浦和レッズの2012シーズンの監督として、ミハイロ ペトロヴィッチ氏と基本合意いたしましたのでお知らせいたします。
浦和レッズは、2012シーズンの監督選定において、再建・再生のために「選手一人ひとりの力を引き出し、成長させ、ピッチで輝かせること」「専門的知識が豊富で経験のあること。それを選手と共有できること」「向上心があり、意欲的であること」、という3つの観点から候補者をリストアップし、選任を行って参りました。ミハイロ ペトロヴィッチ氏は、当初よりその監督候補の一人でありましたが、この度、基本合意に至りました。
■ミハイロ ペトロヴィッチ MIHAILO PETROVIC
1957年10月18日生まれ(54歳)
ロズニツァ(旧ユーゴスラビア 現セルビア)出身
国籍:オーストリア
<選手としての経歴>現役時代のポジションは、MF・DF
FKラド・ベオグラード(ユーゴスラビア)−レッドスター・ベオグラード(ユーゴスラビア)−ローター・シュテルム・ベオグラード(ユーゴスラビア)−オリンピア・ライバッハ(ユーゴスラビア)−ディナモ・サグレブ(ユーゴスラビア)−SKシュトルム・グラーツ(オーストリア)
ユーゴスラビア代表:1試合(1980年)
<指導者としての経歴>
1993〜1994:SVペラウ(オーストリア)
1994〜1998:シュトルム・グラーツ アマチュア(オーストリア)
1998〜1999:NK プリモアージェ(スロベニア)
1999〜2000:NK ドモザーレ(スロベニア)
2000〜2001:NK プリモアージェ(スロベニア)
2001〜2002:オリンピア・ライバッハ(スロベニア)
2002〜2003:NK ムラ(スロベニア)
2003.9〜2006.5:シュトルム・グラーツ(オーストリア)
2006.6〜2011:サンフレッチェ広島
<プロフィール>
セルビア(旧ユーゴスラビア)の首都ベオグラードの東に位置するロズニツァ出身。現在所属する、FWデスポトビッチと同じ出身地。愛称はミシャ。
ユーゴスラビアの名門クラブ、レッドスター・ベオグラードのユースチームで育ち、同国リーグのFKラド・ベオグラードでプロ選手としてのキャリアをスタート。その後ユーゴスラビアのクラブを渡り歩き、1985年、28歳の時にオーストリアのSKシュトルム・グラーツに移籍。その後、1993年まで、8シーズンにわたってこのクラブでプレーし、現役を引退した。
1996年、古巣のSKシュトルム・グラーツでアシスタントコーチ兼アマチュアチーム監督に就任。このとき、トップチームの監督を務めていたのが、元日本代表監督のイビチャ オシム氏だった。そして、1998年までの2年間、オシム監督との師弟関係が続いた。その後、スロベニアのクラブを指導した後、2003年〜2006年には、監督として、シュトルム・グラーツを率いた。
2006年6月、ワールドカップドイツ大会による中断期間に、それまで2勝4分け6敗と苦しんでいたサンフレッチェ広島の監督に就任。その後11勝2分9敗の成績を残し、リーグ戦を10位で終えた。翌2007年は16位でJ2に降格するも、翌2008年、圧倒的な強さでJ2を制してJ1復帰を決め、復帰後の2009年、当時、昇格クラブとしては、過去最高となる4位の好成績を収めた。その後、2010年、2011年は、主力選手の相次ぐ移籍という状況の中でも、確立された自らのスタイルを貫き、2年続けて7位という成績を残した。
2011年11月9日、サンフレッチェ広島から今シーズン限りでの退任が発表されていた。
以上
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