浦和レッズはさいたま市駒場運動公園競技場(以下「駒場」と呼びます)および補助競技場の命名権(ネーミングライツ)取得に向け、さいたま市と基本合意し、契約締結に向けて協議を進めていますが、このたび、通称(ネーミング)が決まりましたのでお知らせします。
通称の決定にあたっては、ファン・サポーター、ホームタウンの皆様から通称案を公募し、1,748件の応募を頂きました。公募にご応募頂きました皆様に深く御礼申し上げます。お寄せ頂いた通称案を参考に、ネーミングライツ選考委員会での議論を踏まえ決定しました。公募状況につきましては、下記【浦和駒場の通称決定にあたって】として報告致しますので併せてご覧下さい。
浦和レッズは、「サッカーの街・浦和」を育み、また「浦和レッズの聖地」とも呼ばれるようになった「駒場」の命名権取得により、「駒場」を歴史と伝統の懸け橋として位置づけるとともに、「サッカーの街・浦和」の発展に貢献して参ります。
□さいたま市駒場運動公園競技場の通称
(和文)浦和駒場スタジアム
(英文)URAWA KOMABA STADIUM
□さいたま市駒場運動公園補助競技場の通称
(和文)レッズハートフルフィールド駒場
(英文)REDS HEART-FULL FIELD KOMABA
なお、現在さいたま市と契約締結に向け最終協議を行っております。通称の利用は契約締結後となります。また、正式名称(「さいたま市駒場運動公園競技場」「さいたま市駒場運動公園補助競技場」)に変更はありません。
【浦和駒場の通称決定にあたって】
浦和レッズが、さいたま市駒場運動公園競技場(以下「駒場」と呼びます)および補助競技場の命名権(ネーミングライツ)取得により、通称を決定するまでの経緯をご紹介いたします。検討にあたり、ファン・サポーター、ホームタウンの皆様から通称案を公募しました。オフィシャルサイト、ホームゲーム会場、レッドボルテージにおいて、ご応募頂きましたファン・サポーターの皆様に対し改めて御礼申し上げます。
1.取得の経緯
さいたま市の行財政改革推進プランが定める「駒場」の命名権売却方針に基づき、さいたま市から取得の打診がありました。「駒場」は、サッカーの街を育み、1993年のJ開幕以降は浦和レッズの様々なドラマが繰り広げられたスタジアムであることから、「サッカーの街・浦和」における「駒場」の過去と未来を繋ぐ懸け橋として、また、「市民スポーツとプロスポーツ」の融合に寄与し、「サッカーの街・浦和」の発展に貢献するため、取得することを決めました。
通称決定にあたっては、ファン・サポーターの皆様にも「駒場」の歴史と将来を共に考えて頂こうと公募形式を採り、その後、有識者の方々で構成するネーミングライツ選考委員会による議論の上、浦和レッズが最終的に決めました。
2.公募状況
4月1日〜4月20日の募集期間に寄せられた通称案は計1,748件ありました。
「浦和」または「駒場」を必ず使用することが条件でしたが、「浦和」を用いた応募が全体の33%、「駒場」が33%、「浦和駒場」が30%と拮抗しました(残り4%は「浦和」「駒場」ともに不使用)。
「レッズ」「レッドダイヤモンズ」等の記載の有無については、「記載有り」が46%、「記載無し」が52%でした(残り2%は女子サッカーに関連する通称案)。
すべての応募を「浦和」「駒場」「レッズ」の有無で分類すると、3つの単語すべてを利用したもの(例:「浦和レッズ駒場」)が13%と最多でした。次いで、現在呼称として使われているもの(「浦和駒場」または「駒場」)が11%、「駒場」「レッズ」の組み合わせ(例:「駒場レッズ」)が9%と続きました。
個別名でみると、最も多かったのは、「浦和駒場スタジアム」(7%)でした。「浦和レッズ駒場スタジアム」(5%)、「浦和レッズスタジアム」(4%)と続きました。
それ以外では、「ワンダーランド」「聖地」「ドリーム」「プライド」「レジェンド」「メモリアル」「レディア」「ハートフル」「森孝慈」「さくら草」のほか数多くの単語が使われていました。
主な提案理由を以下の通りご紹介します(カッコ内は応募した通称案)。
・「浦和でのフットボールの根幹が駒場だから」「今の呼称を維持することが浦和レッズによる地域への貢献だから」(浦和駒場スタジアム)
・「浦和、駒場、レッズのすべてが必要不可欠なキーワードだから」「浦和とレッズを国内外に知らしめることができるから」(浦和レッズ駒場スタジアム)
・「浦和レッズの究極の目標だから」(レッズワンダーランド駒場スタジアム)
・「レッズの原点、サポーターの原点を謳っているから」(聖地駒場スタジアム)
・「共に闘う浦和の誇りを象徴しているから」(プライドオブ浦和スタジアム)
・「活動理念を表現するハートフルクラブを発信できるから」(ハートフルスタジアム駒場)
様々な理由で様々な通称案が提案されていましたが、コメントには「浦和レッズと駒場の20年間」や「駒場開設以来の45年間」を振り返るなど、想いのこもったものが数多く含まれていました。すべての通称案と提案理由はクラブ及びネーミングライツ選考委員会に報告されました。
3.最終選考
公募結果を受け、今月「ネーミングライツに関する選考委員会」を開催しました。
選考委員会では、命名権取得にあたっての考え方として、
・「駒場」を浦和でのサッカーにおける「過去」と「現在」、そして「未来」を繋ぐ懸け橋とする
・「駒場」を「浦和とレッズ」、「市民スポーツとプロスポーツ」が融合する拠点とする
・浦和レッズの設立20周年や法人名変更といった取り組みと共に、浦和の歴史と伝統を改めて育み、絆を築いていく
・「サッカーの街・浦和」の発展につなげ、新たな成長に貢献していく
の4点が確認されました。
選考委員会でも公募結果と同じように様々な意見が出され議論されました。検討の結果、「命名権取得にあたっての考え方を実現するために、浦和レッズが「駒場」に対する姿勢や具体的な取り組みを示し実現していくことが最も大切」との考え方を共有しました。スタジアムに浦和レッズのエンブレムを掲出していくことが、サッカークラブによる命名権取得には重要との意見が出され、それを前提に通称を「浦和駒場スタジアム」とする方向となりました。
また、補助競技場(サブグラウンド)についても検討しました。「駒場」は誕生して以来、子どもたちを育む場になっており、現在は浦和レッズハートフルクラブが子どもたちの心を育む場所として活用していることから、通称を「レッズハートフルフィールド駒場」とする方向となりました。これらの検討結果を踏まえ、浦和レッズは通称を正式決定しました。
4.今後について
浦和駒場スタジアムは、埼玉国体が開催された1967年に開設されました。戦後の県立浦和高校、県立浦和西高校、市立浦和高校、市立浦和南高校等による相次ぐ全国制覇に象徴される大躍進の果実とも言えるものでした。開設以降は、オリンピックが開かれた大宮公園サッカー場ほどの華やかさはありませんが、子どもたちが切磋琢磨する場として、市民がサッカーを楽しむ場として、「サッカーの街・浦和」の発展を支えてきました。1993年のJリーグ開幕からは、浦和レッズによる新たな歴史が加わり、「聖地駒場」とも呼ばれるようになりました。
浦和レッズはこれまでの歴史と伝統を引き継ぐとともに、様々な絆づくりを通じて「サッカーの街・浦和」の新たな時代の発展に貢献するよう努めて参ります。
例えば、次のような取り組みを検討し、実施していきます。
・トップチームの試合を条件が許す限り毎年開催します。
・浦和レッズレディースのホームスタジアムとして定着させていきます。
・ユース、ジュニアユースに加えジュニアについて、試合を含め可能な限り活用し、「浦和のサッカー」とのさらなる融合を図ります。
・子どもたちの心を育むハートフルクラブの活動を継続します。
・ファン・サポーターやホームタウンの皆様、他スポーツ団体が参加できるようなイベントを実施します。
・「駒場」の歴史を振り返るとともに、浦和におけるサッカーの発展や活性化に結びつく様々な活動を行います。
7月8日の浦和レッズレディースのホームゲームを皮切りに、リニューアルイベントも検討しており、様々な取り組みを積極的に展開して参ります。
以上
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