今日の試合速報

スーパーカップ2025
スーパーカップ2025

オフィシャルニュース

一覧へ

役員人事について(06.06.28)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 6月28日(水)さいたま市内で行なわれた弊クラブ臨時株主総会におきまして、役員が下記の通り決定しましたのでお知らせ致します。

■役員人事(6月28日付)
代表取締役社長:藤口 光紀
常務取締役:由井 昌秋
取締役:相川 宗一(さいたま市長)
取締役:安田 格(埼玉縣信用金庫)
取締役:張 不二夫(三菱自動車工業株式会社)
取締役:淵田 敬三(三菱自動車工業株式会社)
取締役:新田 博利(新任)
取締役:林 宏行(新任)

監査役:池田 知治(三菱自動車工業株式会社)
監査役:三宅 尚昌(三菱自動車工業株式会社)

※前代表取締役社長犬飼基昭氏および、前取締役横山謙三氏は、同日付をもって辞任いたしました。

■新旧社長コメント
・犬飼基昭前社長 
『振り返れば4年間全力疾走してきました。強くて魅力あるトップチームづくりを起点にクラブ改革をしてきましたが、何よりも浦和レッズは「地域やファン・サポーターのもの」との信念で経営して参りました。特にいつでも力強く支援を下さったサポーターの皆さまには感謝してもし尽くせません。例えば試合での失点直後の「浦和レッズコール」には私自身、何度も勇気づけられました。改めて深く御礼申し上げます。退任するのは、一層の飛躍には若返りが必要と判断したためですが、これ以上社長を務めると知らぬうちに権力集中する等の弊害も懸念しました。後任の藤口新社長はJリーグをリードするクラブとしてより成長するために最も適切な人物であると自信をもって言えます。アジアへそして世界へはばたいていくと思います。浦和レッズはいつまでも皆さまのものです。引き続きよろしくお願い申し上げます』
・藤口光紀新社長
『本日、浦和レッズの代表に就任し、犬飼前代表が基盤を作った浦和レッズを引き継ぐことになりました。これまでの取り組みをベースにさらに成長させていく決意です。Jリーグのリーダーとしての自覚を持ち、アジアを制して世界と互角に戦う強いクラブを目指します。就任間もなくJリーグが再開します。皆様の熱い声援をよろしくお願い申し上げます』

■藤口光紀の主な略歴
・生年月日:1949年8月17日生まれ
・出身地:群馬県勢多郡粕川村(現、前橋市)
・学歴:1974年3月 慶応義塾大学 文学部 卒業
・略歴:
1974年4月 三菱重工業株式会社入社
1992年4月 浦和レッズダイヤモンズ事業広報部長・運営部長
1997年4月 社団法人日本プロサッカーリーグ事務局次長
1998年7月 社団法人日本プロサッカーリーグ理事
2000年7月 社団法人日本サッカー協会 特任理事
2005年12月 浦和レッズダイヤモンズ事業本部副本部長
2006年2月 浦和レッズダイヤモンズ強化本部長兼事業本部副本部長
2006年4月 (株)三菱自動車フットボールクラブ取締役
        浦和レッズダイヤモンズ強化本部長兼事業本部副本部長
・主なサッカー歴
1969年 慶應義塾大学ソッカー部 1年生からレギュラー活躍、同年の大学選手権に優勝
1970年 関東大学リーグ得点王
1972年 日本代表に選出。
      1月9日、国立競技場でのハンブルガーSV(西ドイツ)戦で途中出場し初出場、試合は2-3で敗戦。
      2日後に三ツ沢球技場で行われた第2戦で2得点をあげる、試合は2-2の引き分け。
1974年 三菱重工サッカー部、日本サッカーリーグ新人王 
1974・75・78年 日本サッカー利0具年間ベストイレブン
1978・82年 日本サッカーリーグ優勝
1978・80年 天皇杯全日本選手権優勝
1978・81年 JSLカップ優勝

※日本サッカーリーグの三菱重工サッカー部で、1974年から82年までの9シーズンプレー、通算127試合出場、27得点17アシスト。1978年には、三菱重工サッカー部の一員として、史上初の3冠(日本サッカーリーグ・JSLカップ・天皇杯)を達成。日本代表としては、Aマッチ26試合出場2ゴールを含む、通算61試合に出場し8ゴールをあげている。現役時代のポジションはMF、FW。

以上
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

旬のキーワード

最新動画

詳細へ

2024/12/26(木) 12:00 Jリーグ審判レポート(シンレポ!)特別編「現役審判員が集結!オフだから話せる今季のあのハナシ」