浦和レッズは来シーズンの監督に関し、弊チームアドバイザーであるギド・ブッフバルト(42歳)と基本合意に達しましたのでご連絡致します。
契約期間は、2004年2月1日から2005年1月2日までです。
また、コーチに元京都パープルサンガ監督のゲルト・エンゲルスが就任することとなりましたので、併せご連絡致します。
【ギド・ブッフバルト】
Guido Buchwald (登録名ギド・ブッフバルト)
1961年1月24日生まれ42歳ドイツ・ベルリン市出身
90年のワールドカップ・イタリア大会に全7試合出場したドイツのストッパー。
同大会決勝ではマラドーナを完封。ディフェンシブハーフ、サイドバックを務めた事もある。
ブッフバルト氏は、2回のワールドカップで延べ10試合に背番号6をつけて出場。1回も警告を受けていない。11シーズン所属したシュツットガルトでは攻守の中心としてチームを率いる不動の主将として活躍。
紳士的なプレーのみならず、人望も厚く、チームメイトや市民から高い尊敬を得ていた。
94年、ワールドカップ・アメリカ大会終了後の7月18日に来日し、浦和レッズの一員となった。
3シーズン半の間に、Jリーグ・ベストイレブンに2年連続(1995、1996年)受賞する活躍を見せ、カリスマ的存在になる一方、日本のファンからも「ギド」の愛称で親しまれた。
1997年のJリーグを戦い抜いた10月、白いサラブレッドに乗ってファンに別れを告げ、帰国。
その後、1シーズン半の間、カールスルーエでプレーして1999年の夏に現役を引退した。
カールスルーエのスポーツディレクター、シュツットガルター・キッカーズの名誉アドバイザーを務めながら指導者のライセンスを取得したブッフバルトは、2002年8月から、浦和レッズのアドバイザーとなり、チーム強化やユースの欧州遠征のアレンジ等で協力。
現在は2006年のワールドカップ・ドイツ大会の開催都市であるシュツットガルトの親善大使も務めている。
■選手としての経歴
DF 188cm 88kg
ドイツ(西ドイツ)代表 76試合4得点
ドイツ(西ドイツ)B代表 1試合
ドイツ(西ドイツ)オリンピック代表 9試合1得点(1984 ロサンゼルス五輪)
ドイツ(西ドイツ)U−21代表 1試合
ブンデスリーガ通算 12シーズン334試合28得点
ブンデスリーガ(2部)通算 6シーズン177試合21得点
Jリーグ通算 4シーズン127試合11得点
Jリーグヤマザキナビスコカップ通算 3シーズン20試合3得点
天皇杯通算3シーズン 10試合
ワールドカップ出場 2回1990、1994
欧州選手権出場 3回1984、1988、1992年
[タイトル]
ワールドカップ 優勝1回 1990(イタリア大会・全試合フル出場)
ブンデスリーガ 優勝2回 1984、1992
ドイツ・スーパーカップ 優勝1回 1992
欧州選手権 準優勝1回 1992(スウェーデン大会)
UEFAカップ 準優勝1回 1989
ドイツカップ 準優勝1回 1986
[クラブ]
SVバンバイルSV Wannweil (1969−1977)
TSVプリーツハウゼンTSV Pliezhausen (1977−1978)
シュツットガルター・キッカーズStuttgarter Kickers (1978−1983)
VfBシュツットガルトVfB Stuttgart (1983−1994)
浦和レッズUrawa Reds (1994−1997)
カールスルーエSC Karlsruher SC (1998−1999)
■現役引退後の経歴
カールスルーエSC・スポーツディレクター 1シーズン(1999/2000)
シュツットガルター・キッカーズ名誉アドバイザー 2シーズン(2000/01−2001/02)
浦和レッズアドバイザー 2シーズン(2002.8− )
シーズン チーム名 [リーグ]出場(得点)/ [ナビスコ]出場(得点)/ [天皇杯]出場(得点)
1978-1983 シュツットガルター・キッカーズ(2部) 146(18)
1983/84 VfBシュツットガルト 34(3)
1984/85 VfBシュツットガルト 15(4)
1985/86 VfBシュツットガルト 32(1)
1986/87 VfBシュツットガルト 33(2)
1987/88 VfBシュツットガルト 30(1)
1988/89 VfBシュツットガルト 30(1)
1989/90 VfBシュツットガルト 28(5)
1990/91 VfBシュツットガルト 21(3)
1991/92 VfBシュツットガルト 37(5)
1992/93 VfBシュツットガルト 33(1)
1993/94 VfBシュツットガルト 32(2)
1994.7- 浦和レッズ 20(2)/2(0)/ 3(0)
1995 浦和レッズ 51(4)/ 大会なし/3(0)
1996 浦和レッズ 24(3)/ 12(2)/ 4(0)
1997 浦和レッズ 32(2)/ 6(1)
1997.12-1998 カールスルーエSC 9(0)
1998/99 カールスルーエSC(2部)31(3)
1999/2000 カールスルーエSC スポーツディレクター
2000/01 シュツットガルター・キッカーズ名誉アドバイザー
2001/02 シュツットガルター・キッカーズ名誉アドバイザー
2002.8- 浦和レッズアドバイザー
2003.8- 浦和レッズアドバイザー
合計 [リーグ]638(60)/ [ナビスコ]20(3)/ [天皇杯]10(0)
【ゲルト・エンゲルス】
Gert Josef Arthur ENGELS(登録名エンゲルス)
1957年4月26日生まれ46歳ドイツ・デューレン市出身
1999年元日、横浜フリューゲルスとして最後の大会である天皇杯で優勝を成し遂げたドイツ人監督。
現役時代は、ボルシアMGに所属。その後、アーヘン大学(1979-1983)、ケルン体育大学(1984-1989)で指導者としての道を歩み、1990年に来日。
横浜フリューゲルスで6シーズン指導を続けた後、市原、京都の監督などを歴任。
京都ではチームの若返りに成功し、J2で優勝、J1復帰を果たし、更に2003年元日、関西Jクラブとして初タイトルとなる天皇杯優勝に導いた。
ドイツ語だけでなく、英語、日本語、フランス語が堪能でスペイン語、ポルトガル語も話すことが出来る。
■選手としての経歴
MF
1962〜1975 デューレン99(ユース)
1975 U−18ドイツ代表(5試合)
1975/76〜1976/77 ボルシア・メンヘングラッドバッハ
1976〜1977 ミリタリー(軍隊)選抜チーム
1978〜1991 デューレン99(ドイツ)、ベースバイラー09(ドイツ)、アセノ・スポーツクラブ(日本)
■指導者としての経歴
1975-1989 デューレン99 サッカークラブ(ドイツ3部リーグ)ユースコーチ
1990 アセノ・スポーツクラブ(現プリマハム)コーチ
1991-1992 滝川第二高等学校(神戸市)サッカー部コーチ
1993 横浜フリューゲルスコーチ
1994 横浜フリューゲルスサテライト・コーチ
1995 横浜フリューゲルスコーチ
1996 横浜フリューゲルスコーチ
1997 横浜フリューゲルスコーチ
1998 横浜フリューゲルスコーチ
1998.10.2- 横浜フリューゲルス監督J-2ndステージ7 勝0 分2 敗7 位/18チーム 天皇杯優勝
1999-1999.5 ジェフユナイテッド市原監督J-1stステージ4 勝2 分9 敗15 位/16チーム
2000- 京都パープルサンガヘッドコーチ
2000.6- 京都パープルサンガ監督J-2ndステージ6 勝1 分8 敗12 位/16チーム
2001 京都パープルサンガ監督J2 28 勝5 分11 敗1 位/16チーム
2002 京都パープルサンガ監督J-1stステージ9 勝1 分5 敗6 位/16チーム、J-2ndステージ8 勝0 分7 敗7 位/16チーム 天皇杯優勝
2003-2003.6.10 京都パープルサンガ監督J-1stステージ2 勝0 分8 敗16 位/16チーム
ハンス・オフト監督、ビム・ヤンセンコーチは今シーズンの契約満了に伴い、退任致します。
■ハンス・オフト監督のレッズでの戦績
2002年 [Jリーグ]13勝2分15敗 年間11位 [ヤマザキナビスコカップ]6勝1分2敗 2位 [天皇杯]1敗 3回戦敗退
2003年 [Jリーグ]13勝7分9敗 年間6位 [ヤマザキナビスコカップ]5勝3分3敗 優勝 [天皇杯]1敗 3回戦敗退
以上
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