄だった。
試合はⅤ川崎がマイヤーのゴールで先制したものの、横浜Mは48分にエバートンのゴールで追いつくと、59分にディアスが逆転ゴールをマーク。この1点が決勝点となり、横浜MがJリーグの歴史で初めて勝利を掴んだチームとなった。
以来、横浜F・マリノス(1999年に横浜マリノスから改称)は30年以上に渡ってJリーグを牽引する存在であり続けている。
初優勝を成し遂げたのは1995年。ビスコンティ、メディナベージョ、サパタのアルゼンチン出身トリオが躍動し、井原 正巳を中心に堅い守りも実現。1stステージを制すと、2ndステージは3位に終わったものの、宿命のライバル、Ⅴ川崎とのチャンピオンシップを制し、Jリーグの頂点に立った。
翌年以降はタイトルから遠ざかったが、2000年には若き10番、中村 俊輔を中心に勝利を積み重ね、1stステージで優勝。チャンピオンシップで鹿島アントラーズに敗れ二度目の優勝はならなかったが、名門復活を予感させた。
2001年には初めてリーグカップで優勝すると、2003年には岡田 武史監督の下で圧倒的な強さを披露。1stステージを制すると、2ndステージでは最終節で首位のジュビロ磐田に劇的な勝利を収め、完全優勝を成し遂げた。翌年もチャンピオンシップで浦和レッズを下し、2連覇を達成。黄金時代を築いた。
もっとも以降は、なかなか優勝争いに絡めない苦しい時代を過ごした。2013年には天皇杯を制して面目を保ったものの、リーグ戦では最終節で優勝を逃す悲劇を味わっている。
そんなチームが希望を見出したのは、アンジェ・ポステコグルー監督が就任した2018年のこと。それまでは守備に強みがあったチームが新監督の下で攻撃的なチームへと変貌。同年は12位に終わったものの、優勝した川崎フロンターレに次ぐ、リーグ2位タイの56得点を記録した。
そして迎えた2019年、34試合で68得点を記録する圧倒的な攻撃力でリーグを席巻し、15年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた。さらに2022年には前年途中にポステコグルー監督の跡を引き継いだケヴィン・マスカット監督の下で優勝。ハリー・キューウェル監督が就任した今季も攻撃スタイルは継承されている。
リーグ優勝5回は、鹿島の8回の次ぐ歴代2位の記録。鹿島と並んでJ2への降格経験がないのも、このチームの輝かしい歴史である。
リーグカップ、天皇杯での優勝経験もある横浜FMにとって、唯一足りないのが、アジア王者の称号だ。
2002年にAFCチャンピオンズリーグ(ACL)がスタートして以降、横浜FMはこの大会に6度出場。初めて参戦した2004年はグループリーグで敗退し、翌年もグループリーグで敗れている。さらに9年ぶりの出場となった2014年もグループリーグの壁を越えることはできなかった。
Jリーグ王者として参戦した2020年に初めてグループリーグを突破したが、ラウンド16で韓国の水原三星に敗戦。2022年もラウンド16でヴィッセル神戸に苦杯を舐めた。
横浜FMにとってACLは、いわば敗戦の歴史だった。しかし、今大会ではその負のレッテルを払しょくするような力強い戦いを見せている。
山東泰山(中国)、仁川ユナイテッド(韓国)、カヤFC・イロイロ(フィリピン)と同居するグループGを4勝2敗で首位通過すると、ラウンド16ではバンコク・ユナイテッド(タイ)を2戦合計3-2で撃破し、初のベスト8に進出。準々決勝ではグループリーグの再戦となった山東泰山に2連勝し、ベスト4へと駒を進めた。
そして蔚山現代(韓国)との準決勝では、アウェイでの初戦を0-1で落としながら、ホームでの第2戦では植中 朝日の2ゴールなどで3-2と勝利。2戦合計3-3で迎えたPK戦を5-4でモノにし、ファイナルへと駒を進めた。
悲願のアジア制覇へあと一歩に迫った横浜FMは、決勝でUAEのアルアインと対戦する。第1戦は5月11日にホームで開催され、第2戦は同26日(日本時間)にアウェイで行われる。
果たして横浜FMは、浦和、ガンバ大阪、鹿島に次ぐ、Jリーグで4チーム目となるアジア制覇を成し遂げられるか。まずは大観衆の声援が後押しするホームでの第1戦で白星を掴み、敵地へと乗り込みたい。