~Jリーグアジア戦略のこれまでの10年を振り返り、未来を展望する特集企画~東南アジアのスター選手を次々と獲得、観光面でもホームタウンに寄与~北海道コンサドーレ札幌(前編)~
■北海道を豊かにするために
Jリーグが2012年にアジア戦略をスタートする以前から北海道コンサドーレ札幌はアジアに目を向けていた。2010年、当時は強化部長だった三上 大勝代表取締役GMが役員会で、東南アジアをターゲットにしたマーケティング戦略の必要性とその意味合いの深さを説いた。
「コンサドーレは何のために存在するのか。単にプロサッカーの興業をするためではない。北海道、道民を豊かにするためにある。サッカーはそのツールに過ぎない。アジアでの事業を進めることでコンサドーレは経済面で北海道に貢献できる」
三上代表の考えは明確だった。日本の経済界は経済成長が著しいASEANマーケットをにらみ、アジアでの事業拡大を図る企業が増えていた。たとえば、コンサドーレのパートナー企業であるサッポロビールは2011年にベトナム工場を築き、ベトナム市場に本格的に進出した。
サッカーはそのASEANの人々を熱狂させる人気スポーツであり、国民への強力な発信力、影響力を持つ。サッカーを活用すれば北海道、札幌市の認知度と親近感のアップとともに、道内企業にメリットをもたらせる。それに伴いクラブは新規パートナー獲得、アジアからの誘客を見込める。
三上代表はそう主張した。だが、アジア事業を始めたいという提案は受け入れられなかった。2010年度にJ2にいたコンサドーレの営業収益は11億円にとどまっていた(2021年度は34億円弱)。クラブ幹部の意見は「まだアジア事業に取り組む余裕はない」が大半を占めた。
しかし、流れが変わる。2012年にJリーグがアジア戦略室を設け、ASEAN各国のリーグと提携協定を結びながら、各クラブにアジア事業への着手を勧めた。三上代表は何とかクラブの承諾を得て、リーグのアジア戦略担当者とベトナムへ視察に向かった。そこで、あらためて東南アジアのサッカー熱とサッカー選手のステータスの高さを感じ、アジア事業に打って出たいという思いを強くした。
流れはさらに良くなる。2013年、新社長に就任した野々村 芳和氏(現Jリーグチェアマン)がすぐにアジア戦略への理解を示し、ゴーサインを出した。三上代表はASEANのスター選手を獲得することから始める。
■「ベトナムの英雄」を獲得
「日本人選手が欧州のクラブに移籍すると、日本人はその選手がプレーする町を知る。カズさん(三浦 知良)がイタリアのジェノアでプレーするようになって、私はその町を知ったし、行ってみたいと思う人がたくさんいた。ASEANのスター選手を獲得すれば、その国の人たちと北海道、札幌の心理的な距離が縮まる」
獲得するならベトナムのFWレコンビンと早くから決めていた。ベトナム代表で85試合出場、51得点の実績を誇り、「ベトナムの英雄」とうたわれた。幸い、本人が日本でのプレーを望み、2013年7月、ソンラム・ゲアンからの期限付き移籍で東南アジア出身では初のJリーガーとなった。
レコンビンの加入を契機にコンサドーレは、東南アジアでの事業を強化している住友商事とパートナー契約に至った。同社はスタジアムにベトナム語の看板を掲出した。
残念ながらレコンビンのコンサドーレ在籍は半年で終わった(J1で9試合2得点、天皇杯で2試合2得点)。「選手の買い取りオプションを付けるとか、期限付き移籍の期限切れ後のことを事前に相手クラブと定めておくべきだった。そうしておかないと、様々な面でのポテンシャルを十分に生かせない」。三上代表は課題を突きつけられた。
一方で手応えも感じていた。「ベトナムでサッポロというとビールの名前という認識だったが、レコンビン獲得で札幌の名が浸透した。すべてがレコンビンの影響ではないかもしれないが、広告代理店の調査によるとベトナム人の98%が札幌市を認識し、訪れたい町のナンバーワンになった。プロサッカークラブにはこういう活用の仕方があるのだと企業や道民に理解してもらえたはずであり、それが第一の成果だととらえている」
ここまでは助走と言っていいだろう。手探りで進めたアジア事業で得た課題と成果を踏まえて、コンサドーレは東南アジアからイルファン(インドネシア)、チャナティップ、スパチョーク(ともにタイ)らを獲得し続ける。そして、地元自治体や企業との連携を強めながら、互いのメリットの最大化を目指していく。(後編に続く)
(取材・文 吉田誠一)